大人は二十歳になってから?

私事ですが、先月二十歳になりました。

と言っても、お酒が飲めるようになる以外大きな変化もないですし、実感というものは湧きません。そりゃそうです。だってただ一年という時間が過ぎていっただけなのですから。

けれど、二十歳というものは大きな節目のようで。わざわざ大金払って一回きりの振袖を着て、モデルの真似事のように写真を撮って、寒い中成人式という旧友と再会できる場の提供をされて、すごく意味のある年のようです。(マイナス的表現ですが、私はしっかり全て楽しみました)

二十歳になって1ヶ月経った今、私は何か変わったのでしょう。実は少し変わったような気がします。1つ学んだことがあるのです。

それは、感情のセーブ。子供の頃は、とても小さな事で駄々をこねたり、中学生になれば反抗期はやってきます。高校生では部活動などで周りの友人と感情的に話し合うこともありました。そもそも私自身感情の起伏が激しい人間なので、親とも未だによく喧嘩していました。

しかし、最近感情がセーブできるようになったのです。(それが二十歳になったのだから、という自分の意識からくるものなのかは不明ですが)今までは私にとってマイナスな状況が発現した瞬間、怒りや悲しみなどの感情が産まれ、その全てが態度に出ていました。

勿論、感情を出さないタイプや、元からあまり怒りなどの感情に対しての認識が薄い方などは、世の中にいるでしょうから、それが=大人になったこと、とはならないでしょう。ですが私の場合は、大きな欠点であったこの「感情の起伏が激しい」ということが、欠点ではなくなろうとしているのです。

これは喜ばしい事なのでしょう、しかし、それと同時に少し寂しいのです。少し大人になってしまったんだ。子どものままで居たい。そう思っているのです。甘えていたい。夢を見てたい。苦しいことはしたくない。現実から逃げたい。14歳のシンジくんですら逃げちゃダメだ!と自問自答しているのに私は逃げたい。それ一択です。

私の解釈として、大人になるということは、現実と向き合う・知っていく、ということです。幼稚園生の頃夢みていたお花屋さん、小学生の頃目指していたピアニスト。中学生の頃夢みてた歌手。高校生の頃に決めた演技への道。しかし4年制の文系私立大学へ。

子どもの頃は知らない現実によって無限にあった夢も、どんどん現実によって砕かれていく。悲しいですよね。

そして今私は新しく「就活」という現実に立ち向かわなければなりません。嫌ですね。

私には高校生の進路で悩んだ時からずっと聞いている好きな曲があります。YUIさんのTommorow's wayという曲です。

叶える為 生まれてきたの 幼き日々に 描いた宇宙 I'm a baby 泣きたくもなる 手に入れるための 痛みなら so good        (YUI Tommorow's way 歌詞より)            

この歌詞はサビ部分ですが、歌詞全てをぜひ見て頂きたいです。

この曲は、逃げ出したいと思った私の心情とリンクし、なおかつ自分の夢を思い出させようとしてくれる素敵な歌です。私はなんどもこの歌に救われました。 

結局何が言いたいの?って話なんですけど、大人になるって現実を知っていくってことなんだろうな、その度に逃げようとする私だけども逃げちゃいけないんだろうな。けど、幼き日々に感じたことも忘れたくない。ってことなんです。多分。

しかし現実を知ることが悪いことばかりではないというのも知っています。すごく単純な話をすれば、政治やメディアなどの現実を知るからこそ、ニュースや記事などが様々な視点で見れる、面白くなる。

無知は恐怖であり、幸せなことである。

子どものようにまっすぐ、しかし大人として生きて行く。とりあえず今年の目標です。「大人として」の部分がちょっと抽象的ですが、二十歳の目標としては、なんとなく良いのではないでしょうか?

この私の記事をもし読んでくれた方がいたとして、大人になるってどういうことだと思いますかね?

ちなみにエヴァンゲリオンはアスカが好きです。



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