見出し画像

死の媛(六)

 私には、居室の他に或る一室が供されている。
 異国建築然にしつらえられた空間は広く、窓と思われる箇所は木材で意図的に塞がれている。
 7、8人が集えそうな卓子が中央に据え付けられている。
 鏡台があり、衣桁が二つ、部屋の片隅に置かれている。
 湯殿も別に付けられている。
 部屋には必ず、二人の女の従者が控えている。

 戻りしな、従者たちは恭しく一礼をし、一人が私に寄り添い、もう一人は湯殿へと向かう。
 手際よく、血まみれの装衣が剥がされてゆく。
 挿していた髪飾りが取り払われる。
 黒く長い髪も、取り払われる。そうして僕は、真人間になる。

 湯殿に控えた従者が、僕を洗い落とす。蓬髪を、体を、丹念に洗う。全て、業務だ。

 食膳は常に豪奢で、旬の食べ物が卓子に並ぶ。並ぶもので、季節を知る。
 鮭、牡蠣、蓮根。栗。
 葡萄。
 そんなもの要らない、と思う。食べたくない。でも、或る言葉を思い出す。
 口癖のように、彼の人は言っていた。口酸っぱく。
「食べろ」と。
 そうすりゃなんとかなるから、と。
 食の細かった自分に、出された料理を色々食べさせてくれた。菜の花、茄子、鮭、苺。椎茸、菊の花。鯛。蓮根。舞茸。チョコレイト。

 栗の甘露煮を、口に入れる。
「最高だな」と言う彼の人が、思い起こされる。美味しい、と、少し思う。

 折り畳まれた塵紙が、配膳の片隅にある。乱雑な紋様が手描きで描かれている。
 読み解きながら、葡萄を口にする。
 美味しい、と思う。
 自分も、人であることを思い出す。ただ、その資格が、僕に必要だろうか。
 食べても、いいのだろうか。

 事が済み、体は義務的に、居室へと連れられていく。
 地下深く、降りてゆく。
 鉄扉を通る前に必ず、数粒の錠剤を服用させられる。それから入室して、鍵をかけられる。
 それが何なのか、僕は知っている。
 二粒なら眠くなる。三粒なら彼がやってくる。
 今日は、三粒だった。
 居室には鉄製の寝台だけがある。
 寝そべり、待ちながら、思い出す。

「かわいそう」という単語には、二つの漢字があるんだよ。
 9才の頃だったと思う。
「可哀想、と、可愛そう、があるんだ」
 哀と、愛がある。
「どうして、そうなったと思う?」あの、得意げな顔。
 今はもう、知っている。あの頃は、わからなかったな。どうしてそれを僕に言ったのか。
 同じような感情が派生して、異国の言葉とも連動して、文字が分裂する。
 その答えも、教えてくれなかったし、もしかしたら、彼の人のことだから、適当だったのかもしれない。

 疲れた左手の指を往復させ、折り返し、7で止まる。それを繰り返す。4と7に、同じ指輪はある。
 今でも、丸眼鏡をかけているのかな。
 やっぱり、遊んでいるのだろうか。ここにいたりも、するのだろうか。少しは、老けただろうか。
 今の僕に、何を言う?

 眠い。疲れた。腕が、だるい。頭が、思考が、もう、わからない。僕?
 私?

 指輪を外す。
 寝台の下に、転がす。でも、ここだと、見つかるかな。
 どこか、別の場所に。
 みっともなく探そうとして。

 施錠の外れる音と靴音が、僕のそれを、咎めさせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?