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7. 真夏の夜の、重たい西瓜。


私たちはその日、新大久保駅前で待ち合わせた。
いや、新大久保駅前は昨今のKカルチャー流行も手伝ってひどい人混みだったから、正しくは道路を挟んだ向かいの薬局の前で落ち合った。


近くの劇場で尊の友人が所属しているという劇団の公演を観に行った。

私は美術にどっぷり浸かっていたが、劇団等の舞台芸術はあまり観たことがなかったので新鮮だったのを覚えている。最前列の席だったから、演者の迫力にドキドキした。

公演後、尊から『一緒に楽屋へ挨拶しに行かないか』と言われたが、自分がなんと紹介されるのか知るのが恐ろしくて断った。
私が満足するような結果は、100%待っていない。


しばらくして演者と一緒に出てきた尊がこちらに手を振る。
演者の人たちも笑顔を見せてこちらに会釈した。

「尊さんには、いつもお世話になってます!」

そう声をかけられて、私は曖昧に笑うしかない。


尊はその後、女性用風俗とは別の仕事があった。
近くで待ち合わせしているというので、一緒に向かうことにする。

大久保通りを西に進んで、某ホテルエントランスまで。
真夏の夜の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、私たちはゆっくりと進む。


道の途中、八百屋さんの前を通った時だった。

『あ!そうだ!』

と尊が叫ぶ。
この人は、突然何かをひらめいて人をギョッとさせることが多い。


「突然どうしたの」

『これから会う人に、葵と会った経緯をなんて話そうかなぁって考えてて』


そう、私も、誰になんと紹介されるのか気になる。


『今から会う人、今日誕生日なんだ。俺が、そこにあるでっかい西瓜すいかを箱ごと買うの。で、買ったはいいけど途中で持てなくなった俺を助けてくれたのが、通りかかった葵!ナイスアイディアじゃない?!』


「…うん、尊がそれでいいならいいよ…」


この人は本当に、ちょっとおかしいところがある。
これから出会っていく尊の友人たちも、口を揃えてそう言っていた。


そんなわけで、私は彼が持っていたビジネスバッグを持ち、尊は本当に馬鹿でかい西瓜を買って両手で抱えて歩いた。


途中で『重いけど一瞬だけ西瓜持って!西瓜持ってる葵を撮りたいから!』と言い出し、スマートフォンを取り出す。

尊は満足そうに笑った。


こういう無邪気なところに、引っかかる女が多いんだろう。


...私か。



ホテル前につくと、ちょうどエントランスからTシャツにジーンズ姿の男性が出てくる。

《…あ。有名なライターの方だ。》
一目見ただけで分かった、アングラな記事を書くライターさん。


「尊さーん、すいません、わざわざ来てもらっちゃって…...なに、それ。」

視線の先には、尊の持つ大きな西瓜。
私の方にも目を配らせて、いくつか質問がある顔をしていた。


『これ、誕生日プレゼント!来る途中に美味しそうなのがあって買っちゃった。でも思ったより重くてさあ!ちと立ち往生してたら、可愛い子が助けてくれちゃった。葵ちゃん。』

私は苦笑する。


「ナンパっすか~元気っすね~。こんにちは。すいませんね、付き合わされて大変だったでしょ。」

こういうのに慣れているんだろう、ライターの男性は笑っている。

「いえ、とんでもないです。お誕生日おめでとうございます、じゃあ、私はこれで。」

私は邪魔にならないように、そそくさと来た道を引き返す。
なにより、なんだかこれ以上話をしたらボロが出る気がして怖かった。



後ろの方で、

「で、連絡先聞いたんですか?」

というライターさんの声が聞こえる。



蒸し暑い8月の夜、私はワンピースの襟ぐりをパタパタさせながら、新大久保駅へ向かう。






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