私の心にいてくれるみんな、ありがとう。
私が1歳の頃、父は病気で度々入院していた。その父が通院生活からも解放されて、半年が経ったころ、弟が誕生した。私は2歳半になっていた。
母は3人目の子育てを楽しみにしていたようだ。
姉の時は育児ノイローゼになり、私の時は父の病気でバタバタ。
「3人目は楽しいよ」と周囲からも聞いていたようだ。
ところが、弟の誕生後、明らかに母の体は不調になった。
完全に腰が抜け落ちたような感覚だったらしい。歩くことも困難。
ひどい腰痛で産後も毎週病院通いとなる。
1か月後、病院の検査では異常はないと言われるものの、現在に至るまで毎日どこかしらが痛み、常に不調な体になった。
これを書いていたころは、母の身に起こったことは不運で、良いことは一つもないと思っていた。母が辛い思いをしている中で、私が幸せでいるなんてことは許されないとも思っていた。
現に、母も自分の身に起きたことについて、どうしようもできない苛立ちを口にすることが多かった。
「あんたたち3人とも拾ってきた子だから、うちの子じゃない!」「そもそも子どもなんて産むつもりなかったんだ!」と度々言っていた。
ただ、弟のことを「産まなければよかった」と言ったことはなかった。
私は意地悪なので、そんな母に「弟を産まないのと、自分が元気なままでいたのと、どっちが良かった?」と質問したことがある。
一瞬沈黙があったが、すぐに「どっちが良いとかない」と返ってきた。悪い質問をしたと、今でも反省している。
子どもの頃の自分にできたことは、良い子でいることだった。
家では、ピアノを弾いている分には怒られることはないから、ピアノを弾いた。
学校でも、変なことをすれば親に迷惑がかかるとわかっていたから、優等生に見えるように心掛けた。
その場の「ほしい」「したい」という欲は恥だと思い、我慢することが美しいと思うようになった。
自分の甘えを許さず、強くなることだけを考え始めた。
それが普通として生きている時は辛くなく、時々激しい孤独と寂しさを感じたが、「生きるとはそんなもんだ」と思っていた。
「自分は頑張っている」と初めて自分を認めた時、何かが崩れた。
何から何までもが辛くなっていき、最終的に自分の思考のすべてを消したくなった。
今思う。
私はこの家に生まれたこと、この家で育ったことに何の不満もない。
むしろ、この家に生まれてこその私である。
もはやこれらは、私の誇るべき能力だと思う。
そう思えるようになったのは、家以外の空間で私のことを支えてくれたり、私の話を聴いてくれたり、どんな私も受け止めてくれる人たちに出会ったからだ。
私の力を伸ばしているのは、私ではなく、私の近くに居続けてくれる人たちだ。この考えはこの先も変わることがないと思っている。日々出会う人、今日も私のそばで笑っていてくれる人、笑うことを思い出させてくれる人、みんなだ。もちろん、家族もだ。
私の周りの人たちが、私の意味を作ってくれる。
いつもありがとう。私の心にいてくれる人たちに、私は全力で寄り添い続ける。
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