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琳琅 創刊号より、「かんう」武村賢親

鴇田重喜の視点2

 心臓が小さく早鐘を打っている。先程の小羽の行動には、正直焦った。遂にバレたかと思ったが、小羽が一番好きな手の組み方をしてやったら、特に疑うこともなく身体を密着させてきた。ちょろい、ちょろ過ぎるぞ、小羽、と自分のことを棚に上げてタクシーに乗り込む。

 これから向かう佐久間は新宿御苑の方角にあって、少し距離が離れていた。電車で行こうにも、帰宅ラッシュで鮨詰状態の電車に小羽を押し込むのは鬼畜すぎる。精神の興奮を抑制する薬を飲めばいくらか我慢できるということだが、これから楽しく酒をのもうという時に薬を服用させるのもどうかと考えた。折衷案として、新宿駅西口のロータリーに戻って、タクシーで向かうことした。後部座席に小羽と井塚さんが座り、僕は助手席に乗り込む。どちらまで、と言って車を発車させた運転手に、新宿御苑駅まで、と井塚さんが応えた。

 次々と後ろに流れて行くビルディングの窓明かりを見送りながら、そっとコートのポケットの中に手を入れる。掌に収まるくらいの小さな箱に触れると、治まったはずの動悸が微かに高まった。よく、こういうものは給料の三カ月分を注ぎ込んで選べという話を耳にするが、僕のこれは、べつに婚約を誓うために渡すものではない。今でこそ恋人同士という関係に落ち着いてしまっているが、僕はこれまでに一度も、小羽に自分の正直な気持ちを伝えたことがなかった。

 初任給で買ったペアリングには白妙菊の葉が彫られている。シルバーアクセサリーやジッポのハードカバーなどの金属加工を生業にしている元同級生に頼って彫ってもらったものだ。中退した大学のネットワークもなかなか捨てたものじゃない。本当は二回目の撮影会の時に渡すつもりだったのだが、当時、まだ一人での外出もままならなかった精神状態の小羽を目の当たりにし、ここで渡したら小羽は僕にばかり頼って社会復帰ができなくなる、と感じ、告白を諦めたのだ。

 それから二年、リングケースは未だに僕のポケットの中にある。最近の小羽は調子も随分と戻り、一人で外出したり仕事をしたりと、僕のサポート無しでも社会に出て行けるようになっている。それには彼女を引き取った親戚夫婦の介護があり、井塚さんや勤め先の人々の助力があってこその立ち直りなのだろう。たまに起こる発作も、その殆どが自分で処理できる程度にまで軽減してきていた。そろそろいいんじゃないだろうか、頭のどこかでそう思い始めているのだが、反対に、せっかく僕から独立しようとし始めた小羽を、告白することで再び縛り付けるつもりか、という考えも浮かび上がってくる。彼女と出掛ける予定があるたびに隠し持っている指輪は、未だ日の目を見ていない。小羽の復帰に寂しさを感じている自分がいる。認めたくないが、そいつは間違いなく僕の半身を占めているのだ。

「トッキー。さっき撮った写真さ、見せてよ」

 そういえば、井塚さんが乱入してきたときの写真をまだ確認していなかった。カメラを持ち上げて閲覧モードにする。撮れた写真にはオオコノハズクが映っていた。身を乗り出すようにピースサインを向けている太った井塚さんが威嚇時の、突然の接近に驚いて伸びあがっている細い小羽が委縮時の姿に似ていて、つい吹き出して笑ってしまう。なに、なに、とモニターを覗き込んでくる二人に事のあらましを伝えると、井塚さんは理解して笑ってくれたが、小羽はよくわからないといった反応だった。カメラを小羽に渡して、井塚さんに今日の成果を見てもらう。自分で手ごたえがあると思っていた写真の魅力は、井塚さんにも伝わっているようである。ほぉ、これ良いね、と呟く彼に、そうですよね、と僕の代わりに小羽が反応してくれる。二人の反応を楽しみながら、新宿の夜景に視線を戻した。

 僕と井塚さんが知り合ったのは吉祥寺駅から歩いて五分くらいのところにあるライヴハウスだった。西友吉祥寺店の正面にあるビルディングの地下にあるライヴハウスのバーカウンターで作品を撮らせてもらっている時、その日に開催されたパーティー企画のメインDJとして紹介されたのが、「DJ・FAT」というネームで活躍していた井塚さんだった。ステージ上でターンテーブルやパッドコントローラーを、ソーセージのような太い指で器用に操り、あの丸い身体からは想像もできない機敏な動きでオーディエンスを煽る彼を見たときの感動は今でも忘れられずに覚えている。そのあまりのギャップについ、許可をとることも忘れてカメラのシャッターをきってしまっていた。あとでオーナーにそれとなく注意されたが、趣味に没頭する情熱を評価してくれた井塚さんとはすぐに打ち解けることが出来て、パーティーのあと、場所を佐久間という居酒屋に移して、明け方近くまで語り合った。そこの店主は井塚さんの同級生らしく、朝まで一緒に飲み明かし、話に付き合ってくれた。それ以来、佐久間は僕の行きつけのお店である。

 こざっぱりとした門構えをしていて、一見高級そうな印象を受ける店内は、入ってみると寿司屋のようになっているカウンター席で、店内は既にたくさんのお客で賑わっていた。忙しそうにお客の眼の前で料理の腕を披露する佐久間さんに一礼して、カウンター席の後ろを素早く抜ける。狭い通路の先にある小上がりの引き戸を開くと、中は広さ六畳ほどの座敷になっていた。壁に設えられた間接照明が漆喰で塗られた室内を柔らかく浮かび上がらせ、雑踏の喧騒にもまれて強張った身体を優しく包み込んでくれる。奥の壁には膝丈ほどの棚があって、その上には木組み細工が施された背の低い行燈が飾られていた。落ち着いた和の雰囲気で統一された座敷は畳張りで、テーブルの下は掘り炬燵になっている。ずっと立ちっぱなしだった足の裏を休ませるには最高の環境だった。

 三人分のコートをハンガーに掛け終え、敷かれている座布団に腰を下ろす。体重の枷から解放された足の裏は蓄積した疲労を放出しようとしているかのように、ぐぅっ、と広がった。体重九十六キロの巨漢である井塚さんと飲食店に行く時は、必ずテーブルの一辺を彼一人で占領する形になってしまうので、僕と小羽は自然と彼の正面に隣り合って座ることになる。そして、これが僕らのいつもの席配置であった。

 席に着くとすぐに店主の佐久間さんが引き戸を開いて、毎度どうも、いらっしゃい、と活気のある声で歓迎してくれる。一人ずつに手渡しで温かいおしぼりを渡してくれるのは彼の接客時のこだわりで、こうするとお客さんと心を通じ合わせる準備ができるのだと言っていた。この居酒屋は京都の旅館で修行したという佐久間さんが三年前に独立して始めたという日本料理店で、現在は佐久間さんと奥さん、それから息子さんの三人で切り盛りしているのだと聞いている。息子さんは直也さんと言うそうだが、未だお目にかかったことはなかった。訊けば高校生で、勉強させるために仕込み以外では働かせていないのだそうだ。手伝ってもらった分は、ちゃんと人件費分の小遣いを渡しているのだという。

 ビール三つと簡単なつまみ、それから今朝仕入れてきたという鮮魚の盛り合わせを注文した。厨房に戻っていく佐久間さんを見送りながら、今夜はかなり売れているのだろうなと予想する。お酒は女将さんが持って来てくれるだろうけど、料理は時間かかりそうだね、まぁ、のんびり待とうよ、と言った井塚さんは無駄のない所作で額から首筋へとおしぼりを走らせていた。この人がやると様になるなぁ。

「井塚さんにおしぼり持たせると、なんか様になりますね」

 僕と同じことを考えていたらしい小羽の正直な感想に、井塚さんは、なにそれ、おれが太っているってこと? と不満げな表情を浮かべて見せる。続けて僕が、違うんですか、と問い掛けると、おしぼりを小さく折りたたみながら、違うも何も、この半年で八キロも減量したんだよ、と言いながら、折りたたんだそれを自分の腹の上に敷いた。更に、少しは細くなったと思うんだけどな、と独り言のように呟きながら、水の注がれたグラスを敷かれたおしぼりの上にのせる。とうとう限界を迎えたらしい小羽が盛大に吹き出し、ちょっと井塚さん、鏡餅じゃないんですから、と彼の渾身の自虐ネタにツッコミを入れた。水の注がれたグラスは井塚さんのお腹の上でお行儀よく鎮座している。得意げな笑みで、よし勝った、と呟いた彼は、グラスの水を一気に飲み干し、満足した表情でそれを逆さまにして、再び腹の上に戻した。僕の隣で小羽が腹を抱えて笑い転げている。テーブルじゃないんかい! と笑い声に混じって律儀なツッコミが返って来た。それから数回、ビールとお通しが運ばれて来るまで井塚さんの自虐ネタは続いた。息も絶え絶えに抱腹絶倒を繰り返していた小羽は、まだお酒が入っていないにもかかわらず、ほんのりと頬を朱に染めていた。

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