普通オバケ
こんにちは!りんねです。
語尾の丸、句読点。コロンとしていて、文章をキュッとまとめるさり気なさが可愛いなぁ…と最近思っています。めんどくせぇと思っていた10年前には、こんな考えになるなんて想像もしてなかったなぁ。しみじみ。
人の考えなんて、時と場合でぐねり〜ぐにゃり〜っと曲がっていきますよね。言葉や常識だってグニャラカグニャラコ〜と曲がるからこそ面白いんです。
言葉と言えば、最近、「発達障害」という言葉が少しずつ有名になってきました。心の病気、増えた?と思っていましたが、意外と纏める動きもあるんですね。アスペルガーは、もう自閉スペクトラムに含まれている様です。
発達障害の「障害」という部分、少しだけ生きづらいだけの健常者と区別する事は困難だし、スペクトラムはグラデーションという意味で用いられているので、診断がとても難しそうです。
ジェンダーですら、グラデーションとして考える取り組みがあるので当たり前ではありますが。
因みに、ASD(自閉スペクトラム障害)ですが、こんな特徴が。
こだわりが強い
興味の偏り
反復行動
非言語コミュニケーション苦手
手先が不器用
聞いたことを覚えられない
感覚過敏や鈍磨
この他にも色々と特徴がある様ですが、当てはまる!と思う人は多いんじゃ?
だって、オタクってある意味こだわりですし、故に他人への興味が薄いなんてザラ。コミュニケーション超得意!私エスパーかも?!なんて考えられる人なんて会った事ありません。感覚なんて、優位なものがそれぞれあって普通。聞いた事が覚えられない?そんなもんでは?と思ってしまいます。
そう。意外と普通に当てはまるんです。
あ、重度で苦しんでいる方を否定したいわけではありません。
音が苦手で泣きたくなったり、洋服の素材が原因でおしゃれが楽しめなかったり、言葉を真面目に捉えて押し潰されているのに更に高みを目指せと言われて鬱になったり、困難がとても多い事は理解しています。
ただ、少し生きづらいのかも?という人にまで安直に「もしかしたら発達障害なのかもよ?」と言ったり、「もしや私って…?」と思わせたりする社会になりつつある気がしていて、それが心配です。
「ちょっと変わってるのかな」が、「多分障害なんだよ」の烙印に、分かり合えない言い訳に変わってしまう…若くは諦める免罪符になってしまう…そうなりやすい環境になりつつある様な。
問題なのは、そうした言葉が「親切」となる事です。
「障害がある人とでも仲良くできる自分」という、一つのブランド。
「多少のエラーは大目に見てあげますよ。」という、驕りとエゴ。
そうした上からの優しさは、「まぁ仕方ない。私はダメなんだ。」という人生への諦めに繋がり、ミゾを深くするだけです。
ヘタに知識だけを中途半端につけた場合、勝手にお節介を焼いて焼いて、焦げ付いて再生不能に陥ってしまう人もいるでしょう。エゴと憐れみを燃料に燃えるなんて、臭くて鼻が曲がってしまいます。嫌すぎる。
普通、という知らない概念に縛られて、「これは変だ!何か問題が!」というチェックテストで不安になるなんて、狂っています。
「普通の人 診断」を検索した事すらないのに。全てが平均なんて、それですら異常なのに。
普通という言葉だけがボヤボヤ使われて、亡霊の様に背後に潜んでは「それは可笑しいよ」と呟いては、恐怖を引き出して消えてゆく。
変なのかも?と疑っては、心の傷やら何やらを無理やり引き出して傷つきながら「普通じゃない」恐怖に怯え、血みどろに。
もしかして、心にゾンビを飼いたい酔狂な人なのでしょうか。
私、今の今まで普通の人に会った事ないのに。
みーんな、どこか変なのに。
それが「普通」なのに。
普通オバケ、ハロウィンで食われてしまえ!
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