アンスクール的思考:「一番の」理解者になろうとしない
親は良かれと思って子供一番の理解者になろうとする。
私もそれが親としての自分の勤めだと思っていました。
しかしそうじゃないんです。
子供にとっての一番の理解者は「子供自身」であるべきなんです。
子供が大人になるまでいろいろなことを挑戦し失敗もできる場、
それが家庭です。
学校であれ、不登校であれ、ホームスクールであれ、なんでもいいんです。
なんなら全部試してもいいんです。
私と子供達は全部試しました。
一度始めたら最後までやり通す、これは場合によっては
どうでもいいことです。
身体を壊してまでやらなければいけないことは何一つありませんから。
日本は島国で外からの流入が少ないこともあり
また、日本人自体も外部との比較がしづらいことから
生真面目な性分も手伝って自分を追い込む要素を持ち合わせます。
いろいろな生き方があると知ってはいても
いざ自分がその「いろいろ」の部類に入るとなると
様々な不備に行き当たります。
でも思うんです。
小中学校の頃に壁に行きあたることは不幸中の幸いなのではないかと。。。
遅かれ早かれ、行きあたる壁なのかもしれない、と。
それならば、親は子供と一緒に
子供の何をも否定せずに包括した方法で
どう言った環境であれば自分にとってベストなのかを
子供を主体として見つけさせてあげることが
子供自身が自分のことをよーーく理解しうる
一番の近道で確実な基盤となるのではないかと思うんです。
ベストと言っても
「今よりベター」ということです。
しかもそうではないかもしれない可能性も含んでいます。
でも、やってみないとわかりません。
そういった積み重ねで子供は自分のことを理解するようになります。
何事からも学びとろうとすること、これが
アンスクール的思考です。
学んだことを最終地点とせず、結論とせず、必要があれば
わざわざ学びを解いて学び直すこと、これも
アンスクール的思考です。
アンスクールは子育ての方法に止まらず、哲学であり、
人の数だけ可能性と道を秘めた包括的な考え方です。
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