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ブランケット症候群と戦わない

私には、長年連れ添っている掛け布団がいる。もうボロボロだなのだが、私はそれを手放せずにいる。

中は薄い羽毛布団だが、年中使っている。シーツはピンク色で、触るとちょっと冷たい。

シーツを洗濯をすると、表面の感触が固くなってしまって、お日さまの匂いや、洗剤の香りが強くなるので、肌になじむ日が来るまで、我慢を強いられる。

この布団が体のどこかに触れていると安心する。特に頬と手のひら、足のうら。その吸い付くような感触と存在は、昔から私のことを守ってくれている。

さみしい時、落ち着かないときは特に、私にとってその時の大切な人になるかのように、私を包み込んでくれる。

ぎゅっと抱きしめることもあれば、押入れの中で畳まれている布団の間に手を差し込んで、「がんばる!」と深呼吸することもある。

私にとって大切な存在。

私はイタリアへ留学する時、それを日本に置いていった。

「いつかは離れなくては」とか
「依存しちゃダメ」
「代わりになるものを見つけな」

と、別の自分がプレッシャーをかけていた。

結果、私はイタリアで寝る時、耳栓にアイマスクをして、さらに好みではない掛け布団を頭までかけると、体を小さく丸めて寝た。



さて、帰国したその日、家に帰って寝ようとしたが、その掛け布団が見当たらない。

「どこにしまったの?」と家族に尋ねれば、

「あれ?どこだっけ?ボロボロだから捨てたかも。」と。

家族だって、私がその布団を大切にしていたことを知っていたはずなのに、「なぜ?」と、心臓の鼓動が速まるのを感じた。


「ひどい。」




「やだ。」



泣きそうな自分がおかしいとわかっているのに、泣きそうだ。

しばらく探すと、押し入れの違うところに見つけた。

「あった!」

安堵した。
掛け布団への思いは、時間を空けてみても変わらなかった。


こういうのを、ブランケット症候群と呼ぶ。

スヌーピーの仲間、ライナスくんがブランケットを手放せないことから、ライナス症候群とも。

そしてこのブランケットのことを「安全毛布」という。

どれも、心理学用語だ。



私の記憶に残る絵本『ジェインのもうふ』もそんな感覚を思わせる。

私はジェインの持つ毛布に強い憧れを抱いたのを覚えている。




人は生まれてから、成長のどこかの段階で母親から離れる。

その過程で、何かにすがって安心を求める。

幼いころは、身近にあるタオルや毛布、ぬいぐるみであることが多いが、成長するにつれ、その対象は変わっていく。

「スマホを手放せない」

「恋人からは離れられない」

「お酒を飲むと救われる」

というように。





ブランケットの人は、それが昔から変わらずにブランケットであり続けているだけ。

みんな何かしらのストレスを感じ、何かで癒されることを求める。

生きていくために必要なことは、ブランケットを取っ払うことではなく、ブランケットと上手く関わりながら、自分の前向きな心につなげること。

前を向けないくらいにブランケットにしがみつくと、それは依存症になるんだと思う。




夢中になれることを見つけること。

そして、

そこに対しても依存しないようにバランスをとること。




楽しんで生きている人って、そのバランスの取り方がとても上手い。

それは学べるし、鍛えられる。

楽しむことに力を入れる。

そんな努力をこれからも続けていきたい。



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