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死の媛(八)


 今日、21人を殺した。これで、全部で何人になったのだろう?
 でも、まだ、残ってる。まだ、終わらない。

 回廊の端で、鐘楼を望む。
 暗赤の燈を有し、佇立している。

 不随の右腕が慣性で振れる。
 振れる毎に、薬指は光芒を放つ。
 俯いたまま歩く。
 血溜まりを踏む。
 生き延びた狂声を聴く。良かった。あなたたちは死なない。

 時計台を見上げる。
 17時40分。夜になった。
 見上げた彼は、様子がおかしい。誰かと何か、話をしている。
 死の媛は、その背面の月と見つめ合う。
 上弦の月が、美しい。


***


 絢ちゃんが帰ってきた。

 先生は、あれから美味しい肴もいただいて、美味しいお酒もたらふくいただいて、国境封鎖のこのご時世に敵国美女陛下と延々と談笑だなんていう放置遊戯を存分に愉しませていただきました。15年は寿命が減ったよ。
 せっちゃんも綺麗だったよ。見たかい?せっちゃん。見たよね?
 本当、意地悪な娘。今度いっぱいお仕置きしてやる。先生は、酔った!

「そろそろ」
 意地悪絢ちゃんが梅ちゃんに暇乞いを進言する。わかった、と、梅ちゃんは起立する。
 というか、僕と同じ酒量のお酒を飲んだのにへいちゃらなの、絶対におかしい。
「先生」
 梅ちゃん陛下が僕をお見下ろしになる。最高だ。
「また、どこかで」
 あ。言い淀む。言葉が出てこない。
 あの。「梅ちゃん。これからが、」
 楽しいのです。もうすぐ宵花さまがお出ましになる頃で、終わったら赤鳳楼で、せっちゃんをお祝いする行事もあります。来ませんか?
 まるで、真面目官吏の酔っ払いの口説き節だ。
 梅ちゃんは、そんな僕を笑う。
「いつか、来るよ」
 必ず。

 別れ際、じゃあね、と、バイバイしてくださった。
 梅ちゃん。嘉国女王陛下。ああ、なんて可愛いんだろう。闊達な女子もたまにはいいなあ。
 絢ちゃんも一緒に行ってしまった。
 今、ここは寂寞たるなんたら。
 月の沙漠?
「おぼろにけぶる、月のよを、〜」
 先生は歌う。異国の童謡だったかなあ。悲しいやつ。駱駝が、並んで、おそろいの。

 酔いしれた体は、気づくと丸窓から乗り出している。
 上弦の月だ。
「雨が、止む」
 先生は、そうして、月を見ている。


***


 食事はなかった。
 湯殿から上がって、僕の食膳にあったものは一挺の短銃だった。
 使い慣れた型のものだ。
 気になって、指先で銃身の或る箇所を叩く。従者が、その箇所を振り出す。
 弾倉に、6つの弾丸が装弾されている。
 湯殿から戻ってきたもう一人の従者が、帯革を僕の左足に装着する。着せられた瑠璃色の寝巻には、或る加工が為されている。
 その意味を、心に感じる。「あの時」と同じだ。自分が成し得る、「すべき」こと。
 思いと目標が、違えても。
 銃を左足に装着する。
 そして、食事が「出なかった」理由について、思い巡らす。
 右手の指輪を、見つめる。

 少しして。
 或る使者が訪れた。
 それを受けて、従者が僕を連れ出した。扉の外へ。僕は、私は、初めてその風景を知る。
 李宮、最上階。
 そして、その真隣の部屋は。

「呼び出してすまないね」
 総裁執務室右方から閣下の声がする。彼は執務椅子ではなく、傍の長椅子右隅に身を凭れかけている。
 その指には、熟した葡萄が摘まれている。
「おいで」
 促され、隣に座る。革製の長椅子が音を立てる。副総裁、上級官吏数名、警吏数名が、僕と総裁とを見ている。
 僕の濡れ髪に、彼の指が這入る。僕の口に、葡萄があてがわれる。
「美味しいよ」
 彼の人も、似たようなことをしてたな、と思う。

 左足に、1瓩の重みがある。
「侵入者がいてね」
 総裁曰く、東門からの侵入。
 ちょっと、ここに居てもらうよ。「死の媛を盗られたら、何かと面倒だからね」
 密着した彼の肉体は、いつもと違う顫動を繰り返している。先生なら「びびってる?」なんて言うのだろう。
 執務室内は、非日常に侵食され始めている。
 壁時計は、19時10分。


***


 李宮1階は戦場と化している。
 早くに玄関広間は攻略され、近衛兵らは上階からの増援投入を試みるが、そこにも侵入者たちが待ち伏せ、ままならない。
 射撃を受け、近衛兵連隊が散らされる。
 元々内部にいた李宮警察の数は限られ、総裁守護の観点により5階からは離せない。
 死の回廊へと繋がる隠し通路からの増兵導入も、外部から地下通路を制圧され、無力化していた。
 侵入者の数は、おそらく二百は超えている。
「どこから入ってきやがったんだ」
 連隊長がほぞを噛む。
 劣勢は、覆せそうにない。2階部分が、侵され始めている。


***


「今日は『秋の宵花祭』だよ」
 総裁が、朗らかな声でそう言う。その表情は僕からは見えない。ただ。
 副総裁が少し開いた扉の先で、何かの報告を受けている。
 僅かに見えるその表情は芳しくない。
「私は5年前の春、出所した」
 その夜、花魁道中を観覧した。
 間近で見た『十の一』のその美しさに、婉麗な所作に、その瞳の色に、心を奪われた。
 まるで月のような、淡い琥珀色をしていた。
「それが少年だと知った時は、驚いた」
 見つけた、と思った。欲しい、と思った。
 その宵花さまの名前を知る頃には、その少年娼婦は街から消えていた。
 程なくして、
「天渺宮が誕生した」
 扉の隙間からは、銃撃の音が間断なく聞こえてくる。
「盗られた、と思った。より、欲しいと願った」
 女王のモノを、片羽にして、汚してやりたかった。
 愚かだと思うか?
 僕は、何も言わない。

 扉が閉まる。副総裁が総裁に耳打ちをし、「いかがなされますか?」と、指示を仰ぐ。
 彼は、頑として首を横に振ったようだった。そんな振動だった。
 総裁の独白は続く。

 12年前。
 燦州は内乱の最中だった。私たちは左派政党の一味として、燦州独立の夢を叶えるため、州政府と何年も争っていた。
「あの時、女王が、私たちの統帥を殺した」
 知っている。
 僕は赤鳳楼で、楼主さまからそれを聞かされた。あの時、戦争は一度終わった。
「だから、天渺宮を率いて燦州に来た女王を、同じ方法で殺した」
 女王の娘に同じ思いを味わせるために。
 己の夢を叶えるために。
「そして、おまえを手に入れるために」
 総裁の指が食い込むのを左腕に感じる。体の震えを、背中に感じる。
「そして、おまえを。雨を。天渺宮を。『死の媛』に誂えた。女王の『飼い猫』を、飼い殺すために」

 執務室内は、静謐に包まれる。
 飼い猫は視線を感じて、月色の目を前方に投げる。副総裁が『飼い猫』だけを、じっと見ている。


***


 二城の中心地は、平時よりも閑寂としている。宵花祭に人浪をもがれ、車通りもまばらだ。
 その大通りを一台の車両が、猛然と東方へと走り抜けてゆく。今頃、侵攻は李宮の3階まで進んでいるだろう。
 松竹梅の振袖は、後列の中央に座している。
「我儘言って済まなかったな」
 右手に控える絢に、女王陛下が謝罪する。いえ、と、柔和な笑みを浮かべて、若き臣下は続ける。
「花魁、綺麗でしたね」
 ああ、と女王は答える。綺麗だった。
「また、見られるだろうか」

 窓の外は、李宮の現在を知らない。


***


 侵入者による南門の制圧。3階への侵攻開始の一報は、総裁の意思を転じさせた。

「脱出口を」
 そう命令し、立ち上がる。死の媛もそれに倣う。視線の先で警吏らが、執務机を動かす。床に何かの細工があるのだろう。
「許さない」
 わななく声音は、遠く、嘉国女王に向けられている。
 また、我らを殺そうとするか。
「終わらせてなるものか」
 嘉国を壊すまでは。
 死の媛は、視線を左後方に逸らす。
 背後の副総裁は、おそらく「気づいて」いる。
 警吏の、執務机越しに「こちらへ」と呼ぶ声がする。総裁が一歩を踏み出す。

「閣下」

 3年ぶりに聞く、自分の声。
 愕き振り返る長身の顎下で、死の媛は撃鉄を起こす。
 右腕が後方に振れ。
 背後で、乾いた同じ音がする。
 それでいい。
 閣下の喉元に、銃口を突きつける。

「    」
 死の媛は、嫣然と笑った。

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