ぼくとわたしとニコニコ動画と東方キャノンボールと艦隊これくしょんと小説家になろうと米津玄師とアナ雪2と猫宮ひなたと、あるいは救済としての野獣先輩

この記事は、 ツナガルダイガク Advent Calendar 2019( https://adventar.org/calendars/4658 )の9日目の記事です。


安心してください、ボカロについての記事です。

こんにちは。あざばて。(@bateaza)といいます。大阪市立大学という大阪市の最果ての公立大学でボカロ部(@ocu_39)に所属しモニョモニョと活動しつつ、副業で社会学を勉強しています。この12月からついにボカロ部の四代目部長に就任してしまいました。どんどん社会から隔絶されていくのを感じています。

これ書き終わって字数見たら12000文字とか書いてあって震えあがりました。読むのが大変そう。なに考えてこんなに書いたんだ反省しろ。


前振り

ところで、ぼくはボカロ部の部長をするかたわら、去年自分(を含む数人)で立ち上げた大阪市立大の東方サークルの副会長も務めています。

余談ですが、自分の名刺は東方サークルの副会長としての名刺しか作っていなかったので、ツナダイの知り合いに対して東方サークルの副会長って書いてある名刺を配ったことがあります。反省しています。

今回はボカロ部としての文章なので東方サークルの方について宣伝することはしませんが、ボカロに詳しい人なら東方も多少は聞いたことがあるって人は多いんじゃないでしょうか。僕はボカロと東方を「お隣さん」と呼んでいます。それはなぜか?


ニコニコ御三家

言わずと知れた、ビリー・ヘリントン、松岡修造、必須アモト酸のことです。あっそっちじゃない? 歪みねぇな♂。

裏じゃなくて表の御三家、「東方Project」「アイドルマスター」そして「VOCALOID」。2007年からのニコニコ動画隆盛期を盛り上げたオタク系コンテンツのうち、二次創作やファンメイドを大きな原動力として爆発的な人気を誇った三種の神器。ぼくたちみたいな20代から、今なら30代くらいも含むのかな。ここの世代のオタクにとってストライクど真ん中になるだろう、かつての覇権ジャンルってやつです。

東方に詳しくない人でもこの文章を読んでいるボカロ廃人の皆様なら「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」の一節は聞いたことがあって然りでしょうし、「とかちつくちて」の七文字が何を意味するかはご存じでしょう。

えっご存じでない? ボカロ廃人がニコニコ動画にハマってたとは限らない? ボーカロイドをニコニコ動画の内部ジャンルとして規定すること自体がそもそも時代遅れだ? な、なるほど。時代の流れに心の痛みを……

魔理沙は大変なものを

図1:感じないアリス・マーガトロイド

……えーっと。こいつらの流行は、まさにニコニコ動画の流行およびゼロ年代のインターネットにおけるオタク文化の潮流を体現しているのです。


アノニマス

それはFlash黄金時代についてもそうなのですが、その文化やコンテンツを作るのは、無名の誰かでした。2chを例にとればわかりやすく、コピペとして著名な「初カキコ……ども……」も「よーしパパ特盛頼んじゃうぞー」も、書き込んだのが誰なのかはわからないのです。でも現代ではそうではなくて、「スマイルプリキュア」って呟いたのが誰なのかは周知の事実なのです。(さっきからインターネットにズブズブに浸かってる手遅れな人間にしかわからない語彙なのかもしれませんが、まあ、よかったら検索してみてください。僕たちが遊んでいたインターネットっていうのの片鱗を見てみることができるんじゃないかなって。)

で、まあ、そこまで完全な匿名性が大事というわけではないのですが、当時は、プロもアマと同様にただのユーザーとして作品を投稿していました。それは「初音ミクを盛り上げるもののうちのひとり」だった。さらに、プロの漫画家やデザイナーなんて人もただのユーザーの仲間としてそのジャンルを盛り上げていました

いわば個人の遊びだったわけです。っていうのはほかの取り方もあって、サンドボックス(砂場)だったという言い方もできるわけです。僕たちが楽しんでいたのは最初から、大きな砂場としての、砂の惑星だった


井上織姫

OtomaniaがIevan Polkkaにてはじめて初音ミクにネギを持たせた(諸説あるかもしれないけれど)のには元ネタがあって、BLEACHの井上織姫がネギを振り回す「ロイツマ・ガール」というFlashアニメがあるんですね。

ロイツマガール

画像3

図2-A:ネギを振り回す井上織姫

図2-B:ネギを振り回す初音ミク

類似性

まあこれ自体は豆知識程度のことなんですけど、そのあとに初音ミクといえば「ネギ」という共通認識が作られるようになりましたよね。これは「公式が作った設定」じゃないんです。あるユーザーがそれを生み出して、ほかのユーザーがそれを発展させていく。誰かの砂山に砂をみんなで載せていく。そうやって、公式(中央)に対する二次創作(周縁)という中央集権の形ではなく、ユーザーが二次創作、三次創作を繰り返しながら、その中で共有される設定や認識を作り上げていく

それこそがVOCALOIDであり、ニコニコ動画であり、ゼロ年代インターネットの営為だった……と、僕は思っています。そしてぼくが惹かれた世界とは、まさにそれだった。

私の時間

図3:「ねぎを回すしかないー!」ネギネタの再生産

東方でもアイドルマスターでも、似たような現象は起こっていました。アリス・マーガトロイドは霧雨魔理沙を追いかける変態になったし、鈴仙・優曇華院・イナバには座薬が挿されたし、博麗霊夢は草を喰っていたし、「72」「くっ」は如月千早を指すようになったのです。

原作のパチュリー

図4:「パチュリー増えた漫画」のひとコマ

これは有名なミーム画像なんですけど、原作のキャラデザを指すときに「原作の」を付けなきゃいけないってことは、無冠詞では原作のものとは異なったキャラデザが出てくるってことなんです。

創作者(作り手)は視聴者(受け手)でもあり、その逆もしかり。ここの境目が非常に曖昧だったのです。ニコニコ動画のシステムにもそれは現れています。それはニコニコ動画の最大の特徴ともいわれる、コメント機能。動画を見る時に、視聴者のコメントも同時に見る。

つまり、コメントをすることは動画を作ることでもあるのです。視聴者はおしなべて動画制作者でもあった。コメントによってニコニコ動画の動画ははじめて「完成する」のです。


東方キャノンボール

2019年。東方キャノンボールというゲームが発表されました。ずっと東方の話してますね。もうちょっとお付き合いください。

キャノンボール

図5:地上波アニメみたいに見えてきた

ゲームシステムは、まあ、どうでもいいです。今回の話にあたっては。

まあ、ソシャゲなんてこれに限らずだいたいゲームシステムはどうでもいいんですけど

企画はなんとアニプレックス。東方Projectの二次創作がソシャゲになったのです。これは明らかに利潤を追求する経済活動。

よかったら動画を検索してみてください。そのクオリティはいわゆるほかの萌え系ゲームと遜色なく、なんと地上波でCMを打ったという情報まであります。

これこそが、ユーザーが勝手に遊んでる砂場と喩えられるゼロ年代に対する、10年代オタク文化のアンサー。砂の城が利潤を生む可能性に、企業が気づいたんです。インターネットが爆発的に威力を持つようになったことで、企業もインターネットやインディーズを利用せざるを得なくなったともいえるでしょう。インターネットの砂場に、重機に乗って乗り込んでくる、と。

インターネットの同人の砂場の手法さえも盛り込んだ企業の営為っていうのが10年代オタク文化だと、ぼくは思っています。

でも10年代だってもうすぐ終わっちまうぜ、というツッコミもできる。その事実にぼくも涙がちょちょぎれますが、とにかく。しかしぼくもキャノンボールだけでそれを言っているわけではありません。次章で触れます。

というかぼくはあんまりキャノンボールのこと知らないんですよね。すぐやめちゃったから。あんまり面白くn……やめましょうかこの話。


艦隊これくしょん

こいつだ。

艦これ

図6:ぼくは岩川基地でした

2013年にDMMと角川が発売元となって発表されたブラウザゲーム。艦隊これくしょんが流行した背景には、その特徴的な売り方がありました。二次創作の開放です。本来、アニメだとか漫画だとかの二次創作の同人誌だのグッズだのを出すのは黒寄りのグレー。でも、東方はそれをしていいよって原作者からおっけーサインが出ているんですね。それでこんなに派生作品が生まれることになったんです。古い(2004とか)時期の同人誌だと、原作者自身が寄稿していることすらあります。それは本人の原作自体が同人だったからってとこが大きいんですけど。

そして初音ミクはそもそもツールなので、それを使って曲を出すのは当然。ニコニコ動画は、その内部に投稿された動画群を強く共有財産化する機能があります。「歌ってみ」たり、「PV作ってみ」たりという行為はまさにその顕現

艦隊これくしょんは、その当時覇権ジャンルだった東方やVOCALOIDといったジャンル(2013年の少し前といえば東方はコミケの最大ジャンルになっていてボーカロイドはカゲプロ千本桜フィーバーでした。ニコニコ動画においてその流行が確かなものとなった証左である御三家それぞれの単独カテゴリができたのは2009年。そこから数年、明らかに勢いに乗っていました)の「二次創作の開放」を、継承しました

よくいえば見る目があり、悪く言えば丸ッ被せてきた。結果的にその考えは大成功で、同人誌といえば艦これという時代が到来します。同人やインターネットが流行っていたゆえんである手法を、企業が作戦として利用するという構図は、ここから大きく広がったように思います。

10年代半ば、艦これの影響を大きく受けたのは東方で、東方の同人作家が一斉に艦これの同人誌を出すようになって東方の同人誌が出なくなるっていう状況にも陥りました。これは奇しくもボカロ衰退論の「枯れた」時代とリンクしています。ある意味での過渡期だったのでしょう。

ちなみにこの時期のお蔭でぼくは今でも艦これが嫌iやめましょうかこの話

あっ、あの、龍田とか好きですよ。その、はい。(忖度)


小説家になろう

そしてプロが同人に侵食するのと時を同じくして、同人もプロに侵食してきました。最近では「小説家になろう」から書籍化してアニメ化する、という流れがわかりやすい題材になるでしょうか。猫も杓子も異世界転生しやがって。まるで将棋だな……

スマホ太郎

図7:まるで将棋みたいななろう発アニメ

はいそこ、「ヒロイン全員どっかで見たことあるな」とか言わない。

余談ですけどぼくはスマホ太郎嫌いじゃないです。クッキー☆好きなので。

「小説家になろう」は、誰でも簡単に小説を投稿できるプラットフォームです。その小説は多くが連載の形式をとっており、めっちゃくちゃ盛り上がっています。ぼくが常駐してたのは数年前なので今の詳しい状況はあんまりわかんないんですけど。

しかしこの盛り上がりは次第に誇大化し、馬鹿にできないレベルにまで達しました。アニメ作品もじわじわと「なろう発」が増えてきます。最近ではその割合は半分とかにまで迫っている……かもしれません。体感です。そのぶん、「新人賞」とかで採用されるような、最初から出版社の中で原作がつくられる作品はかなり苦しい戦いを強いられています

なろう発の有名作品:「ログ・ホライズン」「Re:ゼロから始める異世界生活」「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか。」「魔法科高校の劣等生」「この素晴らしい世界に祝福を!」「オーバーロード」「転生したらスライムだった件」

ここ数年の流行になった錚々たるアニメが並びます。「ソードアート・オンライン」すら最初は個人の非営利作品として発表されたものです。なろうではないんだけどね。

なんでそんなことになるかっていうと、なろうに連載されていてランキング上位にランクインしている作品なら、人気になっていることがわかるし、最初から固定のファンがいるからハズれにくいんです。逆に、ただ電撃とかガガガとかなんでもいいんですけど、単にラノベレーベルから出ただけの作品だと、後ろ盾のないゼロからのスタートになるのが大きなビハインドなのです。つまり二点ビハインド

パンダヒーロー

図9:パンツヒーロー……じゃなかった、パンダヒーロー

ツナガルダイガクの企画だってことを忘れそうだったのでボカロ成分を入れときました。

つまり、かつてはアノニマスだったハチが米津玄師になる。そんな形式が、非常に広く敷衍したということです。ここビハインドからパンダヒーローからハチにつなげる名采配

最初から商業として商業をするよりも、コンテンツを生み出すクリエイター自体が単身で活動をするようになった。クリエイターは創造的にクリエイト(創造)するだけでなく、それをプロデュースすることまで行うようになったといえるかもしれません。あるいは、プロデュースまで行うことを求められている。やしろあずきなどのバズ漫画描きも象徴的ですね。まずはインターネットでバズることが先にある。

逆に言うと、個人の活動、インディーズも「商業を先に見据えた」活動であり、そこそこ有名ならすぐに「商業的な活動」に絡んでくるということでもあります。そしてさっきの「同人やインターネットの手法を企業が使う」というものとの合わせ技として進んできた、その先が「アナ雪2」の炎上なのです。

同人っぽいフォーマット(Twitterの漫画)を商業が利用する、そういう形態(10年代オタク文化)が行きついた負の側面だったといえるでしょう。

さて、果たして、初期にニコニコ動画で「歌ってみた」だの「踊ってみた」だの「手書き劇場」だのをやっていた面々は、それが最終的に商業活動になることを見越して活動していたのでしょうか? いや、少なくともほとんどは、砂場で遊んでいるだけだったのだと思います。

ちなみにみなさんはバズったことありますか? ぼくはほかのアカウントを含めて数回あるのですが、Twitterでバズると日本の国語教育の限界を垣間見ることができるのでオススメです。基本的に2000RT超えたあたりで会話をミュートしたほうがいいです。

バズ

図10:ややバズする古のオタク

最新のバズです。

誤字が可愛いですね。可愛いだろ。可愛いって言えよ。おい。こら。

最初からプロとしてデビューするのではなく、アマとして活動して、それを後からマネタイズする。そういう図式が、小説においても音楽においても採用されるようになった。それは潮流として、必要に駆られた当然の結果のようでもあります。そのほうが合理的だから。


猫宮ひなた

ちょっとボカロの方に戻って、歌い手ですよ歌い手。今や大御所になった歌い手と言えば……小林幸子? それは歌い手になった大御所でしょ。そらまふとか浦島坂田船なんかがいますね。あとはZAQとか、やなぎなぎなんかもそうですけど。

近年ではやっぱりそらまふとか浦島坂田船の勢いがすごいですね。「歌い手」としての人気としては。ZAQややなぎなぎはもはや歌い手って感じじゃですしね。まふまふ、来年東京ドームでソロライブするらしいっすよ。

歌い手がプロデビューしていくっていう現象は2012年くらい(さっきの艦これの話題で出てきた「バブル」の時期)から言われてたとは思うんですけどね。

このブームから読み取れることもあるにはあるんですけど、ぼくはそれよりも象徴的な出来事があると思っています。

それは砂の惑星にもリンクすることなのですが……

図11:この動画で一躍有名バーチャルユーチューバーになった人

これ

何でも言うことを聞いてくれるヒナタチャン」の特大バズ。……に、伴う形での「何でも言うことを聞いてくれるアカネチャン」の超特大バズ。記憶に新しいですね。バーチャルYoutuberの流行初期、2018年春のできごとです。ちなみにのじゃおじ・輝夜月のバズは2017年末バッ……じゃなかった、月ノ美兎も2018年春です。

これ日ごとの再生数のグラフとかがあるわけじゃないから何とも言えないんですけど、「大量のアカネチャンMADやトレスが作られるようになった」ブームの最初は猫宮ひなただったんですよね(あざばて。調べ)。本編の再生回数がそれまで伸びてなかったってわけじゃない(なんならいまyoutubeでは本編は1200万再生くらいされてる)んですけど、皮肉にもぼくはこれが砂の惑星を肯定する結果を生んでいると思っています。

ニコニコ動画の象徴でもあったボーカロイドジャンルの中での流行の火付け役がyoutuberだっていう。

そら砂の惑星って言われますよニコニコ動画。つい最近はまだマシみたいだけど、二年くらい前っていうと運営バッシングもピークだったころでしょう。ニコるくんを消したことは今でも根に持っています

ニコるくん

図12:人違い

で、ただyoutubeだからニコニコじゃないって言ってるわけじゃなくて、バーチャルyoutuberって、売れてる子は特に、事務所に所属してる商業アイドルなんですよ、基本的に。もちろん個人でやってるとこもあるんですけど。歌い手なら売れてから商業だけど、こっちは企業が「バーチャルyoutuberでいこう!」つって、お金かけてやってるんですよね。3D動かしまくって編集して企画用意してってなかなかできることじゃないですからね。

まあその結果すごい赤字になって撤退とかもありうるんだけど。

当時から個人バーチャルyoutuberがめっちゃ好きでした。さはなのらきゃっと、最近なら兎鞠まり、あとぜったい天使くるみちゃん……ウッ……

くるみちゃん

図13:ぜったい忘れたくないバーチャルyoutuber第一位

キズナアイはActive8。ミライアカリや前述の猫宮ひなたはENTUM。シロやはぁいはいはいはいは.LIVE(APP LAND)。見るストロングゼロこと輝夜月はTHE MOON STUDIO。にじさんじはいちから。このへんは全部、運営会社があります。そりゃそうだよ。そもそも「タレント」ですからね。

しかし歌ってみたも近年ではバーチャルyoutuberの躍進が目覚ましいのです。なぜなら、それのプラットフォームもニコニコ動画からyoutubeに移ってきているからウォルピスカーターがニコニコ動画から撤退するという声明を出したのも記憶に新しいですが、ボカロ曲もニコニコ動画よりyoutubeでアップしたほうが再生回数が多いという例が少なくありません。

というか、だいたいそうなんじゃないかな。海外のファンも取り込めますしね。youtubeだとピノキオピーとか海外のコメントばっかりだし、曲名も英語表記になりましたしね。

ピノキオピー

図14:Nobody Makes Sense

再生回数もすごいですね。かくいうぼくもyoutubeで見ちゃいます。何よりシークバーが自由に動かせるのがうれしいから。

すると、youtubeで普段から活動してるバーチャルyoutuberの動画の方が多くに見られるのは当然になってきます。しかも普段から配信とか動画とかで推してるアイドルであり、そして彼女らは何よりも、クオリティが高い。なぜか? それ用のプロジェクトであり、映像MIX企画力……それらが「スタッフ複数人の手によってバリバリ進められるからです。

図15:すごすぎる

これすごいんですよ。ぼく初めて見たときに震えちゃってアンノウン・マザーグースなんかバーチャルyoutuberが歌ってええんかって思ったんですけど、クオリティは文句のつけようがないレベルなんですよね。両端の「流石乃姉妹」は引退しちゃったんですけど、真ん中ふたりの「花鋏キョウ」と「獅子神レオナ」はRe:AcTって事務所の「音楽部門」のタレントとして活動してるんですよ。もうね、ほぼ歌手なの。彼女らに限らず、音楽を強みとして活動してる歌い手系バーチャルyoutuberはいっぱいいる。

そのクオリティや強さはきっと推すに値するんです。そのへんのなんも知らんオタクの歌なんか聞くより、かわいいキャラデザでアイドルやってる子(しかも歌も動画もめっちゃうまい)たちのほうが視聴されやすいっていうのは、当然じゃないですか。

でも、ここで序盤の論に戻るんですけど、

彼女らって、視聴者(俺たち)なんですかね?

創作者(作り手)は視聴者(受け手)でもあり、その逆もしかり。ここの境目が非常に曖昧だったのです。 ——「井上織姫」の節より引用

歌ってみたとしてバズるためには、綺麗なキャラデザ(イラストレーターやデザイナー)、企画力(プロデューサーやマネージャー)、そして動画の中でもオリジナルの動画を作れる人々、MIXを含む音楽周りの人々が必要だ。

こういった形で、「ニコニコ動画」っぽい形式(たとえば「歌ってみた」)とかが、商業的にハイクオリティにマネタイズされる。これこそ、10年代のオタク文化の潮流の、「ボーカロイド」の中で起こっていることだと思います。

アノニマスな個人の「遊び」は、もう持て囃されないのです。ただ遊びとして「歌ってみたー!」と、さながらカブトムシを捕まえてきた少年のように、あるいはネズミを捕まえてきた飼い猫のように。そんな砂場は、すっかり企業によって舗装された公園になったのです。

そういう意味では、ゼロ年代(最初の方の話、もう忘れてますよね。長々とすいません)の象徴的なオタク文化の姿っていうのはもはや鳴りを潜めてしまいました。

でも、もうゼロ年代が終わって10年ですからね。終わって当然なんです。ただの砂場より公園のほうが遊べるし、わかりやすいし、綺麗だし、安全だ。


博麗霊夢は、東方キャノンボールに乗って、2019年、地上波CMになった。

googleの初音ミクから数えて八年遅れで、博麗霊夢はかつての隣人を追いかけてお茶の間に現れたことになります。

当時のgoogleのCMが美しく描いた「誰もがクリエイター」という図式は、ある意味では引き継がれています。しかし皮肉にも、クリエイターになるということは「向こう側」になることであり、「こちら側」つまり受け手、視聴者ではない。そんな文化に変貌してしまっていたのです。

キャノンボールのくだりは伏線ですわよ。ヒュウ! 文章力!(鼓舞)


一 転 攻 勢

逆らえまい、と言いたくなるような潮流に逆らっているジャンルがひとつあるのをご存じでしょうか。きっとご存じなのですが、ちょっと言うのが憚られます。

えーっと。

商業化の公園の中で、アノニマスなゼロ年代以前を忘れられない望郷のインターネット廃人たちがいた。そこで満を持して「逃げ場」として発展してきたのが、ほかならぬ「淫夢」ジャンルだったのです。ゆゆうたは今でこそアニソンとかの弾き語りで人気者ですが、かつては淫夢とかのアレンジ/弾き語りをやってたわけです。

ゆゆうた

図16:ラ・アイサトールにて撮影

ゆゆうたがまだ弾き語ってなかったころのほのぼの神社アレンジめちゃくちゃ好きでしたね。

その時の肩書は「才能をドブに捨てた男」。ドブっていうのは淫夢という忌むべきジャンルのことでもあり、そして、ゼロ年代のような、アノニマスな世界のことでもあります。淫夢著作権という点でも、倫理的な点でも、公の場に出ることができない。一般的なマネタイズなんてできようもない

だからこそ、臭い言い方をすれば、かつての「アングラ」な雰囲気を残した混沌としたインターネットが集まってくることになったのです。

公園なんかじゃないですよ。このジャンルはただのスラム街だ。けれど、そこで行われている営為は、ほかでもない、さっきぼくが定義した「ニコニコ動画」的な、「ゼロ年代インターネット」的な、そして「VOCALOID」的で「東方Project」的なものなのです。

あんな汚いものを初音ミクと一緒にするなんて! と怒りたくもなると思うのですが、実はその中にある行動様式は似たようなものなのです。

野獣先輩

図17:せいいっぱい汚くなくした野獣先輩


野獣妹

「野獣妹」という言葉をご存じでしょうか? ご存じの方は反省してください。

東方Projectの「伊吹萃香」ってキャラクター、ならびに「魔理沙とアリスのクッキー☆kiss」というヴォイスドラマ企画で伊吹萃香を演じたやみんという生主のことを指すあだ名のひとつです。ちなみに淫夢の文脈の外で伊吹萃香を野獣妹呼ばわりしたら普通に怒られると思います。

しゅわスパ大作戦☆」というSOUND HOLICの発表した曲のPVに、「酒に恋の媚薬を混ぜる」シーンがあって、それが淫夢四章での野獣先輩の行動に類似しているという点から野獣先輩の妹という設定が生えました。そして、淫夢素材を使ったドラマ動画やネタ動画において、野獣先輩の妹としてふるまう動画が増えました。

……ん? 今「設定が生える」って……

誰かが「ネギを持たせ」それ以後「ネギ」を使用した作品群が流行したことと、同じ構図なのでは?

そんな例には暇がなく、「HSI姉貴」はもともと淫夢に汚染されてしまったボイスドラマである「魔理沙とアリスのクッキー☆kiss」の派生作品、「【東方project】クリスマス企画! 2013【ボイスドラマ】 」において鈴仙・優曇華院・イナバを演じた同人声優なのですが、そのキャラが当時弄りにくく人気がなかったことから「地味」というキャラになり、なんやかんやあって「偽物だがいいやつそうなHSIさん」「メタルHSI」などという派生キャラクターが生まれるなどしています。派生キャラクターって「ミクダヨーとかに通ずるものがありますね

https://www.nicovideo.jp/watch/sm29483618

48秒あたりで「偽物だがいいやつそうなHSIさん」、62秒あたりで「メタルHSI」が登場します。

ほのぼの神社とか新宝島とかゆうさくもその類としてわかりやすいですね。

こいつらは公式とかではなくて、アノニマスな動画投稿者や視聴者によって二次創作・三次創作(たとえば淫夢系の動画は、多くが「BB」という素材を組み合わせて制作されます。この素材を作るのもまた別のユーザーです。ユーザーが作った素材/ネタでユーザーが派生作品を作り、それがまた別に派生し……という構図は、まさにニコニコ動画的といえるでしょう)された結果なのです。

ぼくが淫夢ジャンルをある程度好きでいられるのは、そういう側面を持っているからだと思います。頑なに「みんなの砂場」であろうとしている。まあその砂は糞まみれなんですけど

淫夢というよりクッキー☆の方が好きなんですけどね。

あ、さっき貼った動画「チマタデウワサノ」とかは、それに至るまでにハイコンテクストな文脈がめっちゃあるので、これが淫夢だって言われてもあんまりぴんとこないと思います。そのままの貴方でいてください

これが淫夢だって言われてぴんと来る人はもう一回反省してください


ある意味での、結論

ボーカロイドは今でも流行し続けています。しかしその要素は、かつてのニコニコ動画の内部として定義されていたころから考えれば大きく変動しています。

取り巻く周縁の環境は様変わりし、オタク文化のインターネットやファンメイドとのかかわりは、「流行」という視点から見れば、「ぼくたちのインターネット」的ではなくなったと、ぼくは思います。そしてそれは、バーチャルyoutuberと歌ってみたのくだりでも述べたように、ボーカロイドも例外ではないのです。けれどそれ以外の点……つまり、「ぼくたちのインターネット」として規定されないボーカロイド文化は、どんどん発展を続けているといえるでしょう。

ではボーカロイドを含むかつての覇権ジャンルが持っていた、失われた「ぼくたちのインターネット」はどこに行ったのか? その答えが淫夢というジャンルだった、という風に思います。

つまり、

野獣先輩 初音ミク説!!!!!

すいませんめちゃくちゃ怒られそうなのでやめます。



あとがき的なもの

はぁ、長かった。書くのも疲れたけど、読むのも疲れましたよね? 寝てくださいね、ほんとに。ここまで読んでくれた奇特な方は本当にありがとうございました。1万文字以上ありますからねこれ。9時間くらいずっとこれ書いてました。以上が、ぼくのボーカロイドを取り巻くゼロ年代と10年代のオタク文化の変化に関する一考察でした。ほとんどボーカロイドの話してませんけどね。ボーカロイドに隣接するいろんなジャンルの話をしました。

しかし最後にのこったのが淫夢じゃあ、ゼロ年代文化ってのもろくなもんじゃなかったのかもしれませんね。それでもぼくはそれが好きでした。

ゼロ年代に青春を捧げたインターネット老人会の末席(いま20歳なので、じっさいインターネット老人会の話題に共感する人間としては最年少クラスでしょう)として、整備された綺麗な公園を見たとき、子供が作った巨大なお城……その天辺に立つ初音ミクを、——ときに、幻視するのです。

リアル初音ミクの消失

図19:リアル初音ミクの消失

愛じゃなくてただの依存でしかない ——「リアル初音ミクの消失」より

——仰る通りです。