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アップデートが開始されている、かもしれません

人間になんかなりたくなかった。

自我も、自由も、私にとっては障害物だ。校則や大人の視線を第一優先に社会規範を読み取って、必死に頷いて笑っているあの時の方がよっぽど楽だった。何も考えずに最適解を導き出せればそれでよかった。敵じゃありませんよ反抗しませんよという服従の姿勢がとれれば、誰もが笑ってくれた。歓迎された。それでよかった。それがよかった。

波風を立てないことと自分の意思を表に出すことを天秤にかけて、自分の望みと期待を天秤にかけた。指標である「平和」の文字はどんどん重たくなって、見えない力で秤を押していくけれどもうどうでもよかった。周りの人が笑ってくれればそれでよかった。
利他主義という名の利己主義。笑ってしまうよな。

「初めて」が剥がれていく度、自我が空気に触れる。酸素の名前は「自由」という名の中毒物質。一度知ったらもう戻れない。喜ばしいはずのそれが、私には恐ろしくて堪らない。「あなたはどうしたい?」という問いかけが、最適解の無い問いが、正解が見えない問いが。
誰かに非難される可能性を孕んだ空間が怖い。
だったらもう、最初から知らない方が良かった。わかっている、知らなかった頃には戻れない。

くしゃくしゃになった紙がまっすぐには戻れないように、知らなかった頃には戻れない。刻まれた脳溝はずっと自分に残り続ける、わかっているんだけど。

きっと、これが生きていくってことなんだ。

春が過ぎ、夏を経て、8畳1間で目を閉じる。20年と少しの年月をかけられたプログラム。少しずつ、少しずつ上書きされていくのを感じながら、そっと空気を吸った。

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