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【短編/ホラー】ヂヂヂ

 六月に入り、小学校では夏らしい話で盛り上がっていた。夏といえば海、花火、そして怖い話……。四年生の虫狩多々瑠《むしかりたたる》は、オカルト関連は信じているか否かと言われれば、どちらかというと“信じられない方”である。
 昨日の夜、夏の時期という事もありテレビでは心霊番組がやっていて、沢山の映像が流れては嘘臭い物ばかりだと多々瑠は思いながら観ていた。心霊番組では幽霊を信じている派と信じていない派の者達が集まり、映像を観た後に激しい論争をしていたのを覚えている。
 翌日、登校すると自分のクラスでもその心霊番組についての話題で盛り上がっていた。生徒達は、番組に出ていた信じている派と信じていない派に別れていたように論争する。
 多々瑠は自分の席に座りながら頬杖をつき、皆のその様子を見て“くだらない”と思う。
(アホらし……、信じてるなら信じてる、信じないなら信じないでいーじゃん。)
 人の考えはそれぞれ違う。信じている者に対し、「そんなものは存在ない」と自分の意見を主張しても、相手からしたら自分は信じている訳で意見は曲げられない。勿論、否定派の意見を聞いて考えが変わる者もいるかもしれないが、全員が全員そうではない。自分の考えを曲げたくない者だっている。
 逆も同じ、信じていない者に対し、「幽霊は存在する」と自分の意見を主張しても、相手からしたら自分は信じていない訳で意見は曲げられない。否定派の意見を聞いて考えが変わる者もいるように、信じている者達の話を聞いて考えが変わる者もいるかもしれないが、自分の考えを曲げたくない者だっている。
 なら、“信じているなら信じている。信じていないなら信じていない。”でいいのではと多々瑠は考えるのだ。
 好き嫌いも同じ、自分の好きな作品を貶されたら誰でも愉快ではない。自分が嫌いだからとわざわざ好きな相手に直接ああだこうだと一方的に言って押し付けるのは、直接言われた者の気持ちとしては不愉快だ。
 だからといって、嫌いな者は嫌いなままでいいとも多々瑠は思う。誰にだって好きな野菜と嫌いな野菜があるように、無理して嫌いな野菜を食べなくていい。無理して食べて嘔吐してしまう者だっているのだから……、作品だって、どうしても苦手なジャンルはあるかもしれない。
 一人で呟く程度や嫌いな者同士で語るのは全然問題はないだろう。要は、好きな者達や信じている者達に対してわざわざ突っかからなければいい。
 そう考えると、今生徒達がしている論争も馬鹿馬鹿しく見えてしまうのだ。
(ま、これも私の個人的な考え……彼等に押し付ける気はないけど。)
 人間は自分が見たものしか信じられないところもあり、見た者達が必死に自分が体験した事を説明してきても、それはその者が見て体験した事。こちらは見てもいないし体験してもいないので、口では信じてあげると言えても、心のどこかでは信じられなかったりもする。
(実際見えれば信じるけど。)

 下校時間、多々瑠は帰り支度も済んでいたのだが、元々本が好きだった事もありぎりぎりの時間まで図書室にいた。読みたい本を手に取り、椅子に座りランドセルは足元に置いて本に読み耽る。帰らなければいけない時間帯になれば、校内に生徒が残っているかどうかを確認するために教師が見回りを始める。当然図書室も見に来るのだから、その時が多々瑠の下校時間だ。
 図書室で本を読んでいる間、いつ教師が見回りに来るかとそわそわしながら待っているこの感覚が実は苦手だったりする。なら見回りに来る前に帰ればいい話なのだが、ぎりぎりの時間まで読んでいたい気持ちもあり、結局いつも教師が来るまでここに居てしまうのだ。
 夕焼け空から熨斗目花色《のしめはないろ》に変わった頃、そろそろ教師が確認しに来るだろうというところでガラリとドアが開けられる。そこには多々瑠の担任である女性教師、多田詞衣《ただしい》がいた。
「外も暗いし、早く帰りなさい?」
「はいっ……」
 多々瑠の居ていい時間は終わった。さっさと本を本棚にしまいに行くため立ち上がる。詞衣は多々瑠がきちんと帰る準備をするか見ながら、「本なら借りてけばいいのに」と、壁に背中を預けながら腕を組み言う。
「家に学校の物を置いてると、なんだか落ち着かなくて……。」
 詞衣の言う通り、図書室の本なら無料で借りられる。時間を気にせず読むなら借りて帰った方がいいのだが、学校の物に限らず誰かに借りた物を自宅に置いておくと、いずれ返す物だとしても不安になってしまう。
 本だったら自分がいつ飲み物等零してしまうかとか、ゲームソフトならいつ無くしてしまうかとか、他人の物だから粗末に扱わず気を付けるが、それでも落ち着かず借りれないのだ。こればかりは、多々瑠の性格なのかもしれない。

 あんなに綺麗だった夕焼け空が薄暗い熨斗目花色に変わると、“早く帰らなきゃ”と急かされる気持ちになり自然と早足になってくる。多々瑠はどちらかというとオカルト関連を信じてはいないが、最近この時間帯になると妙な気配を感じていた。
 実はこの学校には七不思議のような話が存在する。“ような話”であって、七つもある訳ではない。実際多々瑠が聞いたこの学校の怪談は一つだけだった。
 場所は理科室、よくある理科室の怪談では骨格模型が動き出すとかだが、この学校の怪談は骨格模型が動き出すとかではなく地味なものだった。
 内容はシンプル──理科室の前を通ると“ヂヂヂ”という音が聞こえてくるだけ、本当にそれだけ。噂ではそれ以上の話だと、その音を聞いたら行方不明になるとか……。
 ただの噂にすぎないとわかっていても気味の悪いことに変わりはなく、理科室の前を通ると……なんとなく、気配を感じる気がしていた。気がしているだけで実際に気配なんてないと自分に言い聞かせながら、多々瑠は毎回理科室の前を通る。
 怪談を聞く前は普通に通っていたから大丈夫なはず、気味の悪い話を聞いたから気にしてしまうだけだ。それに、その話が本当だったら今頃校内の人間殆どが消えている。理科室の前を通る度に音が聞こえてきて行方不明者が出たらニュースにもなるだろう。
(現実的じゃない、馬鹿馬鹿しい)
 頭の中でそう繰り返していたら段々落ち着いてきた。しかし、理科室が見えてくると再び不安になってくる。
 この日、いつもなら怖くても小走りで前を通るのだが、足が止まった。
(あれ)
 自分でも何故足が止まったのかわからなかった。なんとなく、本当になんとなく……“前を歩いてはいけない”気がしたのだ。
(なんで、歩けよ)
 歩け、ほら、歩いて、歩けるでしょ、歩けるはずなのに動かない。足が拒む、歩くことをこばんでいる。あるいたらきづかれ、だから、ない。あるけ、ない。
 りかしつ、だいじょう夫、誰もいない、わかる。廊下、まえ、じぶんの目の前、いない。ほら、だれもいないじゃんだいじょうぶでしょ、なんであるかないあしうごかない。動かせるっちゃあうごかせる。
(あれぇ、あれぇ)
──居心地が悪かった。理科室には確かに人の気配はない。自分が今居るのは廊下で、目の前は理科室前、前方に誰も居ないのが確認できる。なのに、誰も居ないはずのすぐ目の前がまるで見えない壁があるかのように感じ、一歩を踏み出せないでいる。
 それと、誰も居ないはずなのに“気づかれないように”と体が警告していた。一歩でも足を踏み出せば音が立つかもしれない。後ろに下がっても自分の気配に気づかれてしまうかもしれない。誰に? わからない。
 正体不明の何者かに何故怯えているのかわからない。そんなに怖いのならさっさと帰ればいい……帰りが遅くなれば親にも叱られる。
(帰らなきゃ)
 帰らないと、帰ろ、帰れ、早く。じゃないと──
 ヂ
……多々瑠は一瞬“それ”が音なのか、自分が発した声なのかわからなかった。またはあまりの恐怖心についには脳内でその音が再生されたのかもしれない。
 そもそも自分が今居るこの場所は現実なのか、悪い夢だったら早く覚めてほしい。こんな所はもう嫌だ、早く家に帰ってお母さんが作ったハンバーグが食べたい。お父さんと買ったばかりのゲームで対戦したい。此処は寒いし怖い。何かいないはずなのに何かがいる。
 ヂ
 恐怖心で幻聴が聞こえているだけ、本当は何もいない……多々瑠は一歩を漸く踏み出す。
 ヂッ
 真後ろからだった。最初は何処から音が聞こえているのかわからなかった。幻聴とわかっていても怖いことに変わりないし、また足が動けなくなる前に立ち去ってしまおう。
──ヂヂヂヂヂヂッ
(これは本当に音なのかなぁ)
 人間は恐怖のあまりどうしていいかわからず笑ってしまう時がある。一歩ずつ進むごとに、多々瑠の表情も徐々に笑みを浮かべていった。まるで砂の城にスコップで何度も弱い力で突いていき少しずつ崩れていくように、ぼろ、ぼろりと。
 真後ろに近づいてくる音は次第に大きくなった。大きくなればなる程、この音が“音じゃない”事に気づいてくる。
「ヂヂッ」
 多々瑠の背中から右耳にかけて電流が走るような衝撃がくる。今まで感じた事のない程の鳥肌だった。その音は右耳に直で放たれたからだ。否、これは音だはなく──“声”だった。
 声を聞いた直後多々瑠は今まで出してきた大声を突破する勢いで喉を絞り出す悲鳴を上げる。この世に幽霊等存在しないとか、非現実的だとか考えている余裕は最早なかった。身の危険が迫っている事は確か、脳は逃げろと警告している。
 その場から逃げ出すが、恐怖のあまり両足に力が入らない。肉は付いているはずなのに、まるで両足の肉が剥がれ落ちて骨だけになったかのように危なっかしくガタガタと蹌踉《よろ》つく。それでも真後ろにいる“何か”から逃げ出したくて、滅茶苦茶な走り方で下駄箱へ向かった。

 蹌踉つきながらも下駄箱に来ると、靴も履かずに出口に向かう。一刻も早くあの何かが居るこの学校から逃げ出したかった。靴なんてどうでもいい、そんな物取り出している間に何かに追いつかれでもしたら……考えたくもない。
 滅茶苦茶な走り方をしたせいで、出口に向かう足は簀子《すのこ》を蹴っ飛ばすように滑り、多々瑠はどしゃりと大きな音を立てて転んでしまった。転んだ時に右手首の皮と、左膝の皮を擦り剥いてしまいチリッと痛みが走る。
 多々瑠は傷の痛みにかまわず蹌踉つきながらも立ち上がり、両手で扉に触れて押した……。
「……あれ……?」
 扉は開かなかった。自分の力がなかったのかと思い、多々瑠はもう一度両手に力を入れて押してみる。
「……ぅ、ちょっと! 何で! どうして!」
 両手に力を入れながら押し続け、腹から声を出しながら誰も居ない場所で訴える。先程悲鳴を上げた時に喉に負担を与えてしまったので痛かったが、誰かに助けてもらいたかった。
 クラスメイトでもこの際嫌いな教師でも誰でもいい、とにかく自分以外の人間に会いたい。一人であの何かから逃げるのはもう嫌だった。誰か、此処から連れ出してください。普段神様を信じていなくてごめんなさい。こんな時にだけ神様に頼るのはとても罰当たりだけれど、後で沢山罰を与えてくださってもかまいません。あの得体の知れない“何か”から──
「助けてぇッ!!」
「ヂヂ」
……ゾワリと、再び背中に鳥肌が立ちそれは全体に広がった。かなり離れてはいるが後ろからあの声が聞こえてきたのだ。多々瑠の心臓は徐々に大きく跳ね上がっていく、見たくはない。振り向けない……けど、見えちゃう。何故、だって──扉に映っているから。
 遠くの方から、明らかに“この世の者ではない雰囲気が漂う”三年生くらいの男子生徒が、壁からこちらを覗いていた。歯と歯がガチガチと小刻みにぶつかり合い、身体中の鳥肌は立ちっぱなしで痛くなるくらいだった。
 多々瑠の股間がじわりと生暖かくなる……太腿の間からちょろちょろと尿が漏れていた。生まれて初めての失禁を経験しながら、頭の中で“この歳で漏らしちゃうなんて、お母さんに怒られるかなぁ”なんて諦めつつ口から泡を吹く。ついには白目を剥き、その場で気を失った……。


──誰かの声が聞こえてくる。意識がはっきりとしてきてゆっくりと目蓋を開くと、視界には見知った天井が見えた。
 自宅の天井ではない。頭の中で何処の天井か記憶を探ると、此処が保健室の天井だという事に数分もかからなかった。微かに聞こえてきた声は教師同士の会話らしく、一人は自分の嫌いな教師、もう一人は……。
「ただせんせい」
 多々瑠は自分の発した声に驚く、無理もない。先程得体の知れない存在に対して恐怖を感じ力いっぱい悲鳴を上げたからか、多々瑠の喉は言葉を発する度に痛む上声は枯れていた。
 多々瑠の様子を見てくれていたのは担任である多田だった。見知った相手に漸く出会えた事に、多々瑠の目からは涙が溢れ出てくる。多田が体調はどうかと聞いてくると、多々瑠は力なく頷く。
「今安井先生が親御さんに連絡しに行ってま──」
 多田が言い終わる前に、多々瑠はその場で喉が痛いにも関わらず泣き出してしまった。
……最初は泣きながら順番も滅茶苦茶に説明をしていた多々瑠だが、話していく内に段々落ち着いて来たのか、ゆっくりと一からまた説明していく。漸く多々瑠の話していた事が少しずつ理解できてきたところで、多田はふと他の教師から聞いた話を思い出した。
「ねぇ虫狩さん、貴女が見たその男子生徒の体……“継ぎ接ぎ”だった?」
「ぇ」
 あまり思い出したくはないが、多々瑠は頭の中で見てきた光景を思い返すとまた鳥肌が立った。質問に答えられず顔から血の気が引いた多々瑠を見た多田は、その様子を見ただけで察した。
 数秒後、多田は口を開きゆっくりと他の教師から聞いた話を多々瑠にする。

──数十年前、男子生徒数人が虫を何匹か捕まえてきては理科室で“遊んで”いた。
 蝉やカマキリ、蝶に蜘蛛にてんとう虫、虫という虫はとにかく見つけては玩具にする。小さい頃に蟻を沢山踏み潰してみたり、虫ではないが蛙のお尻にストローを刺して膨らませパンクさせたりと、……子供は時に残酷だ。
 生徒達は生き物を捕まえてきては、理科室で“実験ごっこ”と称して教師達に見付からないように弄び殺していた。蝉の羽を千切ったり、カマキリの足を片方潰して蜘蛛と戦わせたり、蜘蛛にハンドソープをかけて眺めたり……。
 そんな事ほぼ毎日続けていた。理由はただ一つ──“楽しいから”。
 ある日、生徒達は虫を捕まえた後理科室に忍び込み、いつものように実験ごっこをしてるところを教師に見つかり叱られてしまった。生き物の命で遊んではいけないと叱られた生徒達は帰り支度を済ませ帰ろうとしたが……。
──そこで生徒達が行方不明になった。

「その以来、理科室からはたまに奇妙な音……いえ、まるで殺された虫の“声”のようなものが聞こえてくるようになったらしいの。虫狩さんの言う鳴き声から想像すると……」
 “蝉辺りかしら”なんて言い出す。多田はこういったオカルト関連が好きなのか、淡々とした様子で話した後にくすりと笑みを浮かべた。どんな神経をしているのかわからないが、多田はにやりと笑みを浮かべたままさらにこんな事まで言い出した。
「継ぎ接ぎな上男子生徒の姿なのは、きっと虫達に同じように殺された子達の体を乗っ取った虫達の姿かな?」
 自分のクラスの生徒が恐怖体験したにも関わらず、意外ととんでもない教師だ。しかし、そんな担任の態度に腹が立つ余裕等多々瑠にはなく、それよりもある事を思い出していた。
 口に出す事も恐ろしかったが、多々瑠は声を震わせながらも言った。
「先生、私……数日前部屋に入ってきた蝉を殺してしまったんです。」
 多々瑠は友人から本を借りていた。多々瑠の性格上、他人の物を自宅に置いておく事は正直苦手なのだが、どうしても本を勧めたかった友人の意思に負けた多々瑠は渋々借りた。
 いずれ返す物だとしても、他人の物を汚してしまわないかと不安になってしまう性格がある多々瑠は、本に乗っていた蝉を見てパニックになり、兄の金属バットで何度も殴り殺してしまった。
 最初はただ追い払うだけのつもりだった。しかし想像以上に激しく逃げ回っている蝉を見てどうしていいかわからず、結局殺してしまったのだ。
 この怪談は、もしかすると“命を大切にしてほしい”という虫達の悲しみが作り出したものなのかもしれない……。


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