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私の心にいてくれるみんな、ありがとう。
私が1歳の頃、父は病気で度々入院していた。その父が通院生活からも解放されて、半年が経ったころ、弟が誕生した。私は2歳半になっていた。
母は3人目の子育てを楽しみにしていたようだ。
姉の時は育児ノイローゼになり、私の時は父の病気でバタバタ。
「3人目は楽しいよ」と周囲からも聞いていたようだ。
ところが、弟の誕生後、明らかに母の体は不調になった。
「(母の)体格のわりに赤ちゃんが大きすぎたか、骨盤が広がる前にお産が進行してしまった」
完全に腰が抜け落ちたような感覚だったらしい。歩くことも困難。
ひどい腰痛で産後も毎週病院通いとなる。
1か月後、病院の検査では異常はないと言われるものの、現在に至るまで毎日どこかしらが痛み、常に不調な体になった。
(5年前に私が書いたノートより)
母のことを可哀想だと何度も思ったことがあります。不自由な体を持つのは苦労の多いことだと思います。その上、母の身体は、西洋医学的には何の病名もつかない、無名の病なのです。
母はあまり自分から体のことを口にしません。他人の理解が得づらいからでしょう。きっと今まで幾度となく悔しい思いをしてきたに違いありません。
弟の誕生日が来るたびに、「あれからもう〇年か。いつになったら治るんだろう・・・」と言います。私には何もできません。私は母の何の力になってあげることもできないと、悲しくて辛くなる時があります。しかし、私にそんなふうに思われることを母は嫌がるのではないかとも感じて、どう接したら良いか迷う時もあります。
少しでも良くなればと思いますが、全て治ってほしいと願います。
私が幼かったころは、今よりもっと調子が悪く、床に落としたものが拾えなくて、「とってくれ」だとか「下に物を落とすな!」と言って怒られました。よく頭が痛いと言って寝込んだり、吐き気がすると言ってゲーゲーと唸っていました。「世の中がオレンジ色に見える」だとか、頭の中に声がビンビン響く、指が動かない、夜痛くて眠れない・・・毎日いろんなことが起きます。
これを書いていたころは、母の身に起こったことは不運で、良いことは一つもないと思っていた。母が辛い思いをしている中で、私が幸せでいるなんてことは許されないとも思っていた。
現に、母も自分の身に起きたことについて、どうしようもできない苛立ちを口にすることが多かった。
「あんたたち3人とも拾ってきた子だから、うちの子じゃない!」「そもそも子どもなんて産むつもりなかったんだ!」と度々言っていた。
ただ、弟のことを「産まなければよかった」と言ったことはなかった。
私は意地悪なので、そんな母に「弟を産まないのと、自分が元気なままでいたのと、どっちが良かった?」と質問したことがある。
一瞬沈黙があったが、すぐに「どっちが良いとかない」と返ってきた。悪い質問をしたと、今でも反省している。
子どもの頃の自分にできたことは、良い子でいることだった。
家では、ピアノを弾いている分には怒られることはないから、ピアノを弾いた。
学校でも、変なことをすれば親に迷惑がかかるとわかっていたから、優等生に見えるように心掛けた。
その場の「ほしい」「したい」という欲は恥だと思い、我慢することが美しいと思うようになった。
自分の甘えを許さず、強くなることだけを考え始めた。
それが普通として生きている時は辛くなく、時々激しい孤独と寂しさを感じたが、「生きるとはそんなもんだ」と思っていた。
「自分は頑張っている」と初めて自分を認めた時、何かが崩れた。
何から何までもが辛くなっていき、最終的に自分の思考のすべてを消したくなった。
今思う。
私はこの家に生まれたこと、この家で育ったことに何の不満もない。
むしろ、この家に生まれてこその私である。
・ 他人の気持ちを細かく感じとる能力が伸びた。
・ 自分の健康管理への意識が高まった。
・ どんなネガティブワードも流す力がついた。
・ 他人はどうでも良くて、自分で決めたことに責任を持って行動していく力がついた。
もはやこれらは、私の誇るべき能力だと思う。
そう思えるようになったのは、家以外の空間で私のことを支えてくれたり、私の話を聴いてくれたり、どんな私も受け止めてくれる人たちに出会ったからだ。
私の力を伸ばしているのは、私ではなく、私の近くに居続けてくれる人たちだ。この考えはこの先も変わることがないと思っている。日々出会う人、今日も私のそばで笑っていてくれる人、笑うことを思い出させてくれる人、みんなだ。もちろん、家族もだ。
私の周りの人たちが、私の意味を作ってくれる。
いつもありがとう。私の心にいてくれる人たちに、私は全力で寄り添い続ける。
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