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ASDのグレーゾーンと言われて

お久しぶりです。

最後の投稿がもう1年前になっていました…。
急な寒さに凍える、ねこです。

1年前と今とではずいぶんいろんなことが変わりました。
その中の一つが「ASDのグレーゾーンの診断を受けたこと」です。


1.心理検査を受けるまで

わたしがなぜ心理検査を受けたのか。うつになり入院したことです。わたしは今年うつ病から入院することを勧められました。うつの治療で有名だという県外の病院に入院し、その検査のひとつとして心理検査を受けたのです。

2.わたしの中にあった「もしかして」

わたしは昔から、「わたしってちょっと人と違うのでは?」と思っていました。
たとえば、
・人の感情を読みすぎること
・冗談を本気に捉えすぎること
・こうしなきゃ!こうに違いない!という強い思い込み
・聴覚過敏
・自分の中でのこだわりが強い
などなどです。

しかし、小学校から通常学級に通い、知的な遅れもなく何方かと言えば「いい子」でいたわたし。親や先生から何か言われたことも、自分の中の生きづらさもそこまで感じてこなかったわたし。「発達しょうがい」がそれほど浸透していない社会。
わたしは「なんか違うし大変なこともあるけどみんなこんなもんなのかな」と思って過ごしてきました。

3.うつになって→入院

わたしがうつと診断されたのは社会人になってしばらく経ってから。そこから入院に至るまで1年くらい期間があったと思います。
わたし自身、そこまで重い状態だと思っていなかったので入院を勧められたときには動揺しました。
先生と家族の強い勧めがなかったら、わたしは「まだやれる」「ここで離脱してはいけない」と働き続けていたと思います。

入院してから2〜3週間は「ただ休む」ということに戸惑いました。何もしなくていいという状態が逆にソワソワしました。寝るか、テレビを見るか、携帯ゲームをするか。外と関わりを持つのはご飯を食堂で食べる時くらいでした。
1ヶ月弱そんな日々を過ごして、やっと他の入院患者さんと話したり、提案されたプログラムをやってみたり、看護師さんにもいろいろ話ができるようになりました。

入院生活の詳細は割愛しますがそんなこんなで2ヶ月と少しの入院生活を送りました。

4.ASDのグレーゾーンと言われて

入院生活の後半に、心理検査がありました。
わたしはそれで何がわかるのか、よくわかっていませんでしたが自分のことが何かわかるんだ!と意欲的に受けたのを憶えています。
検査から2週間ほどして、心理士の先生から結果を聞きました。

「作業の効率がとてもいい」
「数字や算数に関する記憶力がいい」
「概念や抽象的なことの説明が苦手」
「人とのコミュニケーションをその場をパッと見て判断するのが苦手」

などなど、わたしの「得意」と「苦手」について教えてもらいました。

そして退院する時、主治医の先生からそれがASDの傾向が強いということだと教えてもらったのです。

心理検査の結果を見ながら、ASDの傾向が強いこと(診断に至る点数には数点足りないので診断はつかないこと)、ADHDの傾向は弱いことを教えてもらいました。

わたしと家族の感想は「やっぱり!」でした。
家族(特に母)は発達しょうがいを含む障碍者の方と接する機会があるため、昔から自分の子どもたちにどのような傾向があるのかなんとなく思うところがあったようです。
わたし自身も実際に生きてきてなんとなくの「生きづらさ」「周りとの違い」を感じていたのでそれほどショックは受けませんでした。

5.ASDのグレーゾーンで生きている今

退院してから少し時間が経ちました。
あれからASDに関する本を何冊か読んで当てはまったり当てはまらなかったりする症状とその対策を学んでみました。
見た目からは何も変わっていませんが、わたしの中で生きづらさにASDという名前がついたことで少しの安心感と新たな不安を生みました。

わたしの落ち度や欠陥ではないという安心感。
診断のつかないグレーゾーンというものに対する理解や受容が自分だけでなく周りにどれだけあるのかという不安。

わたし自身は本を読んだら勉強をしたりして学べばいいのですが、職場ではどうだろう。安易にカミングアウトしてもよいのだろうか。そもそも診断がつかないのに周りに話して理解してもらえるのだろうか。

そんな不安を抱えながら、今も勉強しています。


ざっと、うつで入院してから今までを書き殴ってみました。まとまりのない文章になっていると思いますが。わたしの記憶と記録を残しておきます。

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