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"慣れ"は都合が良いのか悪いのか?

我が家は二世帯住宅で、ぼくの家族は2階に住んでいる。
住み始めたころは、長男は幼稚園児、次男坊は赤ん坊だった。

二人とも小さかったから2階のスペースは広く使えていたが、この子らが大人になったら、狭くなって息が詰まるんじゃないかとその頃は思っていた。

あれから20年が過ぎた。
社会人になった二人の息子は、あの頃とは比べ物にならないくらいの大男になっている。
ぼくは息が詰まっているのか?
と聞かれると、意外にそうではない。

大男が二人、ソファでくつろぐぼくの周りをウロウロしていてもあまり気にならない。
真夏の暑い日に上半身裸でウロウロされたら、暑苦しさがパワーアップしそうだが、それがそうでもないのだ。

ひょっとしてまだむさ苦しい大男たちのことを、小さな子供と錯覚しているのだろうか。
さすがにそこまでぼくは親バカじゃない。

この"慣れ"と言うのは、実に都合がいい。

通勤の時の満員電車
徹夜の仕事
筋トレの後の筋肉痛
会社の上司からの叱責

例えば幼稚園児がある日突然大男に変身したら、そりゃ息が詰まっていただろうが、20年の間に少しずつ大きくなっていったから、それなりの"慣れ"があったのだろう。

どれもこれも慣れてしまえば、なんてことない。しかし"慣れ"はいいことばかりでもない。

痛ましい交通事故
繰り返される犯罪
多くの人を苦しめる災害
それに世界中で起きている戦争やテロ

どこかぼくたちは慣れてしまっていないだろうか。
"あぁ、またかぁ"って他人事のように思ってしまっていないだろうか。

ぼくに何ができる訳じゃないけど、他人の苦しみに慣れてしまうような人間にはなりたくない。

"慣れ"と言うのは都合がいい。
その"慣れ"をどんな都合にするかは自分次第だ。

小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。