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タイプ9が周りに合わせる理由

タイプ9には、他人の視点を受け入れやすいので皆の言っていることが少しずつ分かるという特徴がある。他の人がどう思うかを気にして、自分の視点もそれに合わせようと考える傾向がある。

それはなぜか?

その答えは「自分では判別がつかないから」だと思う。

タイプ9の特徴として、人と人を結びつけやすい。根源的な面で言えば、「つながり」を見つけやすい。共通点を見つけやすい。複数の「異なる」と言われている物事の間にある「同じ」部分に気付きやすい。「違い」を「同じ」に持って行こうとする。
これは、タイプ9が『調停者』と呼ばれる理由でもある。

その欠点として、判別がつきにくい。共通点を簡単に見つけることができ、全部同じように思えてきてしまうので区別が付けられない。似ているものの違いが分からない。

例えば、「バランスが取れている」と「何もかもが中途半端」の違いを区別できない。“中身” を分解して何が違うのかを調べられない(=内省が難しく、自分自身や周りの人の内部にある問題を見つめることから意識を遠ざけるという「怠惰」の囚われ)。
そこで周りの反応を見る。「バランスが取れている」は「良いもの」であり、「何もかもが中途半端」は「悪いもの」であるということは分かるので、中身を調べるために周りに頼る。周りが良いと言うなら「バランスが取れている」であり、周りが悪いと言うなら「何もかもが中途半端」なのだ(=超自我の声「周りが大丈夫なら、自分も大丈夫だ」)。

では、良いと言う人も悪いと言う人もいたら?
「どちらも正しいような気がする」←タイプ9の口癖


「本質的には同じ構造をしているのだから、区別がつかない」というのがタイプ9の囚われでもあり『調停者』としての素質でもある。


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「あなたが〇〇されるなら、私は〇〇しているということ」

↑これがタイプ9の持つ『一体となった感覚』

タイプ9にとって「自分とはどういう人間か」は周りとの人間関係が反映されている。
「平和な生活を送っている」と思っているタイプ9は周りから良く思われているし、「最悪な人生だ」と思っているタイプ9は周りから悪く思われている。「私はいたって普通の人間だ」と思っているタイプ9は周りに受け入れてもらっているし、「私は変な奴に違いない」と思っているタイプ9は周りから厄介者扱いされているということ。

周りの反応があるからこそ自分自身のアイデンティティが強まる感覚がある。自分自身は本来「無」であり、他人との表に見える交流によって立ち位置が確立される感覚がある。しかしそれは自分のアイデンティティとは離れた「単なるその場しのぎ」であることもある。囚われが強まるほど表現と人格が一致しない違和感が生じ、「愛は行為ではない」という信念が形成される。それはタイプ9の囚われでもあるが、『聖なる愛(=愛とは何も成されなくてもただそこに存在する “繋がりの感覚” である)』の本質に触れているとも言える。


タイプ9の性格を構成する考えをまとめてみる。

  • 「“もの” はただの “もの” であり、存在しているだけに過ぎない」

  • 「誰かがそれを良いと言うならそれは良く、誰かがそれを悪いと言うならそれは悪い(という “形” に合わせれば良い)」 ……『聖なる愛』に関連

  • 「“良い” も “悪い” もない、ただ “ものが存在する” というだけの平和な世界にいたい」 ……根源的欲求「平和でありたい」

  • 「私の意見は重要ではなく、誰の意見も重要ではない(形だけ合わせるが)。なぜなら世界に良いも悪いもいらない」 ……もらえなかったメッセージ「あなたの存在は重要です」に関連

  • 「“私達は何のために存在するのだろうか” という意義の探究などしても何も見当たらない」 ……囚われの『怠惰』


まとめ

タイプ9は、あらゆるものを「同じようなもの」としてまとめ上げる性質を持っているため、その引き換えとして区別が難しくなる。
どんなものにも共通性を見出す『調停者』の素質を持ち、ものごとの区別は必要ないという信念を内面に秘めながら、それが通らない場においては表面的に周りの意見に合わせることとなる。


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