飛び降り自殺

久しぶりです。

前回、初めて同性を好きになった話をしてから以来の更新だと思います。

今日は、まぁ、少しその中にあった学校から飛び降りようとした話をしようと思います。

久しぶりなのに重たい話ですみませんw


この話を書くときに一番に出てきたのが私が自殺未遂をした回数とそれを経験して思ったことです。なので、その二編に分けてお話ししようと思います。

ます、私は中学生一年生の秋に初めて自殺未遂をしました。その時は首吊りでした。運がいいのか悪いのか、紐が切れてしまい死ねませんでした。今思えば運がいいことだと思ってます。冷静に考えてみれば、百均の刺繍糸なんで、切れるなんて当たり前にことですよねwそんなことを考える余裕がなかったのでしょう。当時の自分はそれを三回も繰り返しました。本当にバカですよねw

こう振り返るとなんだか恥ずかしくなってきます。

この方法で死ねないと分かったのか、次に手を出したのはODでした。

ここから本気でやり始めてますw

まず、その時不眠症が発症しておりまして、かかりつけの小児科の先生から、寝つきがよくなる睡眠剤をもらっていました。名前それを最初は忘れました。2シート飲みました。(錠剤の数に直すと20錠)そのときは気持ち悪いとかなくいつもより寝すぎたぐらいでした。もともと強い睡眠剤なので当たり前だと思います。これもわかりきったことですよねw

そのODも最終的にはカロナールという陣痛剤と最初にやった睡眠剤やらなにからなにまで飲んで合計300錠近く飲みました。その時はさすがに気持ち悪かったです。

正直、ODすることなくなったのかといわれると「いいえ」とは答えられません。なぜなら、ODはしやすくて癖も付きやすいです。なので、未だに回数も量も減りましたがやってしまうことは稀にあります。

ODの話だけ長くなりますが、なぜ、ODの回数が極端に増えて、その後、極端に減少したかと思う方も多数いると思うので話しておきます。

ODが激しくなってきたときに、私はてんかんという病気を持ってしまいました。そこで服用するイーケプラという薬が他のものと飲み合わせが厳しものとなっています。なので、自然にODができな環境になってしまいました。これは天罰なのだろうかと思いますが、持ってしまったことはしょうがないと思っています。後々てんかんのお話はしようと思います。

ここまで話したので、ついでに、最後にしたODの話でもしておきます。

最後にODしたのは半年前ぐらいだと思います。その時は習慣がついていたのか自然と服用してる薬との飲み合わせを気にし、イーケプラという抗てんかん剤を4シート…いや6シートぐらい飲んだと思います。錠剤に換算すると40~60ですね。その時は副作用の影響で気絶したように寝ましたが、イーケプラの特徴として脳が変な電波を起こさないようにするという仕事があります。それがいつもの20~15倍の仕事がしたので起きると頭がふらふらしました。重心がない状態です。例えるならば、やじろべえみたいな感じです。

ずっとふらふらしてる感じです。いつものように振舞おうとしましたが、さすがにばれて怒られました。もちろん病院の先生にも報告されました。

そんなことをしながらだらだらと過ごしてきた人生です。


そして、長い前置きも終わり本題とです。ここからは私が学校から飛び降りようとした話です。

時は遡ること3年前の秋、私が中学三年生の時の話です。

ことの発端は部活動でした。その時の私は吹奏楽部に所属しており、アンサンブルコンクールが近くて少しピリピリとした雰囲気でした。そして、私は学校の代表として出場するので、自分が無意識の間にすごく大きなプレッシャーがかかっていました。とある日、私はあろうことか遅刻をしました。前の日に少し嫌なことがあったり、遅刻で先生に怒られたりと自分の中でいろいろ重なったんでしょうね。先生が部屋から立ち去ったあと自分は机の上に上り窓の外へ出ました。同い年の仲間が止めてくれましたが私は下を見て飛び降りようとしました。そのタイミングで先生が音楽室へ戻ってきて急いで中に引っ張られました。なので、大事にはならずに済みました。その後の記憶は泣きじゃくりすぎてあまりありませんが、覚えているのは「りんかがいなくなったら、なにも成り立たなくなる」という言葉でした。その言葉を聞いた瞬間こんな泣くのかと思うぐらい泣いたのを未だに覚えています。そして、これ以来自殺未遂をすることはなくなり(ODはまだしていましたが回数は減っていきました)精神状態もなぜか安定していきました。

中学一年生から中学三年生まで長きにわたる自殺未遂に終わったことを通して思ったことは特にありません。正直に言うと

じゃあなぜ思ったことがあると書いたのかっていう方がいると思います。

それは自殺行為ではなく、自傷行為をしたときに思ったことがあったからです。

これも長くなりますが、私が飛び降りようとした前に1回だけリストカットをしようとしたことがあります。私は痛いのが苦手なので、医療ドラマで見た方法で痛みを軽減させようとしました。その方法はを傷つける部分に冷たいもので冷やし、神経を麻痺させ、痛みを軽減するといった方法でした。先にこの方法の結果だけ言うと成功しました。ですが、リストカットはできませんでした。なぜかというと、いざ切ろうとして剃刀を持つと、持った手が激しく震えました。そして、放り投げるように剃刀を手放したからです。

そのときに初めて怖いと感じました。

何に関して怖さを感じたのか、明確なものは分かりませんが、多分、生死に関する怖さと自分を傷つける自分に恐怖心を抱いたのだと思います。

今までは平気で自分を傷つけていたのに何でこんな気持ちになったのかどんだけ考えてもこれだけは分かりません。ですが、一つだけ思いついたのが、やり残したことがあるからじゃないかなっという傍から見れば何言ってんだこいつみたいな考えが思いついて、なんでか自分の中で納得がいきました。

そして、死ぬときは笑顔でやり残したことはありませんって言えるようになったら死のう思いました。

多分今も昔も考え方というか、なにかが狂っているんだと思いますw

そこから自分の好きなものに貪欲になり、バカだなっと思って諦めた「歌い手になる」という夢を再度追いかけるようになりました。

今の自分がいるのはあの時のくそ馬鹿な自分がいるからだと思ってます。

結局、そんなこんなで今も生きてますが、今のところ順調にやりたいことはちょっとずつできてますが、やりたいことの方が多すぎてまだまだ死ねそうにありませんw

いま、書きながら死にたい前提で書くのはおかしんじゃねぇかと思いましたが、自分の中で最終目標は「死」って決めてるので大丈夫だという謎の文章ができました。

長々と死にたいやら自殺未遂やら重たい単語や話をつらつらを書き綴りました。そして、所々何言ってんだと思うところも今日は多く存在すると思いますが無視してください。自分はこんな感じで思ったことを書いて、何言ってんだって自分で思い、少しだけ誰かの心に響けばいいなぁなんて思いながら、たまに読み返しております。

そして、こうやって書きながらツイキャスというサイトで無言で垂れ流し配信をしています。

最近、規制が厳しく自殺関連の言葉を書くとおすすめ規制を食らうことを思い出したので、ここで媚びを売りたいと思います。

赤松さん!!!!!規制しないで!!!不可抗力です!!!!


よし、これで大丈夫。

もし、これを見て中の人に興味持ってもらえたらうれしいです。

Twitterの方でrink@と検索してもらえると出てくると思います。


それでは、おやすみなさい。

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