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酔って思ったことを連綿と書き残す45「蔤荒佳教と申します」

はしがき。

拙作「シン・死の媛」一章の、前回の続きです。
前回では、絢ちゃんと先生がたくさんえっちをしました。
今回は庭師とのおしゃべりです。

タイトルの「蔤荒佳教みつらけかきょう」は、宗教名ではありません。「酔って思った(略)」42で最終章を落書きし、43で第一章の冒頭を落書きして、よくよく考えたら、先生の本名がえっちの如く、出尽くしていることに思い至りました。
「みつらけかきょう」と申します。長いね。

本編ではこれ以上触れる必要もないし、某有名アニメ「鬼滅の刃」の「大正こそこそ裏話」的にはなりますが、設定上、嘉国かこく燦国さんごくも元は同胞はらからなので同じです)で苗字を持つのは、貴族だけです。
梁園りょうえん(日本でいう皇族)は、宮家の名が苗字がわり。
今回ご登場あそばされる、庭師のおじいさんのようなご商売をされている方は、屋号が苗字代わり。
一般の方々は、お父さんかお母さんの名前が苗字代わり。アイスランド風です。
先生は貴族、侯爵ですので、一族のお名前を冠している。なので、名前がこのように長いんです。
みつらけが苗字で、お名前がかきょうです。
先生の面立ちのモデルは、中島敦先生です。なんともだらしのない、中島敦巨匠です。
個人的に抱かれたい文豪の顔、ナンバーワンです。次点は、森鴎外先生。三番目らへんで、D先生かな。
手際的には、太宰さん一択です(D!)

前回で「次が意外と大事」と言ったのは、先生のお家が、そっと豪奢であったことを書きたかったからでした。先に書いちゃった最終章の、先生の身分バレの伏線ターンです。
庭師のおじいちゃんは「坊ちゃん」と呼びますし、先生は下々にも敬語です。
育ちが、いいぞ。いいんじゃないですか?
という、ターンです。

ちなみに、作中に登場するたんぽぽコーヒーは、私は普段から愛飲しています。ただ、戦時中の代用コーヒーだったことは、今日知りました。
これからも、愛飲しますね。
次回は、闇市と先生です。

*****

 結局、冷藏庫は売るのを辞めた。査定の結果、金十五圓也。粘ってみたけど、それ以上値を上げてくれなかった。世知辛い世の中です。

「あ、」
 骨董品店のトラックを鄭重ていちょうにお見送りして、一息つこうと『たんぽぽ珈琲』の紙袋を開けると、薄暗い底が垣間見えていた。
「もう、ないのか」
 禁酒の誓いをして、はや一週間。莫迦ばかみたいにこればかりを飲んでいた。酒よりは安価だから、いいけれど。
「あとで、買い出しに行かなきゃ」
 袋を持ち上げて大粒を注ぐと、「あと残り一回分です」と、紙袋が教えてくれた。かしこまりました。どのみち今日は觀南かんなんに行かなきゃならないから、大丈夫です。ご安心ください。
 ケトルに火をかけ、居間のセティに、ごろり。子どもの頃は黄金色だった座面も、今ではすっかり芥子からし色です。
 ここはかつて、まるで北欧のお城のようなキャビネットにスタインウェイの自動ピアノ、猫脚のサイドテエブル、木彫りの姿見など、瀟洒しょうしゃに尽きる空間だったのだけど。
 今では天井のシャンデリアと、このセティと、暖炉があるので、洋花模様のファイアスクリーン。以上です。
 先ほどお見送りした骨董品店に、すべて売りました。
 二階に行くと、まだまだ売れそうなものが、ごろごろとあるはずなんだけどね。
 死んだ人たちの居室には、入る気になれません。
 床に転がしていた新聞を拾って、仰ぎ見る。全國生計費指數八月分一覧の右隣には、『今秋の宵花決す』の見出しが大きく踊っていた。
 もう、そんな時期か。
 見知らぬ娼妓が、緊張した面持ちで微笑む姿を覗いていると、台所のケトルが、怒り始める。
 火を止めてください。止めてください! 止めろ!
「はいはい」
 消火。瓦斯焜炉ガスコンロの業火から解放されたケトル君は、怒りで頭をカタカタと揺らしながら、湯気を立てている。しばらくご休憩ください。蒸れてて頂戴。どうせ先生、猫舌ですから。落ち着いて。
 立ち上がったついでに、あれを探しておこう。
 雨の載った、古新聞。
「多分こっち、」
 長い廊下を抜けて、螺旋階段へと向かう。窓の外は園庭ならぬ、樹海。
 と思ったら、なんだかすっきりとしていた。
 一部だけ。
「樹木のおじさん?」
 窓を擦り上げて、声をかける。不思議なもので、子どもの頃からの人の呼び方は、大人になっても変えられない。頭上から「ああ」と、老いた庭師の声が降ってきた。
「坊ちゃん、いらしたんですか」
 樹木のおじさんも、ご同様です。僕はもう、今年で三十八です。
 お早う御座います。
「いつから、やってらしたんです?」
 居間の壁掛時計は先ほど十時だったけど、庭木の剪定はだいぶ進んでいるようにお見受けされた。
「夜明け、かねえ」
 さすがはおじいさま。朝がお早い。
「夏、来られんですまんかったねえ」
 いえ。やってくださるだけ、非常にありがたいです。
「お体でも、悪くされてたんですか?」
 気になっていたことを尋ねる。三軒隣に住む樹木おじさんのお姿を、随分久方振りに見たような気がするからだ。老翁は少し色褪せた皺顔を、こちらへと覗かせた。
「腰をやっちゃってねえ」
 梯子から降りてくる。
「孫に仕事を全部押し付けて、寝ておったわ」
 お孫さん、可哀想!
 そうだ。
 降りてこられたついでです。
「ひと休憩して、うちに上がりませんか?」
 たんぽぽ珈琲、淹れたてですよ。

「上がるのは久しぶりだねえ」
 腰が良ろしくない老翁を、台所右隅の小ぶりな食卓間ダイニングへとお通しして、ケトルのたんぽぽ珈琲を、クローバーをあしらった羊色のカップへ注いだ。いつも、二杯分作るんです。
「そんなに飲むのかい」
 程よく温度の落ち着いた黒い飲み物を、樹木のおじさんは啜る。初めて飲むそうです。意外と、本物みたいでしょ?
興奮剤カフェイン、入ってないですからね」
 子どもの時は良くこれを飲んでいた。大人たちは珈琲、僕たち子どもはたんぽぽ珈琲。
 真逆まさか、大人になって、こんなに飲むことになるとは思いませんでした。珈琲が、国から消えるとはね。
 聞くと、おじさんは朝ごはんもまだとのことでしたので、玄米パンを差し上げました。それぐらいのことはしないと。無賃で庭を綺麗にしてくださっているんですからね。
 どうぞ。
「手前味噌で、恐縮ですけど」
 街へ下りたら、手土産も買ってこよう。おじさんの好きな遊花堂の豆大福、売っているかしら。
「これ、坊ちゃんが作ったのかい?」
 うまい。そう言って、大きなお口で二口目を頬張る。
「昨晩、作っておいたんです」
 ばかに広い台所も、配給の食糧も、独り身には余る。
「よかったら玄米、後で貰ってくれませんか?」
 冷藏庫に氷がないから、傷んでしまうの。
「いやいや」
 大きなジェスチャアで、お断りされた。
「うちも、儂と孫と、婆さんだけだからねえ」
 内乱の名残です。
 二城のご家庭は、大体が欠けている。樹木のおじさんの息子さんご夫婦も、戦死されました。
「まささん家なら、貰ってくれるんじゃないかい?」
 いつも、配給届けてくれるんだろ?
 樹木のおじさんの提案に、「そうですね」と返す。配給所はいつもどこも、大行列です。僕は、働いていて並べません。
「そうします」
 この隣保じゃなかったら、このご時世、僕は餓死していたに違いない。本当に、助かって居ります。
「パン作ってったら、どうだい?」
 いや、あの家、九人家族ですよ?
「一日中パン作っても、間に合わないですよ」
 食べ盛りの男の子が三人もいるんだから、二十個ぐらいは焼かないといけなくなります。そう言うと、樹木のおじさんは「違いねえ」と破顔した。
「でも、あそこん家は、飯食うのも一苦労だろうなあ」
 あっという間にパンを平らげて、おじさんはまささん一家を案ずる。それは、僕も常々思う。
 配給量が徐々に減ってきている。
 闇市で、ふっかけた値段の食糧でも買わないと、九人家族は間に合わないだろうな、と思う。まささんの旦那さまはとっくに戦死なされて、今は息子さんお二人が、恪勤かっきん戦士だ。上のお子さんがこないだ、リントヴルム団の少佐になられたんですよね。
 お目出度めでたいお話です。
「そうだ」
 先週末に思いついていたことを、樹木のおじさんに相談してみた。
「庭木を切って、畑にしたら、どうなります?」
「はあ?」
 農家でもやる気かい? おじさんの質問には、ノーです。
「ほら、今年の秋冬野菜が不作だ、って聞くじゃないですか」
 だから、畑を作って、
「みんなで共同で野菜を作ったらどうかな、って」
 なんなら、池も潰しちゃってもいいし。
 今度は、おじさんがノーです。
莫迦ばか言ってるんじゃないよ、坊ちゃん。そんなもん作ったら余所者よそものに盗られるだけだぜ」
 確かに。
「今年の冬には間に合わんし」
 本当だ。
「大体、この立派な園庭を伐採するだなんて、畏れ多くてようやらんわ」
 そうなんですよね。
 玄関の傍には、お庭を鑑賞するための木製のベンチまで、しつらえてありますからね。気候の良い時節には、まささんがよくピクニックをしてらっしゃいます。
「わかりました」
 まささんが寂しがるので、それは諦めよう。
「そんなことよりもさ」
 樹木のおじさんが、狭いテエブルから身を乗り出した。近いです。キスしそう。
「嫁さんは、貰わんのかい?」
 そうきましたか。
「あー」
 こないだ、求婚はされましたけどね。
「なんで断るんだよ」
 さすがに、相手が嘉国かこくのスパイだったなんて、言えません。まごついていると、
「良い加減貰わんと、勃たなくなるぞ」
 ど直球です。
「いや、もう、四十すぎると、男は駄目だ。觀南に、あるだろ? 結婚相談所。行ってきたらどうだい」
 あと、残り二年の命ですか。
 丸眼鏡を取り外し、菱目の天井を仰ぐ。
 結婚なあ。
 ずっと、考えてはいるのだけど。
 答えは出ません。

 樹木のおじさんに剪定の続きをお願いして、藍鼠あいねず単衣ひとえの装いでお出かけすることと致しました。
 午前十一時。
 先週のうだるような暑さとはうって変わって、少しだけ、秋らしい陽気です。燦々と照るお日さまは相変わらず容赦ないけど、だいぶ過ごしやすくなってきましたよ。
 乗合バスは、休日は運休。なので、歩きです。觀南地区までは、のんびりと歩いて小一時間ほど。南へと向かう前に、少しだけ北へ赴く。
 緩やかな坂道の、少し下方には、まささんのお宅。
「こんにちは」
 大きな木造の家に向かって、一声。はあい、と、お嬢さんの声が聞こえた。まささんの息子嫁のゆりさんが、割烹着姿でお出ましになる。いつもお世話になっております。
「お忙しいところ、すみません」
 言い置いて、玄米袋を一つ、ゆりさんの胸に預ける。重たくてかたじけない。
「食べきれないので、よければ、と思いまして」
 厭味いやみに聞こえるだろうか。
「良いのですか?」
 くるりとした黒目が、明るくなる。
たすかります!」
 いえいえ。こちらこそ、いつもお優しくしていただいてますから。
めぐるさんは、パンでもこさえていったらどうだ、なんておっしゃったんですけど、さすがに、九人分は作りきれないな、って」
 先ほどの樹木おじさんの話をすると、ゆりさんは、ふふ、と軽くお笑いになった。
「うちにもパン焼き器ありますから、これで私が作りますよ」
 ありがとうございます。
 その時は、僕の分もお願いしますね。そう冗談を置き土産に、おいとまをする。そういえば、まささんは不在だったのだろうか。
「マーケットに行ったら、いたりして」
 そしたら、買い出しを手伝おう。
 引き戻して、南方の坂を觀南に向けて、ゆっくりと下る。僕の家は、丘の上。行きは良し、帰りは最悪。色街いろまちから朝帰りする時は、ハイヤアです。大概、道を掃き掃除しているまささんに、呆れられます。
「良い加減、お嫁さんを貰いなさいよ」
 はい。
 すみません。
 考えておきます。
 何年、同じ問答を繰り返しているのやら。
 伊呂波紅葉いろはもみじは、まだ青緑。
 桜の葉は、散り始め。
 すすきの穂は風に吹かれ、白銀の妙。
 里芋畑はすくすくと。
 季節の進捗は、そんなところでしょうか。
 結婚、チョコレイト、豆大福、お昼ご飯、カレーライス、残飯シチュー、里芋、などと考えているうちに、坂を下りきり、視界は街へと変わっていった。
 乗合バスの停留所を素通りし、さらに南へ。
 住宅地を抜け、大通りに差し掛かる。土曜日です。ガソリンカアがたくさん走って居りました。
 排気ガスの霧で、視界不良。
「体に悪いよね」
 代用燃料とはいえ、これだけ走ってると、まるで魔界の瘴気に当てられた鼠の心持ちです。マスク必須。
「喉、やられる」
 気を強くり成して、大通りを早足で進む。何度もゴーストップに行手を阻まれながらも、僕の両足りょうそくは觀南地区へとようやく差し掛かった。
 色街が二城にじょう随一の歓楽街であれば、觀南地区は二城随一の繁華街。大通り沿いには、百貨店や大型の衣料品店、有名レストラン、銀行や商店なんかが、間隙なくびっしりと立ち並んでいる。東方には鉄道が南北に通っていて、主要駅である二城駅の、趣向を凝らした擬洋風ぎようふう建築の御姿は、凛々しくもあります。
 今日の目的地は、その線路沿い。
 跨線橋を渡った先にあります。
 崩落しそうなほど、すし詰めの跨線橋を潜り抜けて、『觀南マーケット』の立て看板に、ご挨拶。
 俗に言う、闇市です。
「チョコレイト、」
 先生も、必死です。広大なマーケットへ、いざ行かん。
 魅惑の、マーケットです。

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