琳琅 第四号より、「逍遥」武村賢親6

 ぐるりと町内を一周して、また市営公園に戻ってきた。

 散歩の〆に梅の香を嗅ぎたくなったのだ。ここは花菖蒲が有名な場所だが、園の北側には単線の線路が横切っていて、そのすぐそばに若い梅の木が数本植えられている。白梅はもう散り始めているが、紅梅はいま正に見ごろと言ったところだ。

 遠景で見ると細かく泡立ったような梅の木は、まだ二〇何年と樹齢も若く、子どもでもジャンプすれば枝の一本に指が触れそうな高さに奥ゆかしい花をつけている。

 あの花が小さな実になる頃には隣の桜も満開になって、きっとたくさんの親子連れが花見にやってくるだろう。外出自粛と言ったところで、ここらの人たちはみんな、流行りものに弱いのだ。

 もう夕方も近くなり、親子連れは見かけなくなった。かわりにどこかの幼稚園だか、保育園だかの園児たちが、自由奔放に遊びまわっている。それを見張る保母さんは四人で、池の前にひとり、ベンチの近くにふたり、そして梅の木のあたりにもひとりいる。児童は二〇人くらいだろうか。ひとり当たり五人を世話しなければならない計算だが、どういうわけか児童の半分ほどが梅の木のまわりに集まっていた。

 地面にへばりつくように花をつけたタンポポなんかを眺めながらゆっくりとそちらへ近づいていくと、どうやら子どもたちはかわりばんこに幹の洞を覗きこんでいるようだった。

「こんにちは。なにかございましたか」

 四十代くらいの保母さんに挨拶する。マスクをあごにずらしてつけている保母さんは、なんだかあの中にたくさん虫がいるって言うんですよと、あきらかに「虫」という言葉に嫌悪感を滲ませて答えた。

「どれ」

 子どもに混じって木の洞を覗きこむ。たいして深くもない窪みにはつやつやと黒光りする虫が集団でかたまっていて、長い触角が蠢いている。心づもりをして覗かないと背筋がゾワッとしそうな光景だった。

「あぁ、こりゃあ、クビアカだよ」

 長い触角と赤い頸部が印象的な厄介者だ。一匹つまんで手のひらに乗せると、子どもらがわっと逃げていった。

 手のひらのカミキリムシはずいぶんと動きがのろかった。きっと暖を取るために密集していて、個体だけではそれほど寒さに強くないのかもしれない。噛みつく素振りも見せなければ、飛び去ろうともしない。

 害がないとわかったのか、散り散りに逃げて行った子どもらが、今度はわっと寄ってきた。私の手のひらを覗きこんだり、虫を木の棒でつついたりして、もみくちゃにされそうな勢いだ。

「ねぇこれなんの虫?」

「これはね。カミキリムシの仲間で、海外からきたんだ。桜の木を食べて枯らしちゃうんだ」

 えぇー! という遠慮のない声が左右からわき上がる。

「知ってるよ。ガイライシュでしょう!」

「偉いな。そう、見つけたら市役所の人に教えるんだよ」

「ここで殺しちゃえばいいじゃん」

 土のついたままの木の棒で、ひとりの子どもがカミキリムシをつつこうとする。しかし棒の先は定まらず、私の手のひらを汚しただけに終わった。

「それは、また別の問題かな」

「なんで?」

 混じりっ気のない疑問の目に貫かれる。

 こんな幼い子たちが「殺す」という言葉を簡単に使うことにも驚いたが、そうか、まだ命を奪う責任と重圧というものを理解できていない頃なのか。

「ねぇなんで?」

 はて困った。こんな純粋な子どもたちにどうやって殺生の理を諭し聞かせよう。ペットとして招き入れた外来種の命なら説明しやすいが、すでに居ついている野生の生き物を殺すことに前向きな人格にはなってほしくはない。はてさてどうしたものか。

 言葉が出ず、言い淀んでいるうちに後方から集合の合図がかかった。時間でーす、集まってくださーい、という保母さんの呼び声に、児童らはもう虫への興味が失せたのか、誰ひとり振り返らずに駆けて行ってしまった。

 ひとり残され、手のひらを見る。触角が折れ、六本ある足も三本が曲がってしまったカミキリムシが、じっと生命線にそって留まっている。

 こいつには悪いことをしたかな。このまま群れに帰しても回復の見込みはないだろう。

 西日が強くなっていることにいまさら気づく。手のひらにカミキリムシを乗せたまま、池の方へと踵を返した。

 妻の容体が悪化して人工呼吸器をつけるようになってすぐ、納戸の電球を取り換えようと登った脚立から転落した。足場を固定するネジが緩んでいたのだ。私の半身には小さな痺れが残った。利き腕も肩より上には上がらなくなり、患っていた坐骨神経症も酷くなった。

 これはもう生活に支障をきたすと息子夫婦に頼ったら、嫁が爬虫類全般を生理的に受け付けず、世話しに帰ろうにも私の飼うアオジタトカゲがいるうちは難しいと言われた。

 それでも、息子だけは週に何回か訪れてくれて、私の身の回りの世話をしてくれた。だが仕事の後や休日に電車を乗り継いで通ってくるには少々無理のある場所に住んでいた。

 仕方なく、アオジタを引き取ってくれる場所を探した。しかし甲斐なく失敗し、とうとう自分でけじめをつけなければならなくなった。

 池の縁にしゃがみこみ、手のひらのカミキリムシをそっと水面に落とす。突然の水気に残った足をジタバタさせた哀れな虫も、すぐにじっと動かなくなり、ぷかぷかと風に波打つ水面に身を預けてしまった。

「そうか。お前、軽いんだな」

 たいして力の入らない利き腕でどうやって中型トカゲの始末をつければ良いのか。

 農具や、包丁や、ビニール紐などを吟味した先に私が辿り着いた答えは、水だった。

 もはや従容とした様子のカミキリムシにそっと左手を被せる。

 たっぷりの陽に温められてか、水はぬるい。知能線と運命線の交わるあたりにほんのかすかな抵抗がある。その部分だけが針で刺すように冷たい。
指の股から這い上がってくる水の妙を感じながら、ゆっくりと手のひらを押し込んでいく。漏れ出た気泡が水面で弾け、井戸を浚ったときの泥臭が鼻についた。

 はたして手のひらは池底に届いた。やわい土と砂利の感触。それでも、虫はまだ生きているようだった。

 水は肘の少し下で止まっていた。このまま待つのも残酷なことだ。せめて一思いにと、泥の底に手根を押しつけたまま、にじる。

 肩から先を動かす度に、沈殿していた藻や落ち葉の残骸が浮かび上がってきた。真っ茶色になった水面に私の顔の輪郭だけが映る。いま私は、傍から見たらどんな人間に見えるだろう。タニシの収集家? それともトカゲを溺れさせる奇行老人?

 あの日は、四〇分ぐらい沈めていただろうか。

 手首を引っ掻く爪の膂力はなくなり、力強くぬたくっていた胴の鱗からも生命の弾力が失われた。五二年連れそった妻と、九年の歳月をともにしたペットを、同時に失った瞬間だった。

 唯一の救いは、あの子が変温動物で、体温の変化が乏しかったことだろうか。ぬるくなった昨日の残り湯に沈める前と後で、変わったことと言えば目の焦点が合わなくなったことくらいだ。その点、妻も人工呼吸器に活かされているだけで、色素の薄れたあの虹彩は、どこにも焦点を結んでいなかった。

 池の底から手を抜く。細かな泥の粒子と木っ端の破片で濁った水面には、もうあの虫は浮かんでいない。目を凝らしても、しばらく待ってみても、浮かび上がってくる気配もない。

 しゃがみこんだ姿勢から解放されて、膝や足首の関節は熱いくらいなのに、へそから上は血の気が引いたように冷たい脂汗をかいている。

 斜陽はいつの間にか木立の隙間に隠れてしまった。

 もうすぐここらも藍色に沈むだろう。風を受ける左手ばかりが寒い。

 指先に、カミキリムシの触角が張りついている。

 手首を強く振ってみたが、ちょっとやそっとじゃ剥がれそうにない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?