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【毒親】34歳にして『家族』を知った

20代の頃、かかりつけだった精神科医に
「家に帰ると落ち着くような感覚ないの?」
と、言われたことがある。

その時は私は一人暮らしだった。
にも関わらず家に帰るのがあまり好きじゃなく
一人でいるのが辛く。
夜な夜な遊び回ったり、始終人といることが当たり前だった。


私は先日結婚した。
5年交際、3年同棲を経て結婚に至った。
今の主人は私を否定しないし無理強いしない。

私は長らくヤングケアラーであり
母の目になり、妹の母になり。
家族に残された唯一の“健常者”の役割を
私なりに全うした10代を過ごした。

自分のわがままを聞き入れてもらえないこともよくあった。
好きなものは買い与えてもらったけど
家の中は散らかり放題で、ゴキブリだらけ。
母は寝ながら顔をゴキブリが這うとか言うし
誰かが家の中に入ってきたなどの妄想で怒り出すこともあった。
みんなが当たり前に持っている『家族』は
買い与えてもらえなかった。

まぁ目も見えないし、統合失調症だから普通なんだけど。
なのであまり子供らしい時間は過ごしてこなかったし
妹が生まれる前の記憶はないけど、生まれたからは鮮明にあるので
そこから私の自立への道が始まっていたと思う。

常に緊急時のような心身が続いていて、お陰で社会に出てから
双極を発症した。


そんなことがずっとあった私だけど
34歳にしてやっと家の居心地の良さに気づいた。

朝日が当たる部屋、ちょっと散らかったリビング
朝のコーヒー、風や鳥の音
それなりに大きいテレビ、自分の学習スペース
たまに干す布団、何年も使ってる枕
欠けてないお皿、腐ってないお惣菜
シワのないシャツ、明るい電球

生活感があって、そして受け入れてくれる主人がいて
『これが家族なのか』『これが家なのか』と
34歳にして気付いた。

毎日のように、主人が笑う姿を見てホッとする。
『ずっとこの笑顔を見れるように頑張らないとな〜』と感じるようになった。
あの頃の私は、何も知らなくて小さな世界で生きていたので
それがおかしいことだと思っていなかったけれど
20代になって現実とのギャップが埋まらなくて
希死念慮が止まらなかった。

今は、なんとかかんとか。
ちょっと人らしくなってきました。34歳にして。

あの頃の私を包んであげたい思いが
今日はすごく高まったので
文字にしてみました。
近くにいたら、助けにいけたのに。
助けてくれない大人ばっかりで違和感に蓋をして
生きていたなぁ。
よく頑張っていた。

そして、生まれた時からそんな素敵な『家族』を手にしている人は
本当に本当に羨ましいと思う。
だから、いつか私もそんな『家族』を作れたらと思うし
主人にとって私も温かい存在でいれるように
ぼちぼち歩いていこうと思った。




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