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この世界にある見えない言葉たち。フリーランスをはじめて


フリーランスとして働き方を変えてから2年が経った。


造園業界で、一人親方でもなく、フリーランスってなんだよ!と自分でもかんじているが、今フリーランスとして仕事をしている。この2年間の恵まれた環境と出会いとそれとともに有難い失敗達。そう、本当にたくさん失敗、後悔して、泣いて。その度に、今まで気づかなかった人達の存在やチームとしての力の大きさを学び直した。だから、今となっては「有難い失敗たち」。

私は、造園業界で新しいフリーランスとしてのカタチを模索しています。一般的に、私たちの業界ではデザイナーなのか、それとも職人のような作り手、それとも両方を担うのか、ざっくりいうとそんなような気がする。建築出身の私にとって、建築業界よりも造園業界は現場主義で、より小さく古きしきたりの残る業界のような気がしている。

緑という命あるものを扱うから、図面通りなんていかないが当たり前。その代わり、その場所の環境や空気感、ニュアンス、温度感、そんな言葉にならないものと向き合うから、とても感覚肌の方も多い。


そして何より「衣食住」、植物や木々、庭の文化は私たち人間とさまざまな関わりあいをするから同じ造園業やガーデニング業、植栽分野といえど価値観や目的も多岐にわたる。それがゆえに分かりづらく、時に親しみの「偏り」を与えるけど、私はこの複雑さこそがとっても面白いと感じている。みんな違って、それぞれの得意分野があって、全然違う見方をしている。たまに何が良い・悪いと判断されてしまうこともあるけど、私はこの複雑さこそ一般の人にも伝わればいいなと思うこともある。

私はこの業界で働きながら、植物が好きなのか、デザインすることが好きなのか、作ることが好きなのか、そんな問いをして「なんか少し違うんだよな」とずっと繰り返してきた。その違和感はなんなのかと思って、ヒントを感じたニュージーランドに飛び出した。ニュージーランドでは、言葉にはできないけど確かに日本とは違う何か魅力とヒントを感じていた。


帰国して2年経った今、それが少しずつ形として心の中で見え始めている。

私がこの仕事で魅力を感じるもの

それがこの業界で見え隠れする「コミュニケーション」だ。


どうお客さんに伝えるのか、
デザイナーと職人さんの間でおこる会話

日本特有の「庭」の持つ「精神文化」
ものや場に込めた「コミュニケーション」

非言語が溢れたこの業界。
水やりの仕方の伝え方ひとつにしても正解がなく、
さまざまな伝え方を耳にしてきた。


造園業界には特に、言語化されにくいものが溢れている世界だと思う。
それは、「ニュアンス」という部分だったり、
「文化」という部分だったり、
「自然の摂理」だったり、それと重なる「人間の生き方」との共通点だったり。



私は今、フリーランスとして、
造園業界でそれぞれのプロジェクト契約でプレゼンのお手伝いをしている。
現場主義の多いこの業界にとって、
プレゼンてなんの役目を果たすんだろうと思う時がある。

インスタグラムなどでお庭に最適5選の樹木!とかそんなわかりやすさでなく、
背景にある多様さを複雑さを伝えることがはじめに必要で、
ニュースキャスターの国谷さんの言葉だけど
「「分かりやすい」は時に、ものごとの複雑な美しさを排除してしまう。」

きっと私たちの業界にはもっと伝えるべき本質がたくさんあって、
伝えるべき「美しい価値観」がある。


このお仕事で出会った自然観。
見てきた自然が違うのか、出会ってきた環境が違うのか。



自然はいつも雄大で多様な表情を見せるけど、
その自然と向き合う人間の感情や思考も本当に多様で美しいと思う。


フリーランスになって、社会的なことを含め、
勉強する時間も、仕事にかける時間も増え、
今は大変なことの方が多いような気がするが、
その多様な自然観に触れられることにすごく誇りに感じている。


この業界に励むデザイナーさんの描く多様な自然観、
職人さんが積み重ねてきた独自の美学、
日本独自の歴史的時間軸で積み重ねた文化、

月日の中で失われつつある
「目に見えない美しい価値観」

そんなことを伝えるためにもっと勉強して、
言語化、表現方法を学んでその役割を少しずつ築いていけたらいいな思っている。

最近、英語の勉強にもより力を入れていて、
2つの言語を行き来することで気づいた自分の気持ちかもしれません。


とにかく、今の心の中の想いを吐き出さなきゃと書き出しました。

千里の未知も一歩から。




(それにしても試行錯誤しているのが隠せませんね。)


なんとなくかすってでも、
共感してもらえるかたといつか繋がれたら良いなと願いつつ。






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