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掌編小説:子は親の鏡【1284文字】

少年はたびたび怪我をした。五歳というやんちゃな盛りが原因か、それとも注意力散漫な性格であったのか、小さな怪我の絶えない子供であった。小さなヤケド、擦過傷、内出血、捻挫、打撲。些細な怪我をするたびに、母親は血相を変えて少年を病院に連れて行った。

「お母さん、そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。さほど大きな怪我ではない」

医者に言われるたび、母親は胸をなでおろした。そして、「そんなに心配していたら、お母さんのほうがまいってしまいますよ。子供の小さな怪我は元気な証拠。あまりご無理なさらずに」と労われ、恐縮して帰っていくのだった。

その少年があるとき骨折をした。青空が高く美しい秋の日のことだった。命に別状はなかったが、入院が必要だった。少年はベッドの上で退屈そうに過ごしていたが、母親は甲斐甲斐しく看病をした。父親が仕事の忙しい人で、経済的な心配はなかった。母親は面会時間の間中、終始付き添い、言葉通り付きっ切りの看病であった。せわしなく身の回りの世話をする母親。痩せており、髪の少し乱れた、手入れの行き届いていない乾燥した肌の母親。

少年は病室の窓から遠く、雲居の空を眺めていた。

周囲の人々は「あなたほど子供を思う母親はいないわ」「でも、たまには少し休まないとあなたが体を壊すわよ」と口々に心配した。その都度母親は少し憔悴した顔で、「私は大丈夫です。あの子さえ、無事ならば」と微笑するのであった。

骨折が治り退院したのもつかの間、少年は階段から落ちて、頭を打って病院に搬送されてきた。搬送されたときすでに意識はなく、母親はいつにも増して青い顔をし、今にも失神するのではないかと心配になるほど弱って見えた。少年は、幸い脳への異常はなく、頭部に軽度の打撲のみ。命に別状はなかった。しかし、意識は戻らなかった。さまざまな検査をしたが、少年の意識不明の原因は見つからなかった。

母親は寝る間も惜しんで看病をした。意識のない少年の、体を清潔に保ち、筋力の衰えを防ぐために手足の体操を施し、関節を動かし、話しかけ、本を読み聞かせ、歌を聞かせ、できる限りを尽くした。食事をとれない少年は、鼻からチューブを通され、流動食が与えられた。そのチューブの管理も、母親は完璧にこなした。もはや、母親自身の時間などなかった。全てを少年の回復に注いだ。周囲の人々は感動すらしていた。

「こんなに子供のために自分を犠牲にできる母親はなかなかいない」

「素晴らしい母親だ」

そんな言葉を聞くたびに母親は「この子のためなら」と薄ら涙を浮かべた。

そして、十年が経った。
少年は母親の看病の甲斐あって、長期間寝たきりの人特有の痩せ細った貧相な体ではなかった。適度に筋肉と脂肪のついた、十五歳らしく成長した体つきであった。

十五歳の誕生日の翌日、少年は突然に目を覚ました。それは骨折した日と同じように、空の澄んだ美しい秋の日だった。むくりとベッドから体を起こし、相変わらずベッドサイドで少年の世話を焼いていた母親の顔をじっと見つめた。

母親は、驚愕した。
そして、強烈に恐怖した。

少年ははっきりと言った。

「ママ、今度は僕の番だよ」







《おわり》


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