琳琅 創刊号より「かんう」武村賢親
小羽千尋の視点1
吐き戻したものはいつもより黒かった。お昼に食べたおにぎりの海苔だろうか。渦を巻いて流れていく様子は鳩尾の気持ち悪さをそのまま目にしているようで不快だった。真っ黒な渦が透明に戻っていく。もとの沈黙を取り戻すまでじっと見つめていると、不意に、ふふふっ、と小さくせせら笑うような声が聞こえた。便座の蓋を閉めておでこをつけるように突っ伏すと、笑い声は少しずつ湿り気を帯びていき、やがては嗚咽が混ざりだした。目頭から頬に熱いものがつたってきて初めて、自分が泣いているのだと自覚する。横隔膜が痙攣して呼吸が小刻みに震えた。口の中が苦い。胸やけがする。お腹が締め付けられるように痛い。何度も経験してきたことなのに、未だに順応できない自分の情けなさが信じられなかった。
瞼の裏に枯れ枝のように痩せた父の姿が浮かび上がって来る。五日前、父と会うためだけに千葉まで行った。事件の後に顔を会わせるのは初めてのことで、緊張のあまり車内で三回も嘔吐して、タクシーの運転手に多大な迷惑をかけてしまった。本来なら、加害者と被害者の関係上、たとえ家族だとしても弁護士や現在の保護者の同伴が望ましいとされているのだが、それでも弁護士の同伴を断って一人で会いに行ったのは、いつまでも弱いままの自分ではいられないという焦燥感があったからだった。
アクリル板で仕切られた部屋で、用意された椅子に腰かけて待つ。心臓が早鐘を打ち、呼吸の感覚が短くなってきた。緊張している。意識して背筋をまっすぐに伸ばし、腹式呼吸を心掛けた。何も考えなくても自然とフラッシュバックされる父との最後の光景がある。わたしの首を絞め、頬を殴り、服の上から肌を焼いた父の、発狂した鬼のような形相が思い出された。アクリル板の向こう側で扉が開く。五年ぶりに会った父はひどく痩せて、頬もこけ、明らかに健康ではない風貌をしていた。
三十分という短い時間の中で、父は終始気まずそうに視線を逸らしながら話し、ことあるごとに謝罪の言葉を口にした。あまりの変わりように動揺しながらも、ここでどんな生活をしているのかを尋ねると、職業訓練で桐の箪笥を作っているのだと答えた。入所前は金属加工の仕事をしていた父がなぜ木工に職を変えたのか。本人は理由を話さなかったが、きっと金属が犯行に使用したガスバーナーを連想させるからだろう。父がバーナーで犯した罪は、一生消えない傷としてわたしの身体に刻まれている。力ない父の姿を見るまでは、左の鎖骨から右乳房の下まで続く火傷の跡を見せつけて、自らの行いを悔やませようと思っていたのに。わたしよりも顔色が悪く弱り切った父を目の当たりにすると、内心の焔はたちどころに消え失せてしまい、かわりに心配の念が浮かんできてしまった。結局わたしは犯罪者としての父より、こんな娘を男手ひとつで育ててくれた優しいお父さんに会いたかったのかもしれない。
コートのポケットからハンカチを取り出して目元を拭うと、涙で浮いたファンデーションが薄く筋を引いて紺色の布地にはりついた。扉が控えめにノックされて、大丈夫ですか、と若い女性の声が降って来る。正気に戻されたわたしは、はい、とだけ応えて個室を出た。
新宿駅の女性用トイレには手洗い場とは別にパウダーコーナーが設けられている。冷静な状態ならそこで化粧を整えてから外に出るのだが、瞼の奥に閉じこもっていた両の目にLEDライトの暴力的な光が容赦なく突き刺さってくるので、しかたなく隣の多目的トイレを使うことにした。個室の一つを長時間独占していたわたしを責めるような視線を感じながら、順番待ちをする列の横をすり抜けて通路に出る。激しい人の往来を目の当たりにすると再び吐き気がこみあげてきて、脇目も振らず多目的トイレに駆け込んだ。
PTSDを患って五年が経つはずだが、今回の発作は最初の頃を思い出すような、精神的な息苦しさに胸が押し潰されそうになるものだった。嘔吐の最中も終始脳裏に蘇ってくる、父の恐怖に引き攣った顔が、手に持っているガスバーナーが、タンパク質の焼け爛れる匂いが、横隔膜をせりあがらせ、胃を押しつぶし、食道を縮ませて、最早胃液しか垂れてこないわたしの口を無様に開かせる。
父が獄中死したのはわたしが面会に行った翌日の夕方頃だったという。駅のホームでスマートフォンの向こう側から伝えられた概要は、週に二回の風呂の日で、三分前に発せられる刑務官の号令と同時に胸を押さえて蹲り、そのまま息をひきとった、というものだった。葬式をする資金もなければ殺人犯の式に集まってくれる人もいないと思い、葬儀は執り行わず、火葬場で焼く直前に最期のお別れをするつもりだと伝えると、独り身となったわたしを引き取ってくれた親戚の老夫婦は寂しそうな顔をしながらも頷いてくれた。
呼吸をなんとか整えて水面を確認すると水は少し濁った程度で、唾液を吐き出したときにできる細かな泡が密集した白っぽい塊しか浮かんでいなかった。化粧道具を入れたポーチから手鏡を取り出して自分の顔を映してみると、目の周りの化粧が崩れていて、頬のファンデーションも薄くなってしまっていた。唇の端に吐瀉物のカスが張り付いている。こんな状態の顔を大勢の前に晒していたと思うと急に恥ずかしさがこみあげてきた。手洗い台の水道水で軽く口を洗う。本当なら外の自動販売機でペットボトル入りの水を買いたかったのだけれど、いま通路に出て行っても平常心を装えるとは思えなかった。蓋を閉めた便座に腰掛けて化粧を直そうと試みるが、自分の意思に反して身体は小刻みに震えてしまい、とてもじゃないが手元が定まる気がしない。しかたなく手鏡をスマートフォンに持ち替えて写真ファイルのアイコンに触れ、「トッキー」と銘打たれたファイルを開いた。
発作が起きた時に一番恐ろしいのが、被害にあった瞬間の映像を何度も頭の中でフラッシュバックさせてしまうことだ。そうなるともう落ち着くことなど不可能で、道端ですれ違う人々みんなが自分に何かしらの暴力を振るってくるのではないかという被害妄想にとりつかれてしまう。駅のホームで隣に並んだ人が、電車から降りてきた乗客が、目が合った駅員が、わたしの胸倉をつかんで押し倒し、首を締めながら延々と暴力を振るってくる、そんなことはありえないと分かっていても、そう思わずにはいられなくなってしまうのだ。
発作の症状が長引くときはトッキーと一緒に撮った写真を見ることにしていた。撮影した時の場所や楽しかった気持ちを思い出しながら、一つひとつ時間をかけて観賞していく。精神科の医者にいわせれば、これはあまり良い方法ではないらしかった。PTSDの患者にとって、発症前の自分は失くしてしまったもの。いわば奪われた自分の姿であって、現在の自分の状態に必要以上の絶望を抱く可能性がある行為だというのだ。確かにそのとおりで、事件前の写真は失ったものを直視するようで、見ているとどうしても辛くなってきてしまう。わたしが観賞して楽しめるものは、事件のあとの、彼と一緒に写った数枚の写真だけだ。
よぉ、すこしはましになったか、という彼の声が聞こえたような気がして顔を上げた。病室の扉を後ろ手に閉めてわたしに微笑みかける彼の姿は、当然そこにはなかったが、気付いてみれば身体の震えは治まり、渦巻くような鳩尾の不快感も薄くなっていた。
写真ファイルを閉じ、いつのまにか届いていたメッセージを確認する。差出人の欄には鴇田重喜とあった。待ち合わせ場所に着いたという文章に、自分が一緒に映り込んだ場所の写真が載せてある。アルプス広場をぬけた中央東口改札の前で自撮りをしたらしい写真はいくらか傾いていて、彼の顔は半分以上見切れていた。なんだ、もう目と鼻の先じゃん。
鞄の外ポケットからミント風味のタブレットを取り出して、二粒、掌に振り出した。一つは口に放り込むと同時に噛み砕いて嚥下し、二つ目は苦い酸味の残る舌の上で転がして溶けるのを待つ。少しでも気分をリセットするきっかけになればと思い、とびきり清涼感の強いタブレットを選んでいたため、襲ってきた強烈な辛みに思わず口を開いてしまう。吸気の度に舌が痺れたが、吐き出す息はミントの芳香を纏ってさっぱりと透き通っているように感じた。再び手鏡を手に取って崩れた顔の修正を始める。涙の跡を隠すことに全力を注ぎ、少しでも顔色が良く見えるよう、普段は持っているだけで使わないチークをほんのちょっと、ブラシでくすぐるように撫でいれた。身なりを整えてから手洗い台の前傾した鏡で表情を確認すると、泣いた痕跡は上手く隠されていて、笑顔もちゃんと作れている。だいじょうぶ、わたしはだいじょうぶ、と二、三度自分に言い聞かせ、もう一度タブレットケースを振って一粒口に含み、押しボタン式の扉を開いた。
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