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拝啓 親愛なるきみへ


きみが我が家の毛布のなかから顔を出さなくなって、もう半年を迎えようとしています。実家では電気代が1桁少なくなり、身軽になったような、物足りないような、そんな空気が流れているそうです。

きみは、気がついたら私の生活にいた。
ふたりきょうだいだったはずが、弟のような兄のような友人のような、そんな小さな、いや大きすぎる存在としてそばにいた。
今だから言うけど、最初はきみのこと全然好きじゃなかった。クッキーやパンの類は狙われるし、吠えるし、噛むし、それなのに両親はきみのことばかり。家族の中心もきみ。泊まりがけの旅行も無いし外食もあまりしなくなった。ケージのなかにひとりで置いていくのを母が嫌がったから。

元気がありあまるせいで網戸を破って外に出るし、散歩は長いし、ごはんを食べすぎて貫禄は出ちゃうし。歳を重ねても、衰えるどころか年齢の割に若々しいねって言われることの方が多かった。その頃にはきみが私の生活のなかに占める割合が大きすぎた。抱きしめるとポップコーンみたいなにおいがすること、耳とあごの下の手触りがベルベットのようにやわらかいこと、歩いている時のしっぽやあしの動きがリズミカルなこと、車に乗るのが好きで助手席に行きたがること、親に叱られている時には心配そうな顔で私と親の間を行き来することを知ってしまった。

いつのまにか、大事で、大切で、かわいくて、でもちゃんときみは老いていった。

当たり前だよね、当たり前なんだけどさ、どこかでこのままずっと生きるんじゃないかって思っちゃったんだよ。


あんなにそばに来なかったのに、いつしか抱っこをせがむようになった。ご飯に時間がかかるようになった。部屋のなかを歩き回っては壁に向かって行くようになった。遠吠えが止まらなくなった。病院に行く回数が増えた。薬の量が増えた。

世間でステイホームがうたわれて、オンライン体制が求められるようになった春のことだった。



そこからはもう、正直思い出したくない。
確かにきみはかわいくて、大切で、1日でも長くそばにいて欲しかった。でもそれと同じくらいにはこの日々が早く終わって欲しいと願ってしまっていた。

慣れないオンライン授業を受けている最中の遠吠えがマイクに乗らないかヒヤヒヤしたし、なかなかそれが収まらない時は途中退出しなきゃならなかった。休み時間とは名ばかりの食事や排泄の介助の時間。ペットシーツが擦れて、豊かだった毛並みが少しずつ薄れていくのが恐ろしかった。働いてくれている両親の代わりに担った家事のすべて。いつ起きだすか鳴き出すかも分からないし家事も課題も終わらないから、バイト以外はほとんど家から出られなかった。親がいない時は家に常駐できるようにと選んだコンビニの早朝バイト。休日も買い物に行く両親に代わっての留守番。「あなたがいてくれて良かった」も、「あなたが学校に行けなくて、介護要員がいてラッキーだ」という意味だって知ってしまった。うおぉん、うおぉん、さみしい、かなしい、遠吠えを聞きながらただ背中をさすることしかできなかった。代わりに私が死にたかった。作り笑いと中途覚醒と、包丁の扱いだけが上手くなった。ごめんね、ごめんね、ごめん。

わかってるもちろんかわいいよ。大切だよ。大好きだよ。わかってるわかってるけど。私だって授業終わってとんぼ返りするんじゃなくて寄り道したかったなあとか、友達との予定ドタキャンしたくなかったなあとか、大学生したかったなあ、とか、思うことさえ罪だ。飼い主のしての責任やいのちをかうということって、きっとそういうことだ。
日に日に骨ばっていく身体を前に、そんなこと思っちゃいけなかったんだ。
代わりに私が死にたかった。

別れは随分とあっさりとしたものだった。
大学の卒業式の朝、きみは私を見送った1時間後、早朝の両親がいる時間帯に目を閉じた、らしい。らしいというのは父から聞いただけで、実際に私はその時家にいなかったから。
数日前から酸素ボックスのなかにいて、その日の朝も行ってくるねと声をかけて、それがさいごだった。

「見せたくなかったんじゃない?」と母は言った。国家試験を終え、成績が発表され、やっとの思いで卒業旅行に行き、卒業式の朝を迎えた私を見て、もう自分が居なくても大丈夫だと思って。区切りをつけるその時を見せずに静かに命を結んだ。
犬なのに猫みたいだなあ、なんて思った。

骨壷に入ったきみは、ひんやりして、つめたかった。
「これがしっぽの骨ですよ」と説明されながら、残った骨が全部ひとつになって、手のひらに乗るくらいちいさくなってしまった。年齢のわりに綺麗に残ってますよと言われても、あの子はこんなにかたくないのにな。ポップコーンのにおいも、柔らかい毛もないのにな、でも、ここにいるんだよな。


ひとり暮らしを始めて、この部屋にきみがいるはずなんかないのに、ふと毛布のたわみやタオルの重なりなんかを見ると「あ、上から乗ったら危ないから気をつけなきゃ」なんて思ってしまう。料理中にネギを落とした時、拾い食いされないように素早く拾う癖は今も抜けない。長い時間外にいるとまとわりつく焦燥感と罪悪感、そして寂寥。


そっか、もう早く帰る必要も、家にずっといる必要も無くなったんだった。



生活にきみの面影を見つけては、柄にもなく毎日、本当に毎日、涙がこぼれます。自分勝手だね。
心の中で思い出すと花が降りそそぐというならば、ここ最近は毎日土砂降りでしょう。
でもきっとこの雨があがるとき、きみは過去になる。どうしてもそれが耐えられません。
いつかあたたかなタオルでくるみにいくから、少しだけ、もう少しだけ許してください。そして、いつもみたいに「ばかだなあおまえは」って顔で私の横にいてください。

ごめん、だいすきだよ、愛してるよ。


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