連載「若し人のグルファ」武村賢親40
薄暗い脱衣所にガスの電源だけを灯して、風呂に湯が張られるまでの間、一息つこうと服を脱ぎ、洗濯籠に叩き込む。
空調の冷房を限界まで下げ、適当なシャツと短パンを身につけてランダへと出た。
雨脚はアパートにつくなり弱まって、もはや霧のようになっていた。
干したときより重たくなった洗濯物は、すこし握っただけで水滴がひじまで滴り落ちた。もう取り込む気力もなく、明日まで放置しておくことにする。
丑尾は嫌がるだろが、今日は一枚のバスタオルをふたりでシェアするしかない。
暗い色に沈んだ廃材を眺めて、濡れるのも構わず手すりに寄りかかる。
どうしても、小糸の言葉を考えずにはいられなかった。
欠陥に愛着を抱くのは、むしろあなたの方でしょう。あなたは目の前の相手を理解するどころか、傷ついた弱い部分に惹かれてしまう。わたしにも、マティファにもね。きっとユウちゃんのこともそう。保護欲と兄弟愛を履き違えていんじゃない?
スマートフォンが着信音とともに震えた。肩が跳ねて、危うく取り落としそうになる。
黒電話のベル。画面には桑原と表示されていた。運転中にも電話をよこしていたらしく、着信履歴が五件も残っている。
嫌な予感がする。仕事の結果が気になって電話しましたと、いつもの声音で言ってくれ、そう願いながら通話表示に触れたが、聞こえてきたのは焦ったような桑原の声だった。
「よかった。つながった。先輩、いま大丈夫ですか」
「あぁ。どうした」
「ちょっと問題が、ユウくんがいなくなってしまって、それもけっこう前から。俺の友達がちょっかいを、かけたらしくて、そいつ昼間から酒飲んでいて、弾みで手を出したんだって」
やっぱりそうか。廃材の山を蹴る。
どうしてこう悪いことが重なるのかと、顔を上げて、ぞっとした。
廊下に光が漏れている。
「先輩?」
「桑原。しばらく連絡してくるな。落ち着いたら、こっちからかける」
返事も聞かず、通話を切った。リビングに戻りながらスマートフォンの電源を落として、ソファの上に投げ捨てる。
廊下には靴下の形通りの濡れた足跡がついていた。脱衣所へと向かっている。光源も脱衣所の中からで、すこしオレンジがかったそれは洗面台の電球の灯りだ。
そっとのぞくと、丑尾がいた。濡れた服を着たまま、鏡の前に立ち、一心不乱といった様子でなぜか歯を磨いている。
「おどろかすなよ」
一歩脱衣所へと踏み込んだとき、軽快な音楽とともにお風呂が沸きましたというアナウンスが流れた。風呂場の照明を点け、ちょうどいいや、先に入ってこいと声をかけながら振り返る。
目に飛び込んできたのは、丑尾の泣き顔だった。
鏡に映ったその顔に、涙の澪がはっきりと見てとれる。
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