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【連載小説】小五郎は逃げない 第30話

【15秒でストーリー解説】

「逃げの小五郎」と称された幕末の英雄・桂小五郎は、本当にそうだったのか。

 桂の生存と知った新選組は、桂をおびき出すために桂の恋人・幾松と桂の仲間を処刑すると京の町中に触れ回った。桂と岡田以蔵は坂本龍馬の協力を得て、幾松奪還作戦の準備を進める。

 大量の木刀を京の町中に隠し回った桂は、その帰路に新選組と遭遇する。新選組に会話を盗み聞きした桂は、新選組の反幕府体制を一網打尽にするための本当の狙いを知ってしまう。

愛する人たちのために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

決別 1/3

 桂は寺田屋への帰路、尾行されていることを警戒して、何度も道を変えながら歩いた。四条大橋にも近づかないようにした。寺田屋に戻ったときには、片道一時間のところを二時間近くかかっていた。寺田屋の中に入るのも裏口を使った。以蔵はまだ戻っていなかったし、龍馬もいなかった。桂はお登勢に風呂を沸かしてもらい、体中に染み付いた汗を落とした。湯船の中で、桂は近藤が言っていたことを思い返していた。確実に罠を張られている。しかし、なぜかこの戦いを止めよう、話し合って幾松を返してもらおう、などという考には至りもしなかった。この男は元来そういう気質なのである。逃げる、逃げないという次元の思想ではなく、戦うことが彼にとって至極当たり前のことなのである。それは幼少の頃、気が小さかったために周りの友達からあざけられてきたことが起因していた。桂は喧嘩が弱いながらも、あざけられることに甘んじる性格ではなかった。彼は弱い自分を変えたい一心で、剣術に打ち込んだ。だれにも負けない、弱い自分から逃げないというだれよりも強い思いが彼を支え続け、それが桂を剣豪へと導いた。そして、剣術ではだれにも負けないという確固たる自信が、日本を新しい国に作り変えるという攘夷派の活動へと突き動かしていく原動力となったいたのである。「逃げの小五郎」と言う呼ばれ方は、桂にとってこの上ない侮辱であった。しかし、以蔵を巻き込んでしまったことに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。幾松も以蔵も死なせることなく、守り抜くことを桂は改めて心に誓った。
 
 風呂から上がって一息ついた桂は、夕方になっても以蔵がなかなか寺田屋に帰ってこないことに、少しずつ不安を募らせていった。もしやまた刺客に襲われているのではないか、明日の作戦準備に支障を来して、手間取っているのではないか、まさか単身で新選組の屯所へ殴り込みをかけているのではないか、いろいろな不安心理を抱えながらひたすら待ち続けた。そこに龍馬がふらっと帰ってきた。
「桂さん、もう戻って来ちょったかえ。明日の準備は万全かえ」
 龍馬がのんきに尋ねた。
「木刀の準備は問題なく終わりました。昼前に京で以蔵殿と別れたのですが、まだ戻って来ないのです。何かあったのではないかと、心配していたところなのです」
 桂は以蔵の身を案じていることを、率直に伝えた。
「以蔵のことかえ、あいつのことなら何ちゃ心配せんでええぜよ。あいつはやることが、良く言うと用意周到と言うか、悪く言うとどんくさいというか、子供の頃から何ちゃ馬鹿丁寧なんぜよ。そのうちひょっこりと帰って来ゆうぜよ」
 龍馬はまたのんきそうに答えた。
「そうですか。それなら良いのですが・・・」
 桂の心配をよそに、以蔵はなかなか戻って来なかった。龍馬から酒を薦められたが、それも断り、ひたすら待ち続けた。日が暮れそうになってきた。
「坂本殿、以蔵殿が戻って来ません。少し辺りを見廻って来ます」
 
 武市は日暮れになり、自室に運ばれてきた膳を前に一人夕食を取ろうとしていた。
「武市先生、おられるかえ」
 武市にとって聞きなれた声が障子の向こうから聞こえた。
「以蔵か、入れ」
 以蔵は静かに武市の部屋に入った。その部屋にはだれもおらず、武市と二人っきりの空間になった。
「以蔵、またわしの屋敷に忍び込んで来たか。普通に玄関から入ってくればいいものを」
「いやいや、この恰好やき、屋敷の人らがあんまりええ顔せんぜよ」
「そうか、不自由な思いをさせておるな。しばらく辛抱してくれ」
 武市は無表情のまま言った。
「武市先生のためじゃったら、何も辛いことはないきに。心配せんでええぜよ」 
 以蔵はいつも通りに武市と話す口調で答えた。
「それで今日は何の用だ」
 武市は相変わらず無表情のままだった。
「いやぁ、久しぶりに武市先生の顔を見たくなったぜよ。元気にされちょたかえ」
「わしは見ての通り息災じゃ」
「それは良かったぜよ」
 
 他愛もないいつもと変わらない会話だった。しかし、なぜかこの会話が以蔵には悲しく思えた。その会話も長くは続かず、二人は話すことが尽きてしまった。沈黙が以蔵に本題を切り出させるようにせっついてきた。
「武市先生、さらの日本を作る仕事は順調かえ」
「抜かりなくやっておる。わしがこうして京に留まっておるのがその証拠だ。おまえにもまだまだ働いてもらわねばならん。以蔵、これからも頼むぞ」
「わしはこれからも人を殺し続けないかんかえ」
「それは時と場合による。以蔵は何も心配せずに、わしに付いてくればよいのだ」
「これからも人を殺し続けたら、さらの日本ができゆうかえ。先生、何やら日本がさらになったら、日本中の人らが毎日腹いっぱい飯が食えるっちゅうて聞いたけんど、それはまっことかえ」
「そんな話をどこで聞いてきた。確かに日本は諸外国に対して強くならねばならん。政治力も経済力も軍事力も、それ相応のものに発展させていかねばならん。今の幕府の連中は、そんなことを全く分かっていない。だから誰かが幕府にとって代わって日本を正しい方向に導いてやらねばならんのだ。そのためには、多少の犠牲は払わねばならん。幕府を倒し、新しい政府を築き上げるためには莫大な金が必要になるのだ。日本の民たちにはしばらくの間、生活を謹んでもらわねばならん。もちろん、国が富めば国民にも見返りはある。おまえは何もわかっておらんのだなぁ」
 武市はそう話すと呆れたように顔をした。
 
「そうかえ。民の暮らしは後回しってことかえ」
 以蔵は悲しい気持ちになったが、武市に悟られないように表情には表さなかった。桂と明らかに思想が異なっている。桂は国民の生活を豊かにするために戦っていると言っていた。武市は違う。武市の攘夷活動は、あくまでも国を強くすることが目的であり、国民の生活は後回しだと言った。今までこのような話は武市からしか聞いたことがなかった。以蔵の人生観そのものは、武市の思想の基に成り立っていると言っても過言ではなかった。武市は世の中で最も正しい、世の中を正しい方向に導く、武市が人を殺せと言えば、それも以蔵にとっては正義であり、暗殺を繰り返すことに何の罪悪感もなかった。その以蔵の心の中に、今まで出会ったことのない桂の思想が混ぜ込まれた。二つの思想は混ざり合うようで混ざり合わない。自分は何のために暗殺を繰り返してきたのか・・・。今までは武市のためだと断言できた。それは日本という国を守るため、日本国民のためでもあったのではないか。しかし、桂は人を殺さずとも志を成し遂げることができると言った。自分が行ってきたことは間違っていたのか。自分が間違っていたのであれば、武市自身が間違ったことを言っていたのか、以蔵の頭の中はぐちゃぐちゃになり、考えが何もまとまらなかった。
 
「武市先生、何やきなぁ、このもやもやっとした気持ちは・・・」
 以蔵の口から思わず言葉が漏れた。桂の言う通り人を殺すことが罪深いことであるならば、自分は大罪人である。大罪を犯して忠誠を尽くしてきた目の前にいる武市は、自分の命を狙っている。
「以蔵、おまえは何も考えなくて良い。今まで通り、わしの言う通りにしておればそれでいいのだ。それが正しい道なのだ」
「やかましいぜよっ!」
 以蔵は怒号した。
「正しい道ってなんぜよ。武市先生はわしに道を説いたことが一度でもあったかがかえ。教えとおせ、今ここで!」
「どうしたのだ、以蔵。いつものおまえらしくないぞ。何かあったのか。今日はもう遅い。落ち着いてから明日出直して来い」
 武市からいつも掛けてもらっていた優しい言葉に、以蔵はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「武市先生、何やきなぁ、もうお会いすることはないぜよ」
 以蔵はくるりと武市に背中を向けると、静かに部屋を出て行った。

<続く……>

<前回のお話はこちら>

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