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永遠の敵

 計算、計算、計算…。地道に電卓を叩き続けるも、どうもうまくいかない。なぜこうもずれてしまうのか。答えは単純明快、何を隠そういまの時刻は深夜2時を回ったところ。一日中、あくせく働かされた脳みそに、こんな夜更けから正しい計算をする力なんて、これっぽっちも残されていないのだ。それでもそんなことは言ってられない。だって、支払日は明日に迫っている。そう、わたしは納税の計算をしているのだ。

 わたしは昔から計算が苦手だ。小学校の算数、中学高校の数学もろとも上手くいった試しがない。小学校2年生で習った時計の読み方では、文字盤には数字が12までしか書かれていないのに、午後になると1を13と読み、5を17と読むことに苦戦した。中学に入ってからは、数学は「数」を「学」ぶと書くのに、数式には数字でも何でもないxとかyが登場し、極めつけに√やα、βまで襲ってきた。もうこんなもの、数学でも何でもない、ただの宇宙語でしかない。

 大人になれば四則計算ができれば十分になるよ、と何度言われてきたことか。実際、わたしの人生において授業とテスト以外で√もβも登場したことはない。それでも四則計算だって、そんな簡単な話ではないのだ。

 スーパーに行っては予算と照らし合わせて計算をし、仕事のスケジュールを組むのに時間を計算する。学生の頃にやっていた机上での計算とはまるで違う。あそこでは、いかにケアレスミスをしないか、四則計算ではただそれだけが求められていた。けれど日常生活ではこれらを歩きながら、他のことを考えながら、あらゆる物事と同時並行でやってのけなければならない。そうでなければ、1日24時間では到底時間が足りない。日々の効率化を図りたい。

 結局のところ、わたしは未だに数の魔から逃れられてはいない。そんな呑気に効率化だなんて言ってはいられないのだ。そもそも簡単な心理テストをしてみると、わたしは物事を同時にこなしていくのが苦手なタイプらしい。そこまで言われてしまっては、こちらとしても太刀打ちしようがない。けれどそれを理由に数との戦いを諦めるのはなんだか癪なので、日々、わたしはあらゆる場面で戦いに挑み続けている。 
 そして最近になってようやく、レジでの支払いでキリのいいお釣りをもらう計算を身につけ始めた。これでわたしの長い戦いにも晴れ間が見えてきた。そう思っていた矢先、新たな敵がやって来た。許すまじ、税金。


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