見出し画像

私を取り巻く障がい者〜家族のお話〜

今日は私が育ってきた
家族のお話。
家族は障がい者ばかり。健常者の方が少ないかも?

いわゆるヤングケアラーの成れの果ては
自身も障がいを持ちました。という話

生まれた時

母 視覚障がい、統合失調症(入院歴あり)
父 てんかん(妹出産後に離婚)
私 平成とともに健常者で生まれる
妹 私と5つ違い、健常者で生まれるがこだわりが強く、てんかんが小学校4年生頃に発症、その後中学2年生で知的障がいの認定を受ける

妹が生まれた時には父と離婚していました。
それからは「あなたが母の目に、右腕になるのよ、強く!」と
色々な人にいわれそういうものだと思い、幼少期は過ごしてきました。

妹が生まれるまではおそらくやんちゃでわがままに育った私が
妹ができた途端父がいなくなり、妹が増え、生活が変わり。。。
たった4−5歳の私には荷が重かったと思います

母の限界、虐待の始まり

元々統合失調の陰性症状が時期によってあり
覚えている範囲だと、父と離婚してすぐに

警察を何度も呼んだり
👉確か、ものがなくなったとかそんなこと
仲良かったママ友を急に怒鳴ったり
●●地域の人が私を狙っていると言ったり

上記のようなことがあったりなかったりしながら
私が小学校高学年になる頃には歩きながらブツブツと
独り言を言うようになってしまいました。

何せそんな精神状態のため私たちにもきつく怒鳴ったり
髪の毛をもって振り回す、殴る、蹴るはよくあることで
私も妹も「自分が悪いことをしたから仕方ない」
と中学生くらいまで思っていました。
今もどこかで思ってるかも。。

妹の引きこもり、発作が頻発

私が中学生くらいになる頃には
妹はてんかんが頻発していて
母を始め親族に
「私が家にいて夜PCを自室などですることにより
妹が寝れない日が続き発作が起きる」
と言われしまい、帰りづらくなり夜外で過ごすようになってしまった。

妹も不登校が続きコミュニケーションがどんどんと取れなくなってしまい
全寮制の学校へ入れられる形になってしまった。

現在の私

私はそんな背景で育った影響もあり
大きくなるにつれて
「自分は虐待を受けていた」
「本当はみんなもっと甘えて生きていた」
「帰るところがあった」
「もっとちゃんとしないといけない」
と思うことが増えてきてしまい精神的に不安定になっていきました。

現在は32歳。双極が発症から12年たち、少し落ち着いてきました。
人間らしい生活が当たり前に送れるようにもなり
グループホームに住む妹のフォローをしながら
自身は訪看さんや、病院でのケアを受け過ごしていくという形に
まとまりました。

まとめ

今後色々な投稿をしていく上で
私の育った環境のことや家族の障がいのこと
ヤングケアラーだったことについても
もっと書いていきたいと思っています。
そのために書いてみました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?