病んでるってきついけど感動もする
初めて「助けてほしい」という言葉が頭に浮かんだのは7年前。やけに静かに感じた夜だった。スマホを両手で握りしめ、メッセージの入力を促す、点滅するカーソルをじっと睨みつけながら、とうとう私は認めた。
自分はうつ状態にあるのだと。
数えられないくらい長い間、自分なんてつらいと思う資格がないと思っていた。
世界にはもっと大変な状況で苦しい想いをしている人がいる。もっとひどい苦難を生き延びて笑っている人がいる。
精神を病んで助けを受ける権利というのはそんなところにあるのだ。
もっともっと一生懸命に生きる人の中に。
一生懸命ってなんだか残酷な言葉だと思う。それほどまでに生を削ってエネルギーに変えることが、何よりも素晴らしいと掲げられる讃美。
それを正面から受け入れられない自分。
私は一生懸命ではなかった。そんな風に力を絞り出すことが出来なかったのだ。
私はただ、誰もいない部屋で、何も音がしない夜の中でぼんやりと、ぬいぐるみのふわふわを触っていただけ。
全身が水の中に浸かったように感覚が鈍くて、体を動かすことは抵抗することで、とても億劫に感じられた。
沼のような空気の中で、その考えは唐突に弾けた。
「私はひとりなんだよ。誰もいないし何もできない。」
聞く者のいない空間で絞り出した声は不自然に震えていて、場違いに大きく跳ね返りながら、部屋の壁に吸い取られていくようだった。
———どうしよう、すごくつらい。
あまりに孤独で、染みわたる無力感を実感すると、いっぱいになった袋が破けたように泣き出してしまった。
押し殺したように漏れる、この掠れた声は嗚咽と呼ばれるやつだろうか。他人事のように自分の泣き声を聞きながらそう思った。いっそ全部出してしまおうと、抑え込む力を抜いてみても、溜め込んだ息を吐き出したり、横隔膜が痙攣するように空気を吸い込んだりする音しか出てこなかった。
それがどんな耳障りな音だろうが、声の限りに叫んで泣いてしまいたかったのだけれど、そんな泣き方はもうできなかった。やり方も忘れてしまった。
瞼を閉じた暗闇で、こんなにつらいなら死んだ方がましだ。消えてしまいたいと、強く、深く願った。
椅子の上で膝をかかえながら、そうしてしばらく揺れるように泣いてから、さっきより小さくなった自分の呼吸を一拍、二拍と数えていた。
———誰か助けてほしい。
思うと同時にゆるりとスマホを手に取った。
「私、うつになったと思う。」
当時唯一連絡先を残していた人に、そうLINEでメッセージを送った。
そんな言葉を発するのは初めてだった。明確な「うつ」という言葉を、何度か消しながらも選択し、発信した。今までSOSを匂わすメッセージを人に伝えたことなんてなかったから、落ち着きなく混乱した。
初めてのことをやってしまった緊張の後、気が抜けたみたいに床に倒れ込んだ。まだ混乱の中にいる私と対照的に、すぐに返ってきたメッセージを見て、またしゃくりあげてアホみたいに泣き続けた。
私の流す涙は熱っぽくて、消えたいという願いとは矛盾する生の実感は場違いで不思議なものだった。
どれくらいそうしていたのか、少しだけ救われた温かさをその小さな金属に感じながら、握りしめてそのまま床の上で眠った。
「大丈夫だよ。呼んだらいつでもすぐ飛んで行くから。」
私は呼ばなかった。
頼めばきっと、新幹線に乗ってわけもなく会いに来てくれるだろうと思えた。そういう人だったから。
でも、ひきこもりで、うつで、風呂と食事にすら難儀している私を見られたくない相手でもあった。気づいたら大切な存在だった人間に見せていた私の虚像は、とっくに捨ててしまっていたのだ。
誰かに求められる自分を作り上げるのはもう疲れていた。
そのとき私を救ってくれた短いメッセージを、呆れるほど長い間、削除出来ずにいた。崩れそうに心細い気持ちになる度、何度もそれを眺めて、嘘っぱちでも、はったりでも、見せてくれた勇気を尊敬した。そして何度だってストレートに飛んできた熱気に感動した。
自分にそんな勇気と熱が持てるだろうか。
私のうつ病は、それまでの人間関係を全てぶった切るというクレイジーな結果をもたらした。だからこの人も今の私には手も届かないところにいる。
スマホも番号も替えた今では、彼とその後どんなやりとりをしたのかもうろ覚えだ。
とにかく私はそうやって自分の病を受け止めることとなった。もっと早くあれこれをしていれば、というのは死ぬほど思いつくのだけど、あのように気づくしか出来なかったのだろう。
人にはそれぞれのリズムがあって、狂っていると分かっていたって、ドドンと変えられたりはしないものだ。
私はこうした生きた記憶が消えてしまうのが怖い。もう自暴自棄な過ちは犯したくないと心に記す。
この中途半端な文章は、狂ったリズムでも生き残ってる私の現在と、過去の存在証明のようなものかもしれない。
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