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【短編】一時的

 安井男寒(やすいおさむ)、二十歳の独身。コンビニで働きながらアパートで一人暮らしをしている。休みの日は住んでいるアパートで過ごし、一人スマートフォンで小説投稿サイトで本名を使い、オリジナルの小説を書いては投稿している。
 小説を書き始めたのは中学一年くらいの時だったと彼は思っている……そこら辺の記憶はあやふやだ。その頃からオリジナル小説を主に書いており、元の作品の設定を借りてひっそりと書く二次創作は楽しいがあまり書いた事がない。
 男寒はプロの小説家を目指している訳ではなく、自己満足で書いている。しかし、書いている以上誰かに読んでほしいという気持ちは勿論あった。勿論、小説を書く者達全員が全員そうではない。中には誰にも読まれなくても、自分が書きたいように書いて投稿したという達成感が得られればそれでいい者もいるかもしれない。
 男寒はどちらかというと前者、趣味で書いてはいるが誰かに読まれたいのと反応という名の感想が欲しかった。連載小説でも短編小説でも、完成してサイトに投稿すれば、スマートフォンのアプリケーション“ヒトコトポッチー”……通称ポッチーという独り言を呟くアプリを使って自作の小説を宣伝しまくっていた。
 数回の宣伝の呟きだけではなかなかポッチーを使っている多くのユーザーには気づかれない。一日に合計六十回以上……多い時は百回以上宣伝の呟きをする事がある。別に悪い事ではない。そうでもしなくてはあまり気づかれないと彼は考えている。
 小説が誰かに読まれればサイトでその日のアクセス数が確認できる。毎日確認しているが、いくら宣伝の呟きを沢山しても一日に二、三回のアクセス数くらいだった。男寒はどうすればもっと多くの人に読んでもらえるかを考えた。
(……そうだ、他の小説を書いている人達との絡みを増やせばいいんだ。)
 男寒は自室のベッドの上で大の字に寝ながら思いつく、ポッチーユーザーには自分と同じように同じ小説投稿サイトで書いている作者が沢山いる。作者達の小説も読んで、その作品感想を書き残して少しずつ仲良くなっていけば、仲間が増える。
 仲間が増えれば、もしかすると自分の小説にも興味を持ってくれて読んでくれるかもしれない。あまり他の人の作品は読みたいと思った事がないが、これも読者が増えるチャンスだと男寒は決心した。

(……よし、感想はこんなもんでいいだろ。)
 バイトが休みだった男寒は、一日中誰かの作品を読んでは感想を書き残していた。十三……いや、十五人? 途中まで数えていたが忘れてしまった。多分そのくらいの人数だろう。
 これだけの人数の作品を読んで感想を書けばその内、数日後、それ以上に長くなるかもしれない。一か月後とかかもしれないが、何人かが自分の小説を読んでくれるだろうと考えた。
「明日もバイトだし、さっさと飯でも食ってシャワー浴びて寝よ。」
 結局一日中ベッドで過ごしてしまった。ベッドから出たのは数回のトイレか飲み物を取りに行った時か、朝食と昼食は取っていない事を思い出せば急に腹が減った。冷蔵庫にはバイト先で買った海苔弁当があったはずだ。
 冷蔵庫の中から海苔弁当を取り出し、電子レンジに入れて一分半温める。温めた弁当を取り出して自室の四角い折り畳み式テーブルに置く、蓋はまだ開けていないが既に海苔の香りが男寒の鼻に吸い込まれて食欲をそそられた。
「コンビニ飯って美味いよなぁ」
 割り箸を袋の先から押し出し、スッと破れたところから箸を抜き取る。中に入ったつまようじは、よく考えたらあまり使わないと思う。捨てる人もいるし、勿体ないと感じる者はつまようじ入れに入れては集める。男寒は“お袋がそうだったな”と思い出し、元気でやっているだろうかと実家の事を考えた。

 彼には多田詞衣(ただしい)というバイト先で知り合った恋人がいる。一見何を考えているのかわからないようなおっとりとした雰囲気で、そこが魅力的に見えたのかもしれない。男寒は自分が周りの女性達の思うイケメンと言われるような顔ではない事を自覚しているので、ダメだったらそこで諦めようと勇気を出して詞衣に告白した。
 ダメ元で告白した返事はなんと「はい、付き合いましょう。」……。男寒は断られると思い込んでいたため、最初聞いた後に「……ですよね。」と答えてしまったが、すぐに告白は成功した事に気づき下を向いていた顔を勢いよく上げて詞衣の顔を見てしまった。その時の自分の表情はきっと凄く間抜けだっただろう。
 今でもたまに“あの時の事は全て夢だったのではないか”と考えてしまうが、バイトに行けば彼女が最初は男寒の事を君付けだったのが呼び捨てになったのを再確認すると、夢ではなく、自分が彼女の恋人だという事を実感する。
……そんな思い出に浸っているバイトの休憩時間、男寒はスマホでポッチーを開きながら皆の呟きを読んでいた。そこで偶然見覚えのある女性の写真が載せられた投稿を見かける。
「これって……」
 男寒がそう呟きながら投稿を詳しく見て、投稿者のプロフィールページへアクセスすると……やはり、彼女である詞衣のアカウントの可能性が高かった。ポッチーには“コジン”という二人きりで他のユーザーからは見れない機能がる。勇気を出してコジンに挨拶をして、自分の知り合いかどうかを聞いてみた。
 相手はあっさりと多田詞衣である事を明かし、その日二人はポッチーのコジンでも連絡を取り合うようになった。
 実際に会っている時にも話してはいたが、男寒が小説を書いている事を詞衣は知っていて、小説関連の話もポッチーで話すようになり、詞衣は時に男寒の小説への感想をサイトに書いたりもした。
 男寒は話している内に、もっと読者が増えないかという悩みも詞衣に打ち明けるようになっていった。

──詞衣とネットでも繋がってから数日後、バイトが終わってアパートに帰宅した男寒はポッチーを開くと、バイトが休みだった詞衣から“お疲れ様、もう帰宅したかな。”と数時間前にコジンにメッセージが届いていた。
 帰宅した事を伝えて軽く二人でメッセージのやりとりをしていると、詞衣が男寒の住むアパートに行き泊まる事になる。今は朝の五時、こんな時間に女一人で出歩かせるのはいけないと思い、男寒は彼女の家に迎えに行った。
「いろいろ自分なりに試してはみたんだ。」
「うん……」
 二人でアパートへの道を歩きながら話す。詞衣はいつも、男寒の言葉を遮らずにこうして相槌を打ってくれる。そんな彼女だから、男寒は自分の吐き出したい事を気楽に言えるのかもしれない。
「最初は、自分も大勢の作者の作品を読んで、読んだ分だけ感想を書いてポッチーで仲良くなったりすれば自分も読者が増えるかと思ったんだ。でも、……それ程効果がなかった。」
 勿論、全く意味がない訳ではない。寧ろ、沢山の作者の作品を読む事によって参考になる事もある。新しい書き方の発見、作者によって表現の仕方の違いを知る事も楽しかった。
「読んだ事全てが意味のない事だとは思わないけどさ、……やっぱ、」
 男寒はそこで暫く黙ってしまう。詞衣は急かさずに黙って相手の返事を待ち、二人は数分間無言で足音を立てながら歩く。アパートの前まで着くと男寒ははピタリと立ち止まって俯き、真横にいる詞衣には聞こえるくらいの大きさでポツリと言う。
「もっと読まれたい……注目されたい。」
「それが、貴方の“願い”なの?」
 詞衣にそう聞かれて男寒はハッとする。自分で発言した言葉になんだか情けなく思えてきて、恥ずかしくなり顔を横に振り否定した。否定しても、全くもってそうではないとは口では言えなかった。
 自分の生み出した世界を多くの者に読まれたい。注目は運がよければ……なんて考えてしまう。プロの小説家を目指している訳ではなく自己満足で書いていたはずなのに、書いていく内に少しずつ欲も出てしまう。
 それは悪い事ではない。ずっと書き続けていけばもっと読まれたいという気持ちが強くなる人もいるのは当然の事だ。これは当然の気持ちであって、当然、当然なのだ。当然で、当然、とうぜン、とウぜんなのデあって、とうぜんだカら、トうゼンダかラ。
(おれハおかしクない……。)

 いつの間にか男寒はその場で立ち止まったまま、顔に嫌にべたつく汗を浮かべていた。一人心の中で自分に言い聞かせるように、頭の中で犬が自らの尻尾を追いかけ回すように何度もぐるぐると“当然”という言葉を繰り返していた。
 男寒の思っている事は間違ってはいない。作者として読まれたいという気持ちはおかしくもないし、間違ってもいない。彼なりに、どうすれば少しでも自分の作品が読まれるかを考えて、悩んで、足掻いているのだ……。
「男寒」
「ぁ、な……かに入ろうか……。」
 詞衣に声をかけられて、自分が意味もなくアパートの前でいつまでも立ち止まっている事に漸く気づき、男寒は嫌な汗を浮かべながら苦笑いを浮かべて、詞衣を中へ案内して部屋に上がらせた。
 部屋に上がった時にはもう六時前、酒とつまみというよりは普通に朝食にした方が良いと二人は思い、詞衣が冷蔵庫の中を見た後に軽く何か作れる程度には材料はあると確認して、「軽く朝御飯作ってあげる」と男寒に微笑んで言った。
 食パン、卵、バター、これだけあれば充分。卵を茹でてスプーンかフォークで潰して、卵の中にマヨネーズと塩コショウを少々入れて混ぜる。カリッと焼いたトーストにバターを塗って、潰した卵を挟んで半分にカットすればトーストサンドの出来上がり。
 パン自体元々焼いた物にも関わらず、二度焼いてもこれだけいい香りをさせる食パンは凄いと思う。焼いて食べれば周りはカリッと中はふんわり、焼かずに食べれば舌を包むような柔らかさが口に広がる。男寒は早速、詞衣の手作りトーストサンドを一口サクリと音を立てて食べてみた。
 カリッとしたトーストと一緒に、固すぎず柔らかすぎない程よく茹でられた潰された卵とマヨネーズが絡まり合う事によってまろやかになったその味は、自分の恋人が作ってくれたというだけでも嬉しいのに、ただ美味しいというだけでなく、今まで食べてきた中で一番美味しく感じた。

 翌日、男寒は仕事をしながら次の短編小説のネタが頭に浮かんだ。そのネタは今までほぼ誰も思いつかなかっただろう内容で、この内容を書いてサイトに投稿すれば一人が読んだら拡散もしてくれるかもしれない……なんて妄想もしてしまった。
 バイトが終わる時間がいつもより長く感じる。早く帰宅して、食事も後回しして思いついたネタを頭の中で整理しながらメモをしてまとめなければならない。男寒の顔は久々ににやつく、思いついたこのネタを使って小説を書けば、一体どのくらい読者から反応がもらえるだろうかと考えてしまう。
 元々の読者が少なくても、今日までつまらない小説を書いたつもりはないが、今まで書いた物よりももっと内容が面白ければ読者も増えるかもしれない。
「何かいい事でもあった?」
 顔がにやついたままレジに立っていたのだろう、詞衣が男寒に声をかける。恋人が嬉しそうにしていたら自分も嬉しくなったのだろうか、詞衣の表情もふわりとした笑みを浮かべていた。男寒は彼女の笑みが可愛いなと思い照れつつ、ヘヘッと声を出して笑った後に話す。
「じ、……つはさ、……新しい短編小説のネタが、……浮かび、ましテ……ネ。」
「何で片言? しかも敬語じゃん。」
 照れて言い方がおかしくなってしまった男寒に、詞衣はつい吹いた後にカラカラと鈴が鳴るような綺麗で可愛らしい声で笑う。男寒は自分の変になってしまった返事に恥ずかしくなり、照れ隠しに「ぅる、せぇなぁ……っ!」と顔を赤くしながら軽く怒る。
 少し拗ねて唇を尖らせた男寒に、詞衣くすりと笑う。
「で、どんな話なの?」
「……えっと、な。」
 自分の小説に興味を持って聞いてくれるのは素直に嬉しい。拗ねていた事も“まぁいいか”とすぐに忘れて、機嫌がよくなったのか笑みを浮かべ、ポツリポツリと思いついた小説のネタを少しずつ話し始めた。

 あれから数日後、頭の中で整理しながら書いたメモをたまに見つつ、早速スマートフォンでサイトを開いて小説を書き始める。
 今日はバイトは休み、ゆっくりと集中して書ける。あの日詞衣にネタを話して語った事で、創作意欲が湧いている。この調子なら書くスピードもいつもより早く、数日で完成するかもしれない。書く気力がある内に書いておかないと、いつ書けなくなるかわからない。
 男寒は食事も忘れて、飲まず食わずに一日中スマートフォンの画面を見ていた。文章を打ち込む白の入力画面と、そこに打ち込んでいた黒い細い文字をずっと見ていたせいか目が痛い。しかし、予想では三日間くらいで完成しそうなのが、明日までには完成しそうな勢いだった。
(自信作の内容だ……早く、早く、……公開して大勢の者に読ませたいっ!!)
 公開すれば皆どんな反応をするだろう? 高評価と小説をお気に入りに入れてくれるかな? この機会にもしかすると他の小説も大勢に読まれるかもしれない。そうすれば、自分も少しは注目される存在になれるかもしれない。
 そんな想像が頭に浮かぶ、自分が皆に凄いと尊敬の眼差しを向けられる光景は楽しみでしょうがなかった。
「早く書いちゃおう……。」
 今回の小説の内容はいつもより自信がある。男寒はまるで、親からお土産にケーキを貰い、これから箱を開けようとする小さな子供のようなワクワクとした様子で、笑みを浮かべて小説を書き始めた。

 流石に一晩では書き終わらずに、書き途中の物を上書き保存した後にバイトに向かい、バイトが終わった後急いでアパートに帰宅すればまた書き始めた。バイトの休憩中に食事は取っていたが、小説を書いている時は食事を忘れてしまう。
 その日も男寒は食事も忘れて、飲まず食わずに小説を書き続けていた。その事を心配していた詞衣は、男寒から付き合い始めて一カ月後くらいに合鍵を貰っていたため、部屋に上がって軽くおにぎりを作って皿に乗せ、ラップをかけて畳み式テーブルに置く、慌てて食べて喉に詰まらせないようにと、自販機で買ったペットボトルのお茶もおにぎりの隣に置いておいた。
 男寒はベッドの上で胡坐をかいて、猫背になりながらスマートフォンと睨めっこしていた。邪魔をしないようにそのまま帰ろうとする詞衣に男寒は「ありがと」とスマートフォンから顔も上げずに軽く礼を言った。
「……後、後少しなんだ……!!」
「……頑張ってね。」
 眉間に皺を寄せながらブツブツと呟く男寒に、詞衣は応援の気持ちを込めてふわりと笑みを浮かべ言った。
 その数時間後に、男寒にとっては傑作の短編小説が出来上がり、早速サイトに投稿しては詞衣が作ってくれたおにぎりを食べた。おにぎりを食べながら、中身の梅干しが思った以上に酸っぱいと感じながらも、明日か明後日かには投稿した小説に沢山の感想が書かれているだろうと妄想する。
 どこにそこまでの自信があるのかはわからないが、この時の男寒は自信に溢れていた。おにぎりを完食すると、ペットボトルの蓋を開けて、一気に中身のお茶をごきゅごきゅと喉を鳴らしながら半分以上飲んだ。
 書きたい物も書き終えて、腹も満たされれば眠くなる。明日……いや、もう日付も変わり今日だがバイトも早い。さっさと寝てしまおうと思い、男寒は歯も磨き忘れてそのままベッドにダイブして眠りについた……。

 小説がなかなか読まれないのはいつもの事だ。自分にとっては自信作でも、周りが読めばどこにでもあるような物語なのかもしれない。
 そんな事はよくある事で、男寒も短編や長編を更新して毎日アクセス数を確認していたから知っていたはずだ。しかし、今回の短編への読者達の反応とアクセス数の少なさには不満だったようで、男寒は毎日欠かさずアクセス数を確認しては舌打ちをして苛立っていた。
「新作読んだ。凄く面白かったよ?」
 男寒の新作を読んだ詞衣はバイトの休憩中に感想を言う。いつもの男寒なら喜んでいたところだが、読んでくれるのはやはり恋人か知り合いだけ、後のアクセス数はきっとチラ見程度だろうとマイナス思考になる。あからさまに溜め息をついては「あっそ」と冷たく返してしまった。溜め息をつくと同時に、頭の中で“本当はこんな態度をとりたくない。”と思う。
 自分でもわかってはいる。数なんて関係ない。誰かに読んでもらえる事のありがたさ、こうして誰かに読んでもらえる事でどれだけ心の支えになっているかを……それでも、男寒は欲してしまった。
「もっと読まれたい……注目されたいんだッ!!」
 つい、大声でそう口に出してしまった。無意識に歯を食いしばりギリギリと音を鳴らせ数秒後、男寒は我に返り慌てて詞衣に謝ろうと顔を上げた。
「ごめん詞──」
「それが、貴方の“望み”なの?」
 男寒の言葉を詞衣は遮ってそう聞く、男寒はこの質問をどこかで聞いた気がして数秒間固まってしまった。頭の中で記憶を探る……どこだ、どこで聞いたのだろう。
 記憶を探っていくと脳内に詞衣の声が響いた。言葉まではすぐに思い出せなかったが、数秒かけて言葉もなんとか思い出す。その言葉は「それが、貴方の“願い”なの?」だった。
「……あ、」
 男寒は思い出す。確か一週間前辺りに詞衣をアパートへ連れて行った日、男寒が小説のアクセス数について弱音を吐いていた時に詞衣に聞かれた質問だ。あの時男寒は自分で発言した言葉になんだか情けなく思えて、恥ずかしくなって誤魔化してしまったのでその質問に答えていない。
 男寒は詞衣の顔を見る。彼女の表情は笑みを浮かべたままこちらを見ていたが、その笑みはいつもなら男寒にとっては癒されるが、相変わらず何を考えているのか感じ取れないような表情でたまに怖くなる。
「もし、男寒が一時的にも自分の小説が注目されるように願っているのなら……方法はなくはないよ。」
 こちらを見たまま固まっている男寒に、詞衣は続けて言う。男寒は自分の願っていた事が叶えられるかもしれない事を聞き、目を見開いた後に生唾を飲み込む。
 もしそんな事が可能なら、その話を聞かない訳がない。聞きたいに決まっている。長年の……小説を書いている者達の多くが望んでいる事が叶えられるのだ。
……しかし、それと同時に怖くもなる。そんなうまい話が世の中に存在するのだろうか? そんなうまい話があったら皆が皆作家に、それどころか有名人に、俳優や声優にもなれる。自分のなりたい存在にいくらでもなれる。
 男寒の中で揺れ動く、もしかすると自分が有名な小説家になって読者が増え、自分のようになりたいと小説家を目指す若者達が増えるそんな光景……。
(……有名になれば、そりゃアンチも増える。)
 それなら自分には乗り越えられる自信がある。人気になればアンチも湧く事は心得ているつもりだ。なら──
「それが、俺の願いだ……。」
 顔に汗を浮かべながら真っすぐに詞衣の顔を見ると、彼女は目を閉じた後にゆっくりと頷いた。

 数日後、本当に男寒の小説は注目された。ヒトコトポッチーでは話題になり、小説投稿サイトに載せられている男寒の小説は多くの者がアクセスして読まれた。感想も沢山書かれており、ヒトコトポッチーで呟かれた呟きにも返信が沢山きていた。
 その感想には、“この人の小説は磨けばまだまだ成長したはず。”“新鮮味がない。つまらない。”等書かれており、ヒトコトポッチーでの呟きへは、“俺だって読まれるようになるのに悩んでるのにさぁ”“まだこれからなのに、勿体ないね。”等書かれていた。

──注目され始めた二日前、互いの時間を合わせて詞衣に言われた通りに、男寒は二人で山登りに来た。
 気分転換のつもりだろうか、山の景色でも眺めて次の小説のネタが浮かぶように詞衣が気を使ってくれたのだろうか……。だとしても、それと注目される方法とどう関係があるのか、男寒には全く想像がつかなかった。
「着いたよ」
「詞衣……こんな所危ないよっ!!」
 二人が着いた場所は崖、落ちたら確実に死ぬであろう高さで、詞衣は左手で男寒の右手を握って崖の方へ小走りで向かう。男寒は何か嫌な予感がして「ぉい、なぁおい離せよッ!!」と全身から冷や汗を浮かべながら怒鳴る。
 普段鈍感な男寒でも流石に察してはいた。
「お前──“俺を殺す気“かよ……ッ!?」
 死ぬ気なんて更々ない……冗談じゃないッ!! 男寒は握ってくる詞衣の手を振り解こうとするが、おかしい。男寒は確かに力はある方ではないが男だ。男の力で振り解こうとしているにも関わらず、詞衣は意外と力が強くて離せなかった。
「私、昔から力持ちって言われていたのよっ」
 まるで何かのダンスパーティに来て、二人で踊っているかのようにグルンッと男寒は詞衣に回されると、二、三歩下がれば落ちるところまで男寒は追い詰められてしまった。詞衣は相変わらず何を考えているのか感情が読み取れない笑みを浮かべている。
 この微笑みは男寒にとっては今までは心の支えだったが、最早恐怖でしかなかった。
「男寒は自分の小説が注目されたい。」
「あ、ぁ……! なのにこんな事をしようとするなんて、何を考えているんだよッ!!」
 詞衣が一歩歩み寄ってきたから男寒も一歩下がる。
「私は貴方の“願い”を叶えるんだよ。」
「言ってる事とやってる事が違う!!」
「違くないよ」
 詞衣が一歩歩み寄ってきたから男寒もまた一歩下がると、ザリッと小石のような物が落ちていく音がした。次一歩下がったら……男寒の人生という名の物語は完結する。
「貴方の物語は完結するけど、願いは叶う。」
 詞衣が一歩歩み寄ろうと右足をゆっくりと上げるが、男寒はこれ以上下がれないから上半身だけを少し後ろへ傾ける。
 体を少しでも動かせば終わる不安定なこの状況、男寒の背中はビリビリと鳥肌が立ち、顔と全身に嫌な大粒な汗をびっしりとうかべていた。がちがちと歯と歯がぶつかる音が鳴る体験はきっとこれで最初で最後だろう。
「男寒、最初に私は言ったからね?」
「な、にを」
「もし、男寒が一時的にも自分の小説が注目されるように願っているのなら……方法はなくはないよ。」
 あの時の言葉だ……いや、よく聞いてみると、あれ、あれあれ。
「もし、男寒が一時的にも自分の小説が注目されるように願っているのなら……方法はなくはないよ。」
 詞衣はまた同じ言葉を言う……あ、そういう事か、そういう事だったんだ。
「もし、男寒が“一時的にも”自分の小説が注目されるように願っているのなら……」
 詞衣が再び繰り返し言葉を言った時、バイトの休憩中に同じ事を言っていた詞衣を思い出し頭に響いた。あの時の言葉……男寒は何となく、彼女が言いたい事がわかった気がした。
「“死ねば一時的に注目されるかもしれないよ。”」
 注目はされるが、それは例えるなら学校で何か問題を起こして一、二週間程度に話題になるようなそんな感じ。詞衣の言葉を聞いた直後に、男寒はふわりと浮遊感を感じた。
「あ」

 死んだだけでは注目されない場合もある。その後にも詞衣にはまだやる事があった。ヒトコトポッチーを開き、今は亡き男寒の小説更新呟きにこんな返信をした。
“この方は私の知り合いです。山で転落してお亡くなりになったと聞きました。”
 その後多くの者達が詞衣の返信に対して疑惑等書かれて叩かれたが、男寒の過去の呟きには、いくつか小説へのアクセス数に対して落ち込んでいるものやネガティブ発言等も書かれていた。自殺の可能性も高く考えられた。
 詞衣の返信に対して不謹慎だと信じていない者もいたが、男寒は亡くなっている。呟きはもう更新される事もない。自殺説と他殺説が半々になったが、男寒の死亡は多くの者から信じられ、男寒の願い通り“一時的に”自分の小説が注目された。
 詞衣は男寒を殺した罪悪感はない訳ではないが、彼の願いを叶えたつもりだからとその後、次の男を作り今も生きている。

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