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Ryan Porter インタビュー & ライナーノーツ

text by 原 雅明

 9月9日にringsからライアン・ポーター『ライヴ・アット・ニュー・モーニング,パリス』をリリースしました。CDアルバムには、ライアンへのインタビューとライナーノーツが掲載されていますが、それらを有料記事としてnoteで公開します。ダウンロードやサブスクリプション・サービスなどでライアン・ポーターの音楽を聴いている方に対しての記事となります。ringsで先に紹介したジャメル・ディーンと同じくCDで楽しみたいという方は、以下の記事を購入せずにCDをお求めになることをお勧めします。
 インタビューは、LAにて電話を通じておこないました。コロナ禍でライアンのライヴ活動はすべてキャンセルになっており、本来であればリリース・ツアーにも出ているはずでした。それでもライアンはポジティヴな姿勢で質問に丁寧に答えてくれました。これまであまり知られていないロイ・ハーグローヴとの関係やNY時代のことなども話しています。僕のライナーノーツ含めて、文字数にして17,000字以上のボリュームがあります。文中には関連音源や映像へのリンクも出来るだけ入れてありますので、それらと共に読んでみてください。(原 雅明)

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ライアン・ポーター・インタビュー
Interview by 原 雅明 & バルーチャ・ハシム

——『ライヴ・アット・ニュー・モーニング,パリス』のリリース、おめでとうございます。
日本でリリースできるのは本当に感謝してるよ。日本には2002年からライヴで行ってるんだ。日本にも友達がいっぱいいるから、また日本に行けることを楽しみにしてる。

——カマシ・ワシントンのバンドよりも前に日本に行ってたんですか?
そうなんだよ。日本に初めて行ったのは、クレイトン・ハミルトン・ジャズ・オーケストラのメンバーのときだったんだけど、ジョン、ジェフ、スヌーキー・ヤングもメンバーだった。僕がまだ22歳のときだったんだ。バンドの中では、ジェフ・ハミルトンの隣に座ってたんだけど、一緒に楽譜を読んで、いろいろとリズムのアドバイスをしてくれた。

【参考】Clayton-Hamilton Jazz Orchestra "Squatty Roo" (Live In Germany) ライアン・ポーター参加

——『ライヴ・アット・ニュー・モーニング,パリス』は特別なライヴだったようですね。この日の思い出からまず訊かせてください。
このライヴには特別な思い出がいっぱいあるよ。このときは、初めて自分がヘッドライナーのヨーロッパ・ツアーだったんだ。ライヴの日は、ロイ・ハーグローヴの誕生日の次の日だった。ロイから多大な影響を受けているんだけど、彼とは1996年にヴェイル・ジャズ・パーティー(Vail Jazz Party)で出会った。僕はまだ15歳だったんだけど、会えて嬉しかった。ロイの影響で、ニューヨークのマンハッタン・スクール・オブ・ミュージック(Manhattan School of Music、通称 : MSM)に入学したからね。ロイがMSMで演奏している映像をいっぱい見ていたから、すごく興味があったんだ。校内に入った瞬間に、ロイを描いた大きな絵画が目に入ったのを覚えてる。だからアルバムの1曲目は、ロイ・ハーグローブへのトリビュートとして、”Strasbourg / St. Denis”からスタートしたんだ。このライヴは、ニュー・モーニングのオーナーだったエグラル・ファルヒ(Eglal Farhi)へのトリビュートでもある。エグラル・ファルヒは、僕のライヴの1週間前に亡くなったんだ。彼女は50年前にこのクラブを設立した、パリでとてもリスペクトされている女性だった。ディジー・ガレスピー、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズなど、数々の偉大なジャズ・ミュージシャンがこのクラブでライヴをやっていて、このクラブでライヴ・レコーディングができることは、ジャズ界では一種のステータスなんだ。このライヴは、ロイ・ハーグローヴとエグラル・ファルヒへのスペシャル・トリビュートなんだけど、二人が達成しようとしたことに脚光を当てたかった。あと、ジョン・コルトレーンのレガシーへのトリビュートでもあったから、一種のマッシュアップだよ。このエネルギーがこのアルバムに反映されていて、ブランドン・コールマン、マイルス・モーズリー、トニー・オースティン、カマシ・ワシントン、ジュマーニ・スミスら仲間と一緒に演奏できて嬉しかった。僕たちのパフォーマンスは素晴らしかったんけど、正直ヨーロッパ・ツアーの他の会場でもっといい音質のレコーディングはあったんだ。でも、パフォーマンスのエネルギーや、自分にとって大切な人たちへのトリビュート・ライヴだったから、ニュー・モーニングで録ったライヴ音源を使うことが大事だったんだ。

——ライヴ盤をリリースするアイディアは当初からあったのですか?
最初からライヴ盤をリリースしようと思ってたわけじゃないんだ。ただ、パフォーマーとして誇りを持っているミュージシャンなら、ライヴ盤をリリースしているよね。僕が初めて参加したアルバム・リリースは、クレイトン・ハミルトン・ジャズ・オーケストラがリリースした『Live at MCG』(2005年)だった。ピッツバーグでツアーの最後にレコーディングされたライヴ・アルバムだった。2、3週間ツアーをした後にレコーディングしたから、メンバーがみんな楽曲を演奏することに慣れていて、自分を表現しやすくなっている状態だった。あのツアーで気づいたのは、ジョン・クレイトンは毎晩演奏を録音していたんだ。それを聴き返して、アレンジを考え直したり、どうすればリスナーにとってもっといい作品になるかを考えていた。その伝統を受け継いで、僕も毎晩ツアーの演奏を録音するようにしているんだ。毎晩メンバーが違う演奏をしているから、誰かがいい演奏をした場合、それを記録しておきたいんだ。パリのニュー・モーニングでのライヴを選んでリリースしようと思ったのは、さっき話したように、ロイ・ハーグローヴ、エグラル・ハルヒ、ジョン・コルトレーンへのトリビュートだったからなんだ。

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