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酔って思ったことを連綿と書き残す31「能力と人格」

明けましておめでとうございます。

というわけで北陸の地震が起きる前、のんびりと実家でテレビを見ていて、なんの番組だったかはわからないけど、ME⭐︎SAの会員証をキーホルダーみたいに、傷がつかないように持ち歩いて、それなりに業績もあることをおっしゃってらした方がいたんだけど、なんだか気持ち悪かったです。

自分のIQは知った方がいいとは思う。差別化のためではなく、自分のスペックを自覚するためにです。
自慢するための能力ではない。すごいんだろうけど、自分の自慢がそれ、っていうのは、ちょっと悲しいと思いました。
業績は素晴らしいのに、勿体無いし、わかっていそうで、そこまでの人でも、そういう個人の性格や経験値として、そうなるんだな、気をつけよう、と思いました。気持ち悪いとは第一印象として思ったけど、多分その人はただの寂しがりやなんだろう。

私はそこまで優秀じゃないけれど、生まれ持ったものは、他者と介在した時に、効率的に雄弁に振る舞うためのものだと思っています。
仕事上の分かりにくい事象、解決が難しそうな問題。わちゃわちゃになっていて、迷走している現場で、その中でおそらく自分だけが、最適解が分かっている。そういう時にみんなにヒントを出せる。自分のIQだけじゃなく、他者の個々の能力値を分析した上で、出た方が無難だと思った時にヒントや最適解を出せる。
自分の知能のレベルを知っていれば最低限の出力でそれができる、と思っているんです。
頭のいい人のふり、とか、実際に頭が良くってそれを出し惜しみなく威張り振る舞う、とか、それは、逆説的な自己憐憫だと思う。わかりやすくたとえたら、ピエロのような。

いろんな才能があって、それを活かすのは自分自身よりも、他者の平穏、もっと言えば、自分の住んでいる小世界の歯車の潤滑油のように使うのがいちばん適している、と思います。いろんな方法があると思います。たまたま私が授かったものが、優の分野では知性と仲介性、劣は、そのために自分に嘘をつくことです。自分に嘘をつかないと、いけません。それでも優のために、私は劣を尊びたいし、それを選ぶ。
とはいえ、IQと人格は棲家が違うから人にとってはそれはとても難しいことなのかもしれない。
私が上から目線に見える人もきっといると思うし、なんとも、だけど。

私は、能力は他者のために使うのがいちばんだなあ、と、ただただ、そのテレビを見ていて改めて思ったのでした。ものすごくわがままなことだけど、ピエロに見えるか、ピエロになるか。ピエロでありたい、と思うんです。
挙手して、嘘つきでありたい。
それが、私の最適解。
その放送の後に、能登半島の震災が起きました。

災害を経験したこともあるし、個人的に、着ている衣服以外の一切合切を失ったことも幾度かあります。今でも、失われた物を思い出したりします。
だけど、悲しい出来事は、必ずいつか自分の糧になります。劣は、優です。

どうか今は、ご自身の小世界を大切に。

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