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2. 海に吞み込まれた夜



海は中肉中背で40歳くらいに見える。

店のプロフィールには30代後半と書いているが、実際には40代後半だった。


『これ、迷惑でなければどうぞ。綺麗だったので。』

そう言って花束を渡される。


海は、キザなことも仕事中はサラリとこなす男だった。

身のこなしにも気をつかっている様子が分かる。

コートの脱ぎ方や靴のそろえ方、金銭のやり取りや扉の開け方。

女性へのプレゼントの渡し方も。



父のこと、男性が怖いこと、でもただ誰かに抱きしめてほしいこと、包み隠さず話した。話していたら、涙が出た。


私が1番心地良いと感じたのは、これだけ長く話しても、海が決して敬語を崩さなかったことだった。

昔から、買い物をしていても、(おそらくこちらが若い女だという理由で)ため口で話しかけてくる店員が大嫌いだった。

店員と客、つまりはセラピストと客、という立場を常に壊されたくなかった。


一定の距離を保ちつつも、海の屈託のない笑顔と楽しそうな話し方にはすぐに心を奪われたのを覚えている。

今までに感じたことのない感覚。

海といると、心の扉を閉ざすのが間に合わない。

閉め出そうとするのに、彼はいつもするりと身をかわして入ってきた。


海が聞き上手だからだろう、行為を始める前にすでにかなりの時間が過ぎていることに気づく。

目の前にそびえたつドコモタワーの針は21時を指していた。

もう1時間も話し込んでいる。


『そろそろシャワー、浴びましょうか』

どちらが先にシャワーを浴びたかは、あまり覚えていない。

多分彼が先に浴びて、ベッドメイクをしてくれた気がする。



海の顔がゆっくりと近づいてきて、鼻の先が触れる。


私が我慢できずに唇をくっつけると、
彼は『今、どっちが先にキスするかなって考えてたよ』と言って笑った。


心地よく整えられたベッドの上で、私はずっと泣いていた。

海の柔らかい肌が密着する度に、水の中に沈んだような気持ちになった。

このまま何もしなくても、大きな何かに守られているような錯覚さえ覚える。


自分でも嫌になるくらい、私は大人の男の体温を欲していた。

オーガズムは感じなかったけれど、そんなことはどうだってよかった。

優しさに怯えて嗚咽する私に、海は何も聞かずに『泣いていいよ』と言う。

初めて聞いた、ため口だった。



海にも、翌朝の仕事まで部屋にいていいかと聞かれる。

海なら隣にいてほしいと思った。



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『良かったらLINE交換しませんか』

翌朝、あまりに自然に聞かれて驚いた。

客全員と交換しているとしたら、誰が誰だったか、よく把握しているなと思った。


『また、連絡してもいいですか?』


何のために?


私はいつも、これが苦手だった。

ズカズカと、心に入り込まれるのが。

好きかも、と思っても、グイグイこられるといつも引いてしまう。



でも、私の心にどんどん入り込もうとする海のその動きはとても自然だった。

だから、私もついそれが普通のことのように感じて、拒否できなくなってしまう。



この後の1年間、ずっとそうだった。

自分が傷ついても、海が笑うと拒否できなかった。



さよならのキスをして扉を閉めたあと、こっそりのぞき穴から外を見ると、海が笑ってこちらに手を振っていた。





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