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「依存」は悪いこと?

どうもこんにちは、凜です。

今日も今日とて、世界にはおいしい食べ物があふれていて、私は今日も欲求に抗えず過食した。食べたかったから食べたのだし、美味しかったのだからそれでいい、と無理やりにでも思うことにする。

今日は少し、依存について思ったことを綴りたい。

皆さんは依存と聞いて何を思い浮かべるだろう。

アルコール依存症、ギャンブル依存症、セックス依存症、恋人への依存、子どもへの依存…等々。

まぁ、おおむね世の中で「依存」という言葉が使われるとき、そこにはマイナスの意味が込められているし、マイナスのイメージがまとわりつく。

何より、依存はひとつの病気なのだ。

摂食障害も「痩せること」と「食べ物」への依存症に他ならない。

そして、闘病の中で気が付いたのが、自分の中にいるもう1人の私への依存が存在していることだ。

もう1人の私、とは、表に出ない、子どものままの私のことだ。

インナーチャイルドと呼ばれるらしいこの概念を私はつい先日、過食のオンライン相談の中で初めて知った。私の中のインナーチャイルドは、病気によって向き合わなければならない未来への不安や、現状の辛さをやわらげようとしている。病気を抱えることで(言い方は悪いが)周囲の気を引いて、愛を得ようとする。だから、インナーチャイルドは病気を治すことを拒むのだ。

病気を取り上げられてしまったら、何も残らない。そんな恐怖が、インナーチャイルドであり、その正体は「愛情不足」や「承認欲求」、そして「きわめて低い自己肯定感」であると思っている。

このインナーチャイルドとの戦いは、長く、険しい。コイツは私に優しくて、私の唯一の味方であると同時に、病気の根源なのだ。なんて厄介なやつなのだろう。

早くコイツとお別れして、何かに依存するのをやめて、自分軸を持って生きたい。そんな気持ちが私にも強くあるから、今日も過食にくじけず、あきらめず、闘っていこうと思う。

けれど同時にこうも思うのだ。

「依存ってそんなに悪いこと?」

人は1人では生きていけない、とよく言われる。

それと同じで、人は何かに依存していないと生きていけない生物なのではないか?

きっと答えは十人十色だろう。

けれど、今、何かへの依存に罪悪感を持っている私のような人がいるのなら。きっとその心の奥底には、寂しがり屋で愛に飢えた子どもが、うずくまって泣いているはずだ。その悲しみ埋められるものはなかなか手に入らない。だから代替物に依存する。

依存ってつまり、それだけのことなんじゃないか、と思う。

だから私は、依存する私を責めないようにしてあげたい。

泣いている私を蹴ったって、いいことなんてひとつもない。

今日も、食べ物に、推しに、親に、友人に、依存して生きていこう。

とりあえず生きていればいつか、私の中の私が笑える日がくるかもしれない。その日まで、前向きに依存して生きていけばいい。



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