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大好きなお父さん、大嫌いな自分

今日はとても、とても悲しくて最悪なことがあった。

序盤からこんな調子だから、今日はきっと良い言葉はひとつも選べない。

でもこの気持ちを1人で抱え続けていたら苦しくて死んでしまいそうで、だから吐き出すだけ吐き出したい。

私は今、大学4年生。

就職も決まり、実家で父親と2人で暮らしている。普段はアルバイトをしたり学生をしたりしながら気ままに人知れず闘病生活を送っている。

そんな私は今日もいつも通りバイトに出かけ、帰ってきた。

そしてふと、とても何気なく、夕飯の準備をする父の背中に問いかけた。

「父さんは、私が心療内科に行ってる理由、気にならないの?」

私は今、こんな質問をしたことを深く深く、後悔している。

けれど同時に聞いてよかったと思ってもいる。

とても傷ついて、ぐちゃぐちゃに泣いて、過食して、気持ち悪さに丸まりながらこれを書いているけれど、この気持ちにはきっといつかどこかでちゃんと向き合わなきゃいけなかったんだ。

返事は、こうだった。

「気になっても仕方ないじゃん」

あぁ、そうか。

この人にとって、私が病気であるとかないとか、そういうの、マジでどうでもいいんだ。ただ、娘だから、家に置いていて、親としての責任である経済支援をしてくれているに過ぎないんだ、と。

こんな年になっても親の愛情を欲しがって、愛してくれないことにかんしゃくを起こすなんて情けないと思う。でも、もう耐えられなかった。

はっきり明言する。

私は父親が大好きだ。

中学時代両親が離婚して、姉も早くに家を出て、以来父と私は支え合いながらやってきたつもりだ。父からの愛情を存分に受けて育ったと思う。

だから私は父親に恩返ししたくて、大学受験は猛勉強して公立に合格したし、大学生になっても良い成績をキープして、就職もちゃんと決めようと思った。実家に帰って父親を支えようと思った。

そう、私は父親が大好きなんだ。

無口だけどクリスマスにピザやケーキを買ってきてくれたり、私の誕生日には毎年プレゼントをくれたり、一緒に映画を見に行ったり、休日ドライブをしたり、夜リビングで相棒を一緒に見たり。

きっと端から見たら滅茶苦茶仲良しな親子に見えると思うし、私もそうだと思っていた。少なくとも私はそんな父が大好きで大好きで、ファザコンと言われても気にならないくらいだった。

それなのに。

それなのに、だ。

世の中ってなんて残酷なんだろう、人間ってなんて残念なんだろう。

私がいちばん苦しんでいることに、父親は興味を持ってくれない。

辛いんだね、と。

苦しかったんだな、と。

一言、たった一言でよかった。

理解して一緒に闘病してくれとは言わない。

ただ、ただ、受け入れて欲しかっただけなのに。

それすら叶わない私と父の関係って何なんだ、と泣きたくなった。

ずっとずっと私は父に愛されたかった。

理由は分からない。でも、たぶん、シンプルにそれは親だからだ。

親の愛情を子どもが欲しがることの何がおかしい?

父に愛されたくて認められたくて頑張って生きてきたのにこんなの、あんまりじゃないか。

私は私が大嫌いだから、ずっとずっと、誰かに愛されたくてたまらなかった、

でも、

それは誰かじゃだめだったんだ。

父に、愛されたかった、認められたかった。

私が大嫌いな私さえも許して欲しかった。


もう、何もかもどうでもよくなってしまった。

生きる意味も希望も、分からない。

生まれてこなければよかった。

ちゃんと愛せないなら、私なんて生まないで欲しかった。

でも私は大好きな父を明日もきっと大好きでいるし、

代わりに明日の私は今日より私が大嫌いになっていると思う。



ごめんね、お父さん、

こんな娘で。

これまでの20年、これからの数十年、こんな出来損ないと生きていくんだね。


でも私は今日もあなたが好きだよ。

大好きだよ。

愛して欲しいよ。認めて欲しいよ。受け入れて欲しいよ。


もう疲れたよ。

闘病も、何もかも、どうでも良い。

はやくこの命が尽きますように。


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