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【連載小説】小五郎は逃げない 第31話

【15秒でストーリー解説】

「逃げの小五郎」と称された幕末の英雄・桂小五郎は、本当にそうだったのか。

新選組による桂の恋人・幾松の処刑に乗じて桂をおびき出し、反幕府体制を一網打尽にする策略を企てていた。

 幾松奪還作成の前日、岡田以蔵は一人、師でありながら以蔵の暗殺を企てた武市半平太を訪ねる。

 武市はいつもと変わらぬ態度で以蔵と接するが、同じく日本を変えようとする桂との思想の相違を目の当たりにして失望する。そして心から敬う師との決別を心に誓うのであった。

愛する人たちのために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

決別 2/3

 蒸し暑い夏の夜だった。珍しく京の町にも蛍が舞っていた。以蔵は一人、深い悲しみに包まれながらうす暗い闇の中を歩いていた。蛍が放つ微かな灯りが、以蔵の前で怪しげな人影を映した。
 
 最初に人を殺した時のことは、なぜかよく覚えていた。土佐の道場で剣術の稽古に励んでいたころから、以蔵は武市に心酔していた。いっしょに京に上ってきた動機は、武市の教えを乞いながら、身の回りの世話ができればいい、その程度にしか考えていなかった。ある日、武市から人を殺してくれと頭を下げられた。それもたった一人で。期日まで指定された。以蔵は何のためらいもなくそれを引き受けた。しかし、一人になると人を殺すことへの恐怖心が、以蔵の心を席捲した。相手は土佐勤王党の活動に障壁となる同じ土佐藩の役人だとしか聞かされていなかったが、武士である。確実に殺さなければ武市が窮地に立たされる。自分が斬り殺される危険性もある。
 
 だがやらなければならない。以蔵は自分に言い聞かせ、暗闇に紛れて相手を襲った。手が震えたが難なく斬ることができた。と言うか、自分が自分で思っているより強いことがわかったが、精神はそれほど強くなった。数日間は吐き気が続いて食べ物が喉を通らなかった。そんな以蔵を尻目に武市は次の暗殺の依頼を以蔵に告げた。この時からは依頼と言うよりは命令に近かった。以蔵はまたいとも簡単に人を殺した。人は何にでも慣れるものなのか。こんなことが続くと、人を殺すことに対して罪悪感が薄れていく。殺す相手の家に押し入った時は、女子供まで惨殺した。自分の手が血に染まることに何の違和感も持たなくなっていった。そんなことを思いながら歩いていると、京の町から少し離れた辺りか、後ろから接近してくる人の気配に気が付いた。
 
「何やき、蛍のせいで敵がよう見えゆう」
 それは武市の屋敷を出てから後を付けてきた刺客だと言うことが、以蔵にはすぐにわかった。刺客たちは人気のない場所まで以蔵を泳がせ、殺した後に死体を茂みの中にでも放り投げてしまえば片が付くと思っている。まるで野良犬のような扱いである。以蔵は丸腰。振り返って逃げない限り、斬られるしか道はない。
 
「武市先生、これが答えかえ」
 以蔵は膝から地面に崩れ落ちそうな脱力感の中で、このまま斬られてあえなく絶命した方が楽かもしれないと思った。所詮野良犬のような人生だった。道端で野垂れ死ぬのが相応しい。しかし、以蔵がそう思ったのは一瞬のことだった。
「わしは明日、友のために命をかけてやらせんとあかんことがあるぜよ。死なん、こんなところで死なんぜよ。」
 以蔵は独り言ちると、丸腰のまま静かに戦闘態勢に入った。桂との約束を果たすためだけに、力の入らない身体を奮い立たせ、たとえ屍になろうとも、桂の元に戻ろうと強く心に決めた。
 
 刺客が一人斬りかかってきた。以蔵は気配を頼りにすばやく避けた。夜の暗闇で暗殺を繰り返してきた以蔵には刀の軌道が見える。何とかして刺客の刀を奪い取らねばならない。二人目が来る。自分が斬られるのが先か、相手の腕をへし折って刀を奪うのが先か。意を決した時、身構えた以蔵の横に音もなく寄り添うように別の人影が並んだ。その人影は木刀を二本持ち、無言のまま一本を以蔵に手渡した。それよりも何よりも、以蔵の絶望的な気持ちを一気に希望へと変換させた。
 
「どないしたぜよ。明日は大事な日になりゆうきに、こげなしょーもない喧嘩におまんが加勢する必要はないぜよ」
 以蔵は本心とは裏腹に愛想なく話しかけた。
「友の一大事だ。黙って見過ごすことなどできるはずがない。私を見くびるな」
 その影の答えも、以蔵に劣ることなく愛想がない。
「すまんのぉ、そしたらやるかえ」
「無論、蹴散らす」
 
 以蔵と桂は木刀を振りかざし、刺客たちの中に躍り出た。刺客は合計五人。不意を突かれた刺客たちは、以蔵と小五郎を取り囲むように散開した。相手はたったの二人。多勢に無勢。取り囲んでしまえば、相手の動きも鈍るだろうと刺客たちは読んだ。しかし、それは油断しただけのことだった。桂は気配だけを頼りに、刺客の一人の脇腹に木刀を叩き込んだ。怒りの任せた一瞬の早業だった。その刺客は声も上げられずに、地面に倒れ伏せた。残った刺客たちは一瞬怯んだが、一人の刺客が桂に向かって突進してきた。桂は微動だにすることなく、木刀で受け止める体勢を取った。そこに以蔵が割って入った。桂の目前で刺客は以蔵の一刀でバキッという音と伴に肋骨を砕かれ、あえなく悶絶した。
 
「おまん、何をしちゅうがかえ。木刀で刀をまともに受け止めちょったら、簡単にへし折られてしまうぜよ」
「そうか、助かった」
「全く世話が焼けるやつぜよ」
 残った三人の刺客は、うす暗くてわからなかったが、以蔵の言葉を聞いて相手は日本刀ではなく木刀を持っていることに気付いてしまった。先の木刀を折ってしまえばこっちのもの。刺客たちは鍔競り合いに持ち込むようにして斬りかかってきた。二人の木刀は忽ち傷み始めた。
「こいつら木刀をへし折る気ぜよ。早いこと決着をつけなあかんきに」
「私もそう思っていたところだ」
「一気にいくぜよ」
 
 刺客の一人が桂に斬りかかってきた。桂は木刀でそれを受け止めた瞬間に、以蔵はすばやく桂の背後に回った。桂は刺客の足を止めている。以蔵は桂の背後から桂の頭上に飛び上がり、桂の目の前にいる刺客の顔面に渾身の力を込めて飛蹴りを食らわせた。その刺客は何が起きたかもわからず、あえなく気絶した。この様子を見ていた残り二人の刺客は、声も出さずに背を向けて逃げ出した。剣豪と暗殺剣が手を組めば、この程度の相手なら造作もなかった。敵が退散していったことを見届けると、桂は木刀を持ったままゆっくりと歩きだした。
 
「小五郎、どこに行くぜよ」
 以蔵の問いかけに、桂は何も答えない。
「小五郎、どこに行くがえ。敵はもうおらんようになったきに。帰るぜよ」
 以蔵は桂の後を追いかけて、桂の肘を掴んだ。桂は以蔵の腕を振り解いて、なおも前進を続ける。
「小五郎、どないしたぜよ」
 以蔵は大声で言った。
「許さん、絶対に許さん!」
 立ち止まった小五郎が、やっと口を開いた。
「何がかえ」
「武市瑞山、わが友への裏切り、絶対に許さん、叩きのめす」
 桂は声を絞り出すようにして言った。
「何をあほなことを言うとるがかえ。武市先生の屋敷に殴り込みなんかかけて、ただで済むと・・・」
 そう言って桂の肘をもう一度掴んで、力尽くで振り向かせると、以蔵は桂の顔を見てしばらくの間絶句した。
「何でおまんが泣いとるぜよ」

<続く……>

<前回のお話はこちら>

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