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小説:老人ホーム デスゲーム2


 昼食を終えた老人ホーム「けやき」のデイルームは、窓からの柔らかい光に照らされていた。窓から見える庭には、見ごろを迎えたツツジが満開だ。ホームは面会者の多いゴールデンウイークを終えたばかりで、ようやく平日の静かな穏やかさを取り戻している。久しぶりの長閑な午後。僕はうっかりあくびをしそうになって、慌てて下を向く。ゴールデンウイークのような連休中は面会者が多いから、職員も忙しいし、利用者さんも少し疲れる。面会は嬉しいはずだと思うけれど、疲労の原因にもなるのだ。ホームの利用者さんはほとんどが認知症を患っている。小さな刺激は脳の活性に必要だけれど、あまり大勢が集まるようなにぎやかさは、疲れてしまうこともある。
「久しぶりに静かなランチでしたね」
 イチカちゃんが苦笑しながらハルトに言う。明るい色の髪を耳下で切りそろえているイチカちゃんは、笑うとえくぼがかわいい。背が低く華奢だから、空手の達人だと聞いても信じない人もいるだろう。「けやき」のユニフォームは紺色のポロシャツだ。イチカちゃんのポロシャツにつけてある名札には、かわいい猫のシールが貼ってある。
「そうだねえ。最近、面会者多かったからね」
 ハルトも少し苦笑してから「ショウタロウさん、お孫さんに会えて良かったですね」と車椅子に座っているショウタロウさんに声をかけた。華奢な老人、ショウタロウさんは、自分のことも、家族のことも理解できない状態だ。それでも、家族はわりとまめに面会に来る。特に息子がよく面会に来て、にこにこしているショウタロウさんの横に座り、日常の報告をしているのだ。ゴールデンウイーク中は息子の息子、孫を連れてきていた。ショウタロウさんがどの程度理解していたかどうかはわからないが、少なくとも息子と孫は、嬉しそうにしていた。
 ショウタロウさんは、鯉の養殖の仕事をしていたらしい。錦鯉は、特に海外で人気があり、高値で取引されるらしい。しかし、ショウタロウさんが認知症になり、仕事は畳まざるを得なくなった。それでも、やはりショウタロウさんは魚が好きなようだ。今でも、ショウタロウさんがデイルームに来るときは、目の前にグッピーの水槽を置いてあげることにしている。割れない素材でできた小さな水槽だけれど、ゆらゆらと自由に泳ぐグッピーを眺めているとき、ショウタロウさんは嬉しそうにするのだ。
「ショウタロウさんのお孫さん、海洋関係の大学に行くらしいですね」
 イチカちゃんがショウタロウさんに声をかける。ショウタロウさんは、にこにこしたまま何も言わない。シミの多い手をじっと膝の上に重ね、静かにしている。でも、きっと嬉しいのだろうな、と僕は思う。わざわざ面会に来て、自分の祖父に進路の報告をする孫というのは、ずいぶんと祖父孝行ではないか。僕も会ったが、目元がショウタロウさんに似ていて、優しい青年だった。
「ねえ、お義母さんはもう食事を済ませました?」
 ショウタロウさんの隣に座るトメさんが話しかけてきた。トメさんは、いつも何かを心配している。
「なんですか?」
 ハルトがトメさんに返事をする。
「お義母さんの食事を作らなきゃいけないんだけど……」
 トメさんは、長生きした姑の介護を長いことやっており、姑が他界した直後に自分が認知症を発症した。姑の介護は、二十年に及んだらしい。トメさんは今七十歳だから、四十代後半からの二十年を介護についやした。苦労人と言えるだろう。でも、自分は認知症になってしまい、その間に夫は他界。子供はおらず、にぎやかだったゴールデンウイーク中もいつもとかわらず一人で過ごしていた。
「お義母さんはもうお食事を終えていますよ。心配はありません」
 穏やかにハルトが答える。認知症の人には、職員はときどき嘘をつく。それは、嘘というよりは、現状を理解していない利用者さんに、話を合わせることがあるのだ。それで利用者さんが安心して過ごせるのなら、職員はそちらを選ぶ。特に、ハルトは利用者さんとのコミュニケーション能力に長けていると思う。優しいし、穏やかだ。利用者さんや家族がいかに安心して過ごせるか、そのことを一番大切にしている。職場では頼れる先輩で、家では二児の父。僕がこのホームに転職してきたときも、とても丁寧に仕事を教えてくれた。ハルトは、今日みたいに施設長が不在の日は、リーダーをつとめることが多い。
「ハルトさんたち、休憩どうぞ」
 リクが四角い黒ぶちの眼鏡をくいっと持ち上げながら近づいてくる。少しエラの張った顔は、いかつい印象を与える。目元がきつめで、あまり柔和な印象がないからもっと笑ったほうがいいのに、と僕はいつも思う。正義感は強く、真面目だ。
 ホームでは、職員全員が同じ時間に休憩をとることはできないから、食事介助などが全て終わってから、交代で昼食休憩をとる。
「お先でした~。休憩中にやっておくことありますか?」
 ツムギも休憩から戻ってくる。唯一の二十代、若者のツムギは、何かにつけてすぐに慌てる。これが若者特有のものなのか、ツムギの性格ゆえなのか、僕にはわからない。優しくて思いやりはあるが、あまり余裕がなく、そそっかしいのだ。ユニフォームのポロシャツも少し皺があって、リクと足して2で割ったらちょうどいい性格になりそうなのに、と僕は密かに思っている。
「ありがとう。特にないよ。それよりツムギ、セツコさんの食事量の記載がないんだけど、わかる?」
「あ! えっと、十割召し上がっていましたっ」
 やっぱりそそっかしい、と思いつつ、ハルトに指摘されて急いで食事表に記入するツムギの姿は、かわいくもある。愛嬌のある青年なのだ。
「イチカちゃん、お昼行こうか。タロウも飯にしよう」
 ハルトとイチカちゃんがデイルームから詰所に戻ろうとする。詰所というのは、職員たちが仕事をする部屋で、病院で言うところのナースステーションみたいな場所だ。デイルームに隣接している。
「タロウ、行こう」
 イチカちゃんが髪を揺らしながら僕を振り返る。イチカちゃんはいつも僕に優しい。たぶん、僕のことが好きだろう、と密かに思っている。お腹すいたな、と思いながらイチカちゃんのあとについて詰所に行こうとする。
 そのときだった。僕が、異変に気が付いたのは。
 

3へ続く

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