掌編小説:マグノリア トワイライト 2/3
翌日、エミが約束の十時に田橋のアパート前に行くと、山矢と山神村の住職と谷中村長はもう揃っていた。だいぶ溶けて少なくなった雪の山を前に、大人三人が立っている。
「おはようございます。遅くなってごめんなさい」
エミが駆け寄りながら声をかけると、三人同時に振り向いた。
「おお、エミちゃん、久しぶりだね。すっかり大人っぽくなったね」
谷中村長がにこやかに言う。
「そうですか。もうアラサーですから」
エミは苦笑する。高校生のときから知られていると、なんだか親戚のオジさんのような感覚になるな、と思う。そんなやりとりを、住職が微笑ましく眺めている。山矢は、相変わらず無表情だ。
「住職さん、おはようございます。ご無沙汰しています」
「ああ、エミちゃん。久しぶりだね。元気そうで何よりです」
「はい。おかげさまで」
「今日は、何やら不穏なお仕事のようだ。山矢さんに大まかな話は聞いてね、さっきメーターボックスの中も見せてもらった。ちょっと厄介そうだね」
住職は、真面目な顔になって言った。エミは、やはり一筋縄ではいかないかもしれないと思った。
「さっそくだが、作戦を立てた。エミも聞いてくれ」
「はい」
エミは一層気を引き締めた。
「まず、コンクリートの壁の部分が入り口と見て間違いないと思います。山神村のこのナイフで開かなかったらこの作戦は練り直しだが、これで開けるしかないと思います」
そう言って山矢はナイフを取り出した。それはナイフというより包丁のような大きさで、山神村の石を削って作った物だそうだ。
「入り口が確保できたら、俺が、住職さんに用意してもらったこの縄を腰にしばって入るから、メーターボックスの外で、三人で縄を持っていてください。下手したら引きずり込まれる可能性もありますので、気を付けて下さい。たぶん、あの壁の強度を考えると、五分が限界……それ以上時間が経つと、入り口がふさがってくる可能性が高い。俺は入り口が閉まる前に田橋を見つけられなかったら、縄を伝って一旦外に出る。田橋を見つけられるまで、その繰り返しです」
そう言って山矢は、エミたちを眺めた。
「よろしいですか」
「はい。山矢さんの作戦を信じますよ」
「ええ。それしかなさそうです」
住職と谷中村長が同意したところで、エミも頷いた。
山神村の御神水で湿らせてから編んだという縄を腰に巻き付け、山矢はメーターボックスを開ける。ゆっくりとコンクリートの壁にナイフを刺す。硬い粘土に刃物を入れたときのように、ぬったりとした質感でコンクリートが少しずつ裂ける。
「開けられそうだ」
山矢はぼそっとつぶやいて、またナイフを当てる。何度か繰り返しているうちに、コンクリートの裂け目から黒い闇が現われた。
「よし。行けそうだ」
山矢は黒い闇を大きく裂いて、なんとか潜り込めるだけの穴を開けた。そして振り向く。
「いってきます。入り口が閉じてしまう前に、戻ります」
「ああ、気を付けて」
住職を先頭に、谷中村長、エミと並んで縄を握っている。絶対に引きずり込まれてたまるか。エミは強く思った。
山矢がコンクリートの裂け目から頭を入れ、洞窟にでも潜るかのように入っていった。
「大丈夫。山矢さんなら、大丈夫ですよ」
いつの間にか震えていたエミの手を、谷中村長がそっと撫でる。
「はい。信じています」
そう言ったものの、エミには嫌な予感しかなかった。
山矢が暗闇の中に入り込むと、立って歩けるほどの高さがあり、細く続く道になっていた。暗いが、背後の入り口からの灯りがまだ届くし、慣れれば見えないこともなさそうだ。山矢は、腰につけた縄を握りながら、一歩ずつ進む。左にゆるやかにカーブしており、その先にほんのりと灯りが見えた。灯りのほうから楽しそうな話し声が小さく聞こえる。山矢は警戒しながら進む。
カーブを曲がりきると、そこは突き当りで、小部屋のようになっていた。天井の丸い、コンクリートの大きな雪室のような空間だ。その中心に、田橋と少女が向かい合って座っていた。天井からぼわんと優しい光が満ちていて、真冬なのに温かそうに見えた。山矢はカーブに身をひそめ、田橋と一緒にいる少女を観察する。黒髪のおかっぱ。白い半そでのポロシャツに、赤いプリーツスカート。この子が歌子ちゃんか。間違いなく、この世の人間ではない、と確信した。しかし、不思議と不快感はない。逆に、穏やかな優しい空気だ。さっきまでの不穏さは、どこにいった?
時間がない。思っていたより中は入り組んでいなかったが、とりあえず田橋が見つかったから、連れて帰るしかない。
「誰?」
少女が、覗いていた山矢に気付いた。少し怯えた声をしている。
「遊んでいるところ申し訳ない。田橋の上司だ」
山矢は歩み出た。
「あ! 山矢さん! どうしたんですか!」
田橋が振り返り、驚いた声を出す。見る限り田橋は、怪我はなさそうだし、元気そうだ。
「どうしたもこうしたもない。田橋は、ここに入ってどのくらい経ったと思っているんだ」
「え?」
田橋は首をかしげて、向かいの少女を見る。
「まだ、十五分くらいだよね?」
「うん。そのくらい」
少女の、田橋を見る目は優しい。
「山矢さん、紹介しますね。この子が、私が子供の頃に一緒に遊んでいた歌子ちゃんです」
田橋は自分の置かれた状況をよく理解していないようだ。
「歌子ちゃん、この人は、私の職場の上司で、山矢さんって人なの。見た目ちょっと怖いけど、良い人だよ」
田橋が歌子にそう言うと、歌子は山矢に向かってぺこりと頭を下げた。
「歌子です。すみちゃんのこと、いつもありがとうございます」
やはり、田橋の身の回りを守っていたのはこの子だったのだ、と山矢は思った。それなら、なぜ閉じ込めている?
「田橋、すまないが急いでいる。ここに来て十五分と言っていたが、外の時間では、もう一日以上経っているんだ。その間、何も食べていないし、飲んでいないだろ。悪いが、一回出ないと危ないぞ」
「え? 一日以上って、そんなことありませんよ。ねえ」
田橋に言われ、歌子もうなずく。
「田橋は、どうやってここに来た?」
「えっと、仕事に行こうと思って、雪が積もっていたので、いつもより早く家を出たんです。そしたら、電気メーターのところが少し開いていて、いつもはきっちり閉まっているから気になって、覗いてみたんです。そしたら、なんか懐かしい気持ちになって、思わず電気メーターをくぐって、子供の頃みたいに奥に進みました。そしたら歌子ちゃんがいたから、びっくりして!」
「私も。引っ越すたびにすみちゃんに着いてきていたんだけど、見守っているだけで良かったの。まさか会いに来てくれると思わなかった」
「ねえ。それで、久しぶりに会えたから、仕事まで少し時間あったし、ちょっとだけ遊んでいこうと思って」
山矢は腕組みをしながら聞いていた。歌子から不穏さは感じられない。しかし、やはり何かしらの悪意が、田橋をここへ誘い込んだに違いない。そうでなければ、閉じ込めるはずがないのだし、時間の感覚が狂っているのもおかしい。
「おーい。山矢さーん。時間がないぞ。入り口が、閉まり始めている!」
背後からくぐもった声が響いてくる。入り口から住職が叫んでいるようだ。
「いきさつはわかった。とりあえず、一旦出るぞ、田橋」
山矢が田橋の腕をつかんで立たせた瞬間、ガチャリと重い音がした。
「え!?」
田橋がびっくりして見ると、左足首に太い鎖の足枷がはまっている。
「何これ」
鎖はコンクリートにめり込んで、床に繋がっていた。
「歌子ちゃん……?」
田橋が歌子を見る。
「私じゃない。私、そんなことしない」
歌子は首をぶんぶん振って否定する。艶のある黒髪が揺れる。山矢は田橋の腕を放し、足元の鎖を触った。ざらりとした不快感。入り口の壁と同じ感触だ。
「そうか。この壁自体が、奴自身なのか」
「え? どういうことですか? 何の話?」
田橋は混乱していた。無理はない。歌子と遊んでいただけなのに、急に山矢が現われて、足枷がはめられている。
「山矢さーん。限界だ! 一回戻れ!」
背後から住職のくぐもった声。しかし、せっかく田橋を見つけたのに、ここで戻ったら別の策を練られる可能性もある。山矢は迷っていた。どうしたら田橋を助けられる。
そうしている間に、すっと背後の灯りが消えた。どうやら、入り口が閉まってしまったようだ。田橋と歌子と同様、山矢も閉じ込められた。
《つづく》→最終回
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