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【日記】【宝塚】『エリザベート』と『アナと雪の女王』

こんにちは、唐梨です。
今日は『エリザベート』と『アナと雪の女王』にまつわる想い出を書こうと思う。
この2つ、何の関係性もない作品なのだが、たまたま同時期に鑑賞したこともあって、私の中では割と密接にリンクした、勝手に親和性を感じた作品たちなのである。



『エリザベート』の想い出

『エリザベート』といえば、何度も何度も再演されている、宝塚歌劇団きっての超人気演目。
そしてなんといっても、私が宝塚にハマるきっかけになった思い出深い作品。
私が観劇したときは明日海りおさん、蘭乃はなさんがトップコンビ時代の2014年花組版だった。
なかでも知れば知るほどいいなぁと思ったのが楽曲と歌詞!

2014年の花組上演中といえば、私はちょうど就活の内定が出るか出ないかくらいの時期だった。
今にして思えば、就活なんてもっと肩の力を抜いて俯瞰して取り組んでたらいいのに、と思うけれど、当時は社会人なんて鎖国時代の外国くらい未知の世界で、なんかものすごく大変で難しい場所だと勝手に思っており、勝手にヘビーなラスボスのようなイメージを抱いていたのである。

そんな
「これから内定通知とフレッシュマンデビューというラスボスに私はどう立ち向かえばいいんだろう」
「私の人生、これからどうなっちゃうんだろう」
「あぁいよいよ子供のままじゃいられなくなるのか」
と、ちょっぴりナイーブなピーターパンシンドロームな時に観劇したのが『エリザベート』だった。
特に刺さった歌詞が『私だけに』「なれない可愛い人形なんて」『私が躍る時』「踊るなら選んだ相手と踊りたいときに好きな音楽で」の部分。
これを聞いて「そうだ、私の人生の主語は私だった!」とハッとしたのである。
これって逆に言うと
「言いなりのお人形になりたくないだけのやりたいことがある」
「踊りたい!好き!という対象がある」
ということの裏返しであり、本人の意志があることが大前提だから

どんなに世の中が進んで、やりたいことをやれて、なりたいものになれる環境が整ったとしても、取り組む本人に「やりたい」「なりたい」「ほしい」「好き」という気持ちがなければ、それらの良さは発動されない(余談ながら、私がプリキュアにハマった理由もそれ)。

私の「want」や私の「favorite」はなんだろう?
内定とか就活とか社会的位置づけは置いといて、もっとまっさらなゼロベースで考えてみてもいいのかもな。
ま、私の人生という舞台の主演は私しかいないしな。じゃあ脚本も演出も衣装も考えないとな。

そう思わせてくれた大事な作品だ。



『アナと雪の女王』の想い出

そんな同時期に見た映画が、2014年に超大ヒットを飾った『アナと雪の女王』だ。
主題歌の『Let it go』はもはや社会現象にもなったので言わずもがな。
そしてここでグッときた歌詞は「少しも寒くないわ」「だってもう自由よなんでもできる」です。
理由も、先程の『エリザベート』と同様、そこに主語があるから。
ちゃんと「私はこう思う」という自我があればこそ言える言葉だからである。

代名詞にもなった「ありのまま」って、時にわがままのように揶揄されたりもするけれど、わがままって、本当にいけないことなのか?
「私はこう思う」という自我と意志があることの裏返しがわがままなわけであるからして、わがままが駄目ってことじゃなくて、わがままの通し方が問題なだけなんじゃないのか?
誰彼構わず押し通すわがままは良くないけれど、みんなにもいい影響があるわがままなら良いことなのでは?

そう思えるようになったきっかけの歌詞である。



最後に

『エリザベート』と『アナと雪の女王』。
この2つは私の大人になるにあたっての原点の作品であり、7年経った今でも、折に触れて観ると当時の感覚を思い出して背筋が伸びる作品である。

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