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小説:宝探し【4918文字】

「ただいまー」
 靴が乱雑に散らばっている玄関にバス停から抱っこしてきた娘を座らせ、靴を脱がせてやる。娘は三歳になったばかりで、最近よく食べるのでむっちりしてきた。成長の喜びを噛みしめながら「重くなったな~」と肩をまわす。久しぶりの里帰り。
「おかえり。暑かったでしょう」
 母が台所から顔を出す。
「暑かったわー」
「麦茶あるから、座ってなさい」
「はーい」
 母のまわりで、子供たちがきゃっきゃとはしゃいでいる。兄の子供たちだ。娘は、楽しそうな従兄弟たちを見つけて駆け寄っていった。娘は一人っ子だから、兄の子供たちと一緒に遊んでくれるのはありがたい。
 居間へ行くと、妹がだらしなく床に座ってテレビを見ていた。
「お姉ちゃん、久しぶり」
「久しぶり。元気?」
「私は元気。お姉ちゃんこそ、大丈夫?」
「うん、ありがとうね。おかげさまで夏バテもせず、頑張ってるわ」
 私は力こぶを作って、笑って見せる。妹は「なら良かった」と言って、目を細めて笑った。私は家族に心配されている。わかっている。だからこそ、私は元気にしていなければならないのだ。これ以上、心配をかけないために。

「お義兄さんのこと、何もわからないの?」
 そう言う妹の隣に腰を下ろす。
「うん。行方不明のまんま」
「警察には?」
「言ってない。だって、お財布もスマートフォンも持ったままいなくなったんだよ。帰ってこないつもりで出ていったのよ。失踪というより、家出よね」
 夫が失踪したのは、半年ほど前だった。その少し前から女性関係を怪しんでいて、そのことを妹に相談していたから、夫が失踪したときに妹はひどく憤慨した。
「絶対に探し出してお姉ちゃんに謝らせなきゃ気が済まない!」
 私の代わりに怒ってくれていたのだろう。まだ独身の妹に、嫌な思いをさせてしまったなと反省もしている。だから、特に妹のためにも、私は元気でいたいのだ。
 台所から兄の奥さんが冷えた麦茶を持ってきてくれた。
「あー、すいません」
「暑かったでしょう」
「ええ、とっても」
 穏やかで柔らかい物腰の兄嫁は、両親との二世帯もうまく過ごしてくれていて、本当に感謝する。台所へ戻っていく兄嫁の後ろを、また子供たちがバタバタと走っている。
「あの子たち、何してんの?」
「なんか、宝探しゲームって言ってたよ」
 妹はおせんべいを食べながら答える。
「宝探し?」
「うん。ほら、最初の紙に【〇〇を見よ】みたいなことが書いてあって、その場所を見ると、また【〇〇を見よ】みたいな紙があって、それを順番に辿っていくと宝物にたどり着くってやつ。子供の頃にやらなかった?」
 やったことがあるかもしれない。【まくらの下を見よ】【フライパンのうらを見よ】【テレビの後ろを見よ】そんな指令が書かれた紙に導かれて、最終的なゴールに隠されたお菓子やおもちゃを見つける、宝探しゲーム。
「ああ、やったことあるね。誰が隠したの?」
「さあ、お父さんかお兄ちゃんじゃない?」
 妹は独身だけれど、実家を出て一人暮らしだ。この家に住んでいる誰かが、私たちの帰省にあわせて、宝のありかをしめす紙をあちこちに隠したらしい。
「で、お父さんとお兄ちゃんは?」
「買い物行くって言ってたよ」
「そう」
 はしゃいでいる子供たちを見ると、小さな紙を何枚も持って、「次はあそこだ」などと言いながら楽しげにしている。ずいぶん枚数を持っているから、手のこんだ宝探しだ。娘も楽しそうだ。それを見て、思わず微笑む。夫はいなくなってしまったけれど、娘が健康に育ってくれれば私は十分に幸せだ、と思う。

 娘が私に駆け寄ってくる。
「ママ、ママの」
「なあに?」
 兄の子供たちも近付いてくる。
「【さやかおばちゃんのざぶとんの下】って」
「え?」
「宝探しの指令が、【さやかおばちゃんのざぶとんの下】なの」
 そういうことか。私は立ち上がって座布団を娘にゆずる。座布団をそっとめくり覗き込んだ娘は、下から何か書かれた紙と細長い何かをしゅるっと抜き取った。私はそれを見た瞬間、すっと血の気が引いた。
「何て書いてある?」
 娘と兄の子供たちは、私の座っていた座布団の下から出てきた紙に夢中だ。その娘の手に握られている細長いものは、ネクタイだった。
「お姉ちゃん? 大丈夫?」
 私の表情が硬かったか、妹が心配そうに声をかけてくる。
「あ、うん……ねえ、この宝探しって、お父さんかお兄ちゃんがやっているの?」
「たぶん。私が来たときはもう遊び始めてたから、そうなんじゃない?」
「そう……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
 私は動悸が激しくて、でも気にしていない素振りを見せた。娘が握っていたネクタイに見覚えがあった。あれは夫のネクタイだ。どうして実家にあるのだろう。それも、私の座布団の下に。私がどこに座るかわからないはずなのに、【さやかおばちゃんのざぶとんの下】という具体的な指令にも違和感がある。その座布団にまた座るのは、なんだか気分が悪い気がした。でも、避けるのもおかしい。仕方なく座るが、足元から鳥肌がじわじわと這ってくるようだ。

「ただいま」
「あ! じいじとパパだ!」
 子供たちがバタバタと玄関に駆けていく。父と兄が帰ってきたようだ。
「おかえりなさい」
 母が台所から出てくる。
「ほら、お菓子買ってきたよ」
 父と兄が大きな袋を持って居間に入ってくる。私は思わず立ち上がり兄に近寄る。
「ねえ、子供たちがやってる宝探し、誰が作ったの?」
「宝探し?」
「そうよ、紙に場所の指令が書いてあって、順番に探していくやつ」
「ああ、懐かしいな。子供の頃にやった気がする」
「それを今子供たちがやっているのよ。お兄ちゃんが作ったの? それとも、お父さん?」
 兄は首をかしげる。
「俺じゃないから、親父かな。でも、今日朝から一緒にいるけど、そんなことしていたかな?」
 兄じゃない。じゃ、父なのか?
「じーじ! 宝物は何?」
 兄の子供のひとりが父に話しかけている。
「宝物? なんだいそれは」
「宝探しのお宝だよ!」
「宝探し? お前がやったのか?」
 父は兄を見ている。
「いや、俺は何もしていないよ」
「じーじ、知らんぷりしてるんだ!」
 兄の子供たちは、誰が宝探しの首謀者なのか、そんなことは関係ないらしい。紙を持ったまままた家中を探し出した。誰が隠したのかわからないほうが、本当の宝探しっぽくて楽しいのかもしれない。でも、私は薄気味悪いと思った。誰が隠したのかわからない宝なんて、探さないほうがいいんじゃないのか。それにさっきのネクタイ。あれはたしか……

「スイカがあるけれど、切りますか?」
 真後ろで声がして驚いた。兄嫁がにっこりと笑っている。
「あ、そうですね。いただきます」
 兄嫁は台所へ戻っていき、父と兄は買って来たお菓子をテーブルに並べ始める。
「ほら、さやかの好きなやつ買ってきたから」
 そう言って父は、私が子供の頃に好きだったビスケットを袋から取り出す。いつまでも子供扱いだなと思いつつ、父が宝探しの首謀者だった場合、あのネクタイの意味は何だろうと考えてしまう。でも、兄も父も嘘をついているようには見えなかった。妹が? いや、それはない。妹には隠す時間がなかったはずだ。

「ママ、ママ」
 娘がまた紙を持って駆け寄ってきた。今度は何が書いてあるのか。恐怖もあったが、興味が勝った。
「どうしたの?」
「しゅーのーこ」
「え?」
 兄の子供たちも私の元へ来る。
「さやかおばちゃんちって、床下しゅうのうこ、ある?」
 どくんと心臓が鳴った。
「床下収納庫? あるけど、何で?」
「だって、ほら」
 そういって渡された紙には【さやかおばちゃんの家の床下しゅうのうこを見よ】と書いてあった。私は思わず叫びそうになるのを、奥歯を噛んで堪える。紙を持った指先がすっと冷える。どういうことだ。何がどうしてこんなことになっている? 誰がやっている? 私は紙を持っているのが怖くなって兄の子供に押し付けるように返す。
「さやかおばちゃん?」
 子供たちが不審そうに見てくる。
「あ、ちょっと、家の鍵をかけ忘れた気がする!」
 私はいてもたってもいられなくて、唐突に大きな声を出した。
「え? 鍵忘れた?」
 妹が呑気な顔で見上げてくる。
「うん、ちょっと確認してくる。すぐに戻るから」
 私は娘を置いて、実家を飛び出した。
「ママー?」
「さやか? どうしたの?」
 うしろで娘と母の声がするけれど、今は無視だ。
 大きな通りまで走って、タクシーを拾う。
【さやかおばちゃんの家の床下しゅうのうこを見よ】
 ありえないことだが、あれは確かに夫の筆跡だった。少し右上がりの癖のある字。真似して書けるものだろうか。恐怖を拭うように、さっき紙を持った手をズボンにこすりつける。
 タクシーはスムーズに走り、家へ向かっている。
「また女のところ?」
「うるせえな。関係ねえだろ」
「関係ないことないでしょ」
「仕事の相手だよ!」
 夫との日々が回想される。声を荒げる夫に、怯える娘。ストレスからか食事をとらなくなって、娘はどんどん痩せていった。私はいくつもの棘を飲み込んだように胸が痛かった。夜中に帰ってくる夫の服はいつもどことなく女の匂いをさせていた。証拠があるわけではなかった。でも、ただの勘というにはもっと確実に、夫には女がいたと思っている。だから、あの日……
「つきましたよ」
 タクシーの運転手に声をかけられて我に返る。
「ありがとうございました」
 お金を払って、急いで家に走る。賃貸のアパートだけれど、一階だけ床下収納庫のある物件で、重宝していた。もちろん、家の鍵をかけ忘れたなんていうのは、口実に過ぎない。
 台所に敷いたカーペットをめくる。久しぶりに見る床下収納庫。冷たい金属の金具をそっと起こし、蓋をひっぱりあげる。
 ──いる。
 半年前に置いた状態のまま、夫の死体は白骨となってそこにあった。首に巻かれたネクタイは、骨の間をすりぬけたのか肋骨の間に落ちている。
 でも……え? 自分の目に入ったものを見て、私はぞっとした。夫の骨の上に、紙切れが一枚載っている。おそるおそる手を伸ばし、紙を拾う。二つに畳まれた紙をそっと開く。

【お宝発見! 俺はここだよ!】

「ひゃっ!」
 私は小さく悲鳴をあげて紙を手放した。確かに夫の筆跡。紙がはらりと夫の骨の上に落ちる。
「どうしたの?」
 背後で聞こえた声に飛び上がらんばかりに驚いた。振り向くと、そこには兄嫁がいて、にっこりと笑っていた。
「お義姉さん……」
「さやかさんの様子がおかしいからって、みんな心配していて。だから、私が見てきますって、あとをつけちゃいました。ごめんなさい」
「まさか、あの宝探し、お義姉さんがやったんですか!」
「違うわ。その人が……」
 そう言って兄嫁は床下収納庫を覗く。
「その人が、自分を見つけてほしかったんでしょう」
 そんな、そんなはずがあるか。笑いながら兄嫁は続ける。
「だって、私はこの半年間、その人の居場所を知らなかったんですもの。ああ、こんな姿になってしまって、かわいそうに」
 そのときふわっと香った匂いに、記憶がよみがえる。夫が遅く帰ってきた日に香った女の匂い。
「まさか、あなたと!」
 兄嫁は不気味なほどにっこり笑った。
「気付いていなかったんですね」
 夫の罵声、遅い帰り、鋭い痛み、怯えて痩せていく娘、女の匂い、怒り、憎しみ、嫉妬、何もかもが鮮明によみがえる。爆発しそうな感情にがんじがらめになった私は、夫の肋骨の間からネクタイを拾って握りしめた。

「ただいま~」
「あ、お姉ちゃん、家の鍵大丈夫だった?」
 妹がおせんべいを食べながら私を出迎える。
「うん。大丈夫だった。勘違いだったみたい」
「お義姉さんが追いかけていったけど」
「え? 本当? 会わなかったよ」
 私は額の汗を拭う。力仕事には汗ばむ季節だ。
「ママ、ママ~」
 娘が駆け寄ってきた。ちゃんと食事をするようになって、体重も戻って、元気に育っている娘。私は、重くなった娘を抱き上げる。
「ママ~」
 娘の手に、一枚の紙が握られていた。丁寧な兄嫁の筆跡。

【あなたの家の床下収納庫を見よ】

 私は娘から紙を受け取り、そっと握りつぶし、ポケットにぎゅっと押し込んだ。



【おわり】

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