マガジンのカバー画像

おもう

39
考えていることや思いをまとめています。
運営しているクリエイター

#自分

『結果として他人のためになっていた』を目指す。

久しぶりの投稿となりました。 すっかり秋も深まり、心長閑な日が続いているようです。 今回の投稿は文部省唱歌の『おうま』です。 全く秋に関係ないのですが。。(笑) タイトルとも無縁。。(笑) 親子の優しい情景を描く文部省唱歌です。 最近、noteから離れていました。YouTubeの投稿も少し間が空いていました。 ここ数日の間に、noteの中のある方が「どうしたのかな」とコメントを下さったり、YouTubeを聴いて下さっている同僚が「楽しみにしています」と声をかけて

愛する道のり

愛することができないのは、愛されたと感じたことがないから。 愛されていないと感じるのは、愛を感じられないから。 愛を感じられないのは、信じられないから。 信じられないのは、自分を信じられないから。 自分を信じられないのは、自分がわからないから。 自分はよくわからない。自分は一つではないから。 でも、どんな自分も自分だとわかると、 自分のことを信じられるようになる。 自分を信じられると、他人を信じられるようになる。 他人を信じられるようになると、愛を感じられる

自分らしく生きるとは。

他人を大切にする前に 自分を大切にする。 自分がしたいことを犠牲にしたら、 生きている意味はどこにある? 『他人のために』することも、自分がしたいこと。自分に返ってくること。 いつでも どこでも自分を自分で見続ける。 他人の中に何かを探したって、 そこには何もない。 想像するのも、感じるのも、 考えるのも、行動するのも、 全部自分がすること。 自分のすべてに責任を持つ。 それが自分らしく生きるということ。

他人の本心とは、自分がどのようにその人を信じているかってこと

「あの人の本心がわからないわ」 なんて言う人がいるが、私は誰の本心も知ったことがない。 本心とは、そもそも誰の真実なのか。 読み取られる側の真実なのか、それとも読み取る側の真実なのか。 人はある程度、自分に嘘をついて生きる。 もし、「私は自分に嘘をつかない」 と言う人がいたら、嘘をつかないという言葉が嘘だろうと思う。 みんなから「優しいね」「良い人ね」と思われている人は、上手く生きている分、どこかに嘘がある。 みんなに同じように接したら、傷つく人ができてしまうこと

私が大切にしたいことの羅列

自分らしく生きること。 そのためにできることを日々こつこつと続けていくこと。 丁寧に生きること。 自分が好きであること。 どんな自分も前向きに認めること。 自分の力を信じること。 果てはないが、その都度楽しむこと。 できると信じること。 何でもやってみること。 どんなこともプラスに変換すること。 自分から迷宮入りしないこと。 幸せを感じ続けること。 全ては自分次第だということ。 自分の中の自分を信じ、 常に変わっていく自分に向き合って、 他人に優

みんながみんな真実を持っている

嘘と本当は紙一重です。 どうしても、どこかの段階に矛盾が生じてしまう。 自分と他人の間。 自分と自分の間。 他人と他人の間。 みながそれぞれ真実を持っているのだから、 仕方のないことなのかもしれない。 正直に生きようと思うほど 矛盾に気がついて、 嘘に悩まされたりする。 だけど、 周りは私の真実なんかわからない。 自分の真実を信じているだけなのだから。 自分を信じることが自信。 自分が大切だと思うことを信じて生きたいです。

『自分の感受性くらい』

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 私の好きな詩人、茨木のり子の『自分の感受性くらい』の 最後の一節。 ものすごく強い言葉だ。 ドカンと心に刺さる。 衝撃が走る。 何だろう。 「そうだよね」なんて 簡単な共感文句では済まされない重み。 茨木のり子の言葉は、 グサッと刺す鋭さがあるのだが、 そこに強制がない。 この詩を読んでいると、  自分の心の弱さにはっとする。 そして大切なことに気づかされる。 向かい合うべきは他人ではなく 自分な

生まれ変わるなら雑草か?

そもそもだけど、 人間の真髄なる部分を探し続けていたら、 世の中のほとんどが どうでもいいことに思えてくる。 そんな中に自分というものが人間として存在することを 時々後ろめたく思ったり、 摩訶不思議にさえ思えるんだけど、 この歳まで人間として生きてきてしまっているから、 人間であることは確か。 ただ、自分はとてもひねくれているから、 人間の作り出した街、文化、時代、言葉、、、 あらゆるものから逃亡したくなることがある。 もちろんそんなことはできやしない

他者は「わたし」を投影する

私の中に、自分っていっぱいあるなぁって思うんだけど、 「自分」の数って、 私とつながりのある人の数だけあるのかもしれない。 みんながみんな、その人の思うままに私のことを見ているから、 それぞれの人の中に、私が存在しているということ。 その一人一人と話したり、目があったり、心が通ったりする時、 向こう側に映っている自分の存在を感じて、新しい自分を見る。 『自分を知るには他人を知ること』っていうから、 他人との違いを知ることによって 自分の考えや価値観を認識して