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note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第65話

前回までのあらすじ
時は昭和31年。家事に仕事に大忙しの水谷幸子は、宇宙人を自称する奇妙な青年・バシャリとひょんなことから同居するはめに。幸子は父親の周一が援助している謎の女性に会う決意をする。

→前回の話(第64話)

→第1話

カップに手を伸ばし、ほんのわずかな量のコーヒーを口にする。彼女が来るという時間の二時間前に来たので、この一杯で時間をもたせる必要がある。おかわりを頼むなんて贅沢は当然できない。

扉に視線を注ぐ。何度目かの期待外れを味わってから一時間後、目的の彼女がようやく姿を見せた。がぜん緊張が高まる。

本当に来たわ……

彼女は他の席には目もくれず、まっすぐに奥の席に向かった。店員の言った通りだ。カウンターをちらりと見ると、店員は得意そうに口角をあげていた。

よしっ、行くわよ。一度深く息を吐き出すと吸い込む力を利用し、おもむろに立ち上がった。

彼女は、ぼんやりと外の景色を眺めている。わたしは彼女に気どられないよう注意しながら近寄り、および腰で声をかけた。

「あの……」

振り向いたと同時に、彼女の顔色がさっと変わった。目を大きく見開き、顔全体が硬直している。

思いもよらぬ反応に、わたしは次の言葉を出せなかった。彼女はおさえた声色で訊いた。

「何かしら?」

わたしは、あの写真を見せる。

「……これっ、あなたじゃありませんか?」

彼女は、色を失った。動揺するのをひたかくすように、すぐさま写真から目をそむける。

わたしは、じっとその様子を見守った。わずかばかり心に余裕ができたのか、彼女を観察することができた。

あの写真よりも幾分しわが増えていたが、実物のほうがはるかに綺麗だった。

彼女はしばらく思い悩んでいたようだが、やがて気持ちを固めたのか、わたしに向きなおった。

「水谷幸子さんね」

今度は、わたしが驚いた。「どうして、わたしの名前を……」

「お座りにならない?」

と、彼女が席をすすめた。どうしようか迷ったけれど、おとなしくその言葉にしたがった。

彼女は店員への注文をすませると、無言で外を眺めていた。一向に口を開く気配がないので、わたしもしかたなくその視線を追った。

窓の向こうには、どこか現実味に欠ける街の風景が広がっていた。おしゃべりする二人組の女性が楽しそうに通り過ぎた。

店員がティーポットを机に置くと、彼女はなれた手つきでカップに紅茶を注ぎ、ゆっくりと口をつけた。

「この席は、静子さんのお気に入りだったのよ」

彼女の口から出たお母さんの名前に、わたしはふいをつかれた。

「母をよくご存じなのですか?」

「ええ」

彼女がカップを置くのを見はからい、わたしはおもむろに訊いた。

「わたし、実は以前あなたが父とこの店で会っているところを見かけました。一体、父と母とどういうご関係なんでしょうか?

 わずかに表情をゆらすと「そう、見られてたの……」と、彼女は小さく息を吐いた。

「店を出て、私の家でお話ししましょう」

そう口にすると素早く立ち上がり、レジに向かった。彼女が二人分の会計をすませたので、あわてて財布を開こうとしたら「ここは払わせてちょうだい」と、代金を受けとってくれない。

しかたなくその言葉に甘えることにした。彼女はレジ前に置かれたマッチを手にし、懐かしそうに言った。

「静子さん、よくこれを持って帰ったわ。マッチがなくなったときに重宝するのって」

そういえば、バシャリがお父さんの部屋から持ってきたマッチは、かなり古びた代物だった。たぶん、あれはお母さんが持ち帰ったマッチだったんだ。

ふいにお母さんと同じことがしたくなり、わたしはマッチをポケットに入れた。

彼女の自宅は、ここから電車で三駅ほどだった。

駅前商店街をぬけて細い路地を入る。子供たちが蝋石で道路に落書きをしていた。

うちの近所と似た雰囲気だと思ったが、足を進めるにつれ、知らず知らずにあたりを見回していた。バラックの家が建ちならぶ、かなり殺風景なところだ。

屋根に大量に干された洗濯ものから、たくさんの人が住んでいることがわかった。

まるでこの一帯だけ、戦後すぐで時間が止まっているみたいだ。ちらっと彼女の様子をうかがう。

とても彼女が住む場所だとは信じられない。わたしの様子を見て、彼女がすまなそうに言った。

「ごめんなさい。古いところで」

「いいえ、そんな……」と、わたしはしどろもどろになった。

彼女の家はバラックではなく、古びた木造の平屋だった。六畳二間に台所がついただけで室内はかなりせまいけれど、きちんと整頓されていた。

棚には可愛らしいカーテンがとり付けられ、さし出された座布団はパッチワークで作られている。隅には教科書が積まれていた。

ふと、部屋の奥のミシンが目に飛び込んできた。よく使い込まれた年季の入ったミシンだった。この人、洋裁ができるんだと、思わず彼女を見てしまった。

お茶を淹れると、彼女はわたしの向かいに座り、はじめて名前を口にした。

「三井百合子と申します」

「水谷幸子です」

百合子さんは、まじまじとわたしを見つめた。わたしを見るのではなく、わたしの背後にひそむ何かを見るような視線だった。それから、ふっとかすかな笑みを浮かべた。

「お母様にとてもよく似てらっしゃるわ。あなたに会いたかった……

「わたしにですか?」

「ええ」

百合子さんはしみじみと言い、部屋の片隅に目を向けた。わたしもつられてその先を追うと、仏壇に遺影が飾られていた。

たくましそうな男性が、快活にわらっている。百合子さんはぽつりと言った。

「ーー主人です。シベリアのタイシェットで亡くなりました

「タイシェット……」

聞き覚えのある地名だった。

「ええ、あなたのお父さんと同じ収容所でした」


そして、彼女は静かに語りはじめた。

→第66話に続く

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