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2021年5月の記事一覧

『自分の感受性くらい』

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 私の好きな詩人、茨木のり子の『自分の感受性くらい』の 最後の一節。 ものすごく強い言葉だ。 ドカンと心に刺さる。 衝撃が走る。 何だろう。 「そうだよね」なんて 簡単な共感文句では済まされない重み。 茨木のり子の言葉は、 グサッと刺す鋭さがあるのだが、 そこに強制がない。 この詩を読んでいると、  自分の心の弱さにはっとする。 そして大切なことに気づかされる。 向かい合うべきは他人ではなく 自分な

心地よさが共感を生む

私が「共感なんてあると思わない」と言う時、 『共感とは何か』について自分の中で極限まで考えた結果として、 心底そう思ってることもあるし、 共感している自分がいるということを知られるのが恥ずかしいから、 あえてそんなことを言っている時がある。 「そんな寂しいこと言わないで」という人がいるが、 私からすれば、 この世のほとんどが共感ごっこだ。 共感したいなぁと思って共感している。 私はこの「ごっこ」まで共感と表すべきなのか否か分からない。 私の中で感じているこ

生まれ変わるなら雑草か?

そもそもだけど、 人間の真髄なる部分を探し続けていたら、 世の中のほとんどが どうでもいいことに思えてくる。 そんな中に自分というものが人間として存在することを 時々後ろめたく思ったり、 摩訶不思議にさえ思えるんだけど、 この歳まで人間として生きてきてしまっているから、 人間であることは確か。 ただ、自分はとてもひねくれているから、 人間の作り出した街、文化、時代、言葉、、、 あらゆるものから逃亡したくなることがある。 もちろんそんなことはできやしない

フィクションを楽しみ、フィクションを生きる!

時々、この世の中の全てが『作りもの=フィクション』だと思うことがある。 もともと自然への憧れを強く抱いて生きていて、 自然こそ美しいと思っていた。 音楽の美しさも 自然であってほしいと勝手に願っていたけど、 その音楽だって、 私が奏でる楽音だって、 人間が生み出したもの。 自然な音楽って何?ってことになった。 ただ声は人間の体の一部で、 進化したと言えど、人間の創作物ではないから、 声を奏でるということは、感覚的にとても面白い。 世の中の思想や自分の思

他者は「わたし」を投影する

私の中に、自分っていっぱいあるなぁって思うんだけど、 「自分」の数って、 私とつながりのある人の数だけあるのかもしれない。 みんながみんな、その人の思うままに私のことを見ているから、 それぞれの人の中に、私が存在しているということ。 その一人一人と話したり、目があったり、心が通ったりする時、 向こう側に映っている自分の存在を感じて、新しい自分を見る。 『自分を知るには他人を知ること』っていうから、 他人との違いを知ることによって 自分の考えや価値観を認識して

私の右はあなたの左

右と左をどうやって覚えたか、 思い出せますか? これ、けっこう難しいと思うんです。 私は「右手」「左手」を先に覚えたと思う。 その時、右手にあった傷から 「傷があるのが右手」と覚えたのが記憶にある。 ところが、保育園の時、 みんなで手を繋いで輪を作って「右に回るよー」と先生が言う時、 私は右の方に動くが、向かい側にいる人は、 私から見た左の方向に動いていくではないか。 それが不思議でたまらなくて、じーっと考え始めた。 まず、私の右手は右。 でも右手を繋

未来の先にも音楽はある!?

もしも、この先、 すごく科学が発展して、 人間の寿命がなくなったら 何が変わるだろう? まず、哲学は変わる。 “幸せ”なんてのも変わる。 時間の概念も、学ばなくてはならないことも・・・ 一度しかない人生だからと思って 目標を立てたり、夢に挑戦したりすることも、 なくなるのかな? 今日も明日も未来も、そんなに差はなくなるかもしれない。 今生きていて、あって然るべきものが 次々に要らなくなる。 では、何は残るのか? 今生きていて、絶対になくてはならない

もし、人間の赤ちゃんが大人より大きいサイズだったら・・・

オウサマペンギンのヒナを見たことがありますか? 見たことがなければ、今すぐ検索してみてほしい・・・ なんだろう、何回見ても違和感。 母ペンギンよりも大きいっていうのが 怖いを通り越して、ちょっと気持ち悪いのだ。 ごめんね、オウサマペンギンのひな、 あなたは何も悪くないんだよ・・・。 『赤ちゃんというものは小さい』という概念が自分の中で先行して、 そのアンバランスさを受け入れられない。 常識にとらわれている自分に気づいて、何となく情けない。 さて、ここからは

ご気楽人間でいたいと思います

日常で、わたしは自分の言動をほとんど信用していない。 嘘でたらめがあまりにも多いから。(笑) 何でって、みんなに笑っていてほしいから。 そんな自分のことも自分の思考も、 良くも悪くもはっきり見えているから、 テキトーであることには自信が持てている。 私が楽しく笑っていて、損をする人はいないから、 「あなたといると元気が出ます」 みたいな人も現れたりして、 「太陽みたいですね」とか、 「サンシャイン」とまで呼ばれている。 そうなると、言う側も言われる側も、笑顔が止まらな

あなたの20年をどんな風に感じますか?

今年2021年だけど、 2000年を迎える時に子どもだった私は、 2020年なんて本当に来るのかなと思っていた。 というのは、地球が滅亡するとか、 ノストラダムスの大予言とは関係なしに、 その頃は20年という長さが未知だったからかもしれないし、 子どもの時ほど時間は長く感じるから、 20年という長さをものすごく長いと感じていたからかもしれない。 だから、学校の先生が「20年前は…」 と、過去を回想する話にはたいてい実感が持てなくて、 「どういう気持ちなんだろう」と不思議