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わたしの軌跡をまとめています。
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#ありがとう

わたしについて

【noteを始めた日】 2021年4月1日 【生まれ年】 午 【星座】 射手座 【生き甲斐】 音楽すること  子どもと触れ合うこと 【演奏楽器】 ピアノ  声 【勉強したこと】 良い音楽とは何か  イタリアの魅力  楽しく生きること 【趣味】 ストレッチ、散歩、ジョギング  同じラジオ番組を繰り返し聴く  手先を使う作り物 【好きな色】 オレンジ 【好きな本】 『コンビニ人間』(村田沙耶香)  『博士の愛した数式』(小川洋子

ありがとう、イタリアのみんな

1年弱過ごしたイタリアから帰国する数日前に書いていたことが、今の私の原点だと思っている。 * * * 明後日フィレンツェを発って日本に帰る。 一言で言えるのは、日本を出て、イタリアに来て良かったということ。 一生の中で、この一年は間違いなく例外的な一年になるのではないかなぁと思っている。 うん、なるだろうな。 イタリアの日常会話でよくcome vuoi、つまり、あなたのしたいようにって言われたし、言ってるのもよく聞いたけど、 私にとっては、より身近にある

私の心にいてくれるみんな、ありがとう。

私が1歳の頃、父は病気で度々入院していた。その父が通院生活からも解放されて、半年が経ったころ、弟が誕生した。私は2歳半になっていた。 母は3人目の子育てを楽しみにしていたようだ。 姉の時は育児ノイローゼになり、私の時は父の病気でバタバタ。 「3人目は楽しいよ」と周囲からも聞いていたようだ。 ところが、弟の誕生後、明らかに母の体は不調になった。 完全に腰が抜け落ちたような感覚だったらしい。歩くことも困難。 ひどい腰痛で産後も毎週病院通いとなる。 1か月後、病院の検

1年で何度も死にかけた父 ― その時私は1歳だった。

私は生まれた時泣かなかった。 私が生まれた日、父は仕事の後に飲みに行っていたので、翌朝まで私の状態のことも、生まれたということも知らなかったようだ。 生まれた後の一年ちょっとは順調だった。 母によれば、私と歳にして5歳ほど離れた姉が、異常なまでに手がかかったのに比べて、私は「ほとんど手のかからない子どもだった」とのこと。 生まれた時からとにかく寝る。排尿間隔も長い。病院の看護師さんは、そんな私を見て、「なに、この赤ちゃん、おじさんみたい。」と言ったらしい。 12月生

人に伝えたいものがあるから、自分を伝える

私は今までずっと、他人から「あなたは大丈夫」と言われて生きてた。 自分では何が「大丈夫」なのかわからないけど、ある人の言葉を借りれば、 「自立している」ということなのだと思う。 だけど、私が「大丈夫な人」であるのは、そうならざるを得なかった環境があり、 また、生まれ持った思考の故だということを知っている。 自分の中では、どんな時でも「大丈夫な人」であったわけではないし、 「大丈夫な人」であることから抜け出したくなったり、 いっそ「ダメな人」と言われる方が楽だと思

生まれた時、泣かなかった。

よく子どものケンカで、 「やーい!泣いてる!」 -「泣いてないもん!」 「泣いてたし!」 -「泣いたことないもん!」 「1回もないの?」 -「ない!」 「生まれた時は?」 -「・・・。」 みたいのがある。 わたしの子どもの時にも、そんなやり取りがあったが、 わたしは生まれた瞬間に産声を上げなかったので、 「生まれた時も泣かなかった」と自信を持っていた。 「むしろ生まれた時、死んでたもん。」 と言って、周りを黙らせた。 こんなこと、自信を持って言うことではないと、 当