【ネタバレ有】人間はみんな欠陥を抱えている――想田和弘監督『精神』感想

想田和弘監督『精神』は、精神科診療所「こらーる岡山」に密着し、精神病患者の苦しみや生き様を取材したドキュメンタリー映画です。

以前、同監督の『演劇1』を観たので、その流れで鑑賞しました。

この映画を観て私が感じたのは、『「健常者」と「精神病患者」の違いって何だろう』ということです。

■健常者と精神病患者の違いとは?

劇中、様々な患者さんが登場します。

リストカットを繰り返す女性。
人生に意味を見出せず希死念慮に駆られる男性。
育児ノイローゼで子供を殺してしまった母親。

患者さんの苦しみは多種多様であり、そのどれもが切実です。

ですが私はそういった患者さんの姿を見て、どうしても他人事とは思えないのです。

もちろんリストカットや殺人など行動に移したことはありませんが、彼らの苦悩や心の動きは、いわゆる"健常者"とされる自分や周りの人間にも当てはまるものだと感じました。

■精神病を取り巻くカーテン

劇中、若い頃に統合失調症に罹ったという患者さん(以下、Aさん)が、カメラを回す想田監督に対して「この映像は何のために撮っているんだ?」という旨の質問をします。

「健常者にとっては、精神病の世界というのはカーテンの向こう側にあるような気がする。そのカーテンを開けたかった」

想田監督がそう答えると、Aさんは「そのカーテンには偏見なら偏見という名前がついている」とした上で、「健常者が当事者にカーテンを引く場合もあれば、当事者から健常者にカーテンを作る場合もある」と語りました。

■健常者→精神病患者へのカーテン

確かに健常者にとって精神病や精神病院というのは、何となく自分とは異なる世界の話のように感じます。実際、心を病んで休業した社員を陰で笑いものにしている同僚を見たことがありますし、私自身も友人がうつ病と診断されたら、「もっと優しくしてあげよう」とか「言動に気を付けなければな」と、今までと違う関係性になってしまうと思います。

善意にせよ悪意にせよ、それが相手のことをよく理解しないまま起こした行動である以上、偏見に基づく差別であることに変わりはありません。

これが健常者から精神病患者へ張られたカーテンです。

■精神病患者→健常者へのカーテン

そして、そういった偏見、もっと悪く言えば差別のカーテンというのは、患者自身が健常者に対して作る場合もあるというのです。

劇中でも、音楽バンドに入ることを決めたと語る患者に対して、他の患者が「健常者のバンドに入れるなんて凄いね」と素直に驚いているシーンがありました。それは裏を返せば「精神病患者が健常者と関わりを持ってはいけない」という固定観念に基づいた発言です。

このように健常者を特別なものとして捉えて自ら距離を置くことも、精神病をカーテンで覆い隠す一因となるのです。

健常者から患者へのカーテン。

そして患者から健常者へのカーテン。

この二つのカーテンがあることで、精神病はあたかも別世界の話のように感じてしまいます。それが精神病というものへの差別に繋がるのです。

■健常者と精神病患者とに違いはない

しかしAさんは「私はそのカーテンを自分から取り除いた」と更に語ります。「どうやって取り除いたのですか」と監督が尋ねるとAさんは、「全身的に健常な人間なんて世界中どこを探してもいない。皆、何かしらの欠陥を抱えている。そう考えてることにした」と答えました。

上述した通り精神病患者と健常者とは区別されがちです。しかし精神病患者はたまたま鬱病、パニック障害などと病識が出ているだけで、健常者にそういった症状が全くないかと言われれば、それは違います。今まで「性格」「価値観」「行動様式」として捉えられていたことが、少し見方を変えるだけで病気とされることもあります。

監督自身もインタビューで、学生時代に燃え尽き症候群に罹ったという話をされていました。

燃え尽き症候群と聞くと「努力した証」などと思われがちですが、過度な疲労による意欲の喪失と考えれば一種のうつ病と捉えることもできます。監督は1週間で治ったと語っていますが、これが長く続いている人を"鬱病患者"と呼んでいるのでしょう。

このように健常者とされている人と、精神病患者とされている人との間に、大きな違いはないのです。病識が出ているか出ていないか。もっと言えば精神科に通っているか通っていないか。健常者と患者の違いは、突き詰めればそこしかないのではないでしょうか。

■健常者と精神病患者との関係性のあり方

精神病と診断された方の中には、その病気をバネにして皆を笑わせたり、人々を救う方だっています。

それは健常者とされている人たちが、自らの個性を活かして何かを成し遂げるのとまったく変わりません。

「精神病患者」「健常者」と区別するのではなく、同じ一人の"人間"として互いに尊重し、共存していく在り方を見つけていこう。

それが作品を通して、監督が伝えたかったことなのではないでしょうか。

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