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John Carroll Kirby インタビュー & ライナーノーツ

text by 原 雅明

 9月23日にringsよりリリースしたジョン・キャロル・カービーのCD(MQA-CD)アルバム『マイ・ガーデン』に掲載されていたインタビューとライナーノーツを有料記事としてnoteで公開します。ジャメル・ディーンやライアン・ポーターと同じく、ダウンロードやサブスクリプション・サービスでカービーの音楽に興味を持った方に向けての公開です。高音質のMQA-CDで楽しみたいという方は、以下の記事を購入せずにCDをお求めになることをお勧めします。
 インタビューは今回もLAにて電話を通じておこないました。謎めいたアンビエント音楽家というイメージがあったカービーですが、ジャズ・ピアノを学び、ミュージシャン、プロデューサーとして90年代から多くの現場でキャリアを重ねてきた人です。ソランジュやフランク・オーシャンなどの仕事はそのごく一部にしか過ぎません。キャリアも詳しく振り返ってもらった貴重なインタビューになりました。海外のインタビュー記事も含めて、カービーのことをここまで追った内容は他にないと思います。ライナーノーツと合わせて、14000字ほどの記事です。
 サウンド&レコーディング・マガジンで僕が持っている連載にて、カービーと彼が影響を受けたと公言している日本のジャズ・ベーシスト、鈴木良雄について書いた記事がいま公開されています。合わせて読んでみてください。

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ジョン・キャロル・カービー インタビュー
Interview by 原 雅明 & バルーチャ・ハシム

——出身はLAですか? 音楽との出会いを教えてください。
僕はLAのパサデナの出身なんだけど、親友がピアノ・レッスンを受けていたから、僕も受けてみることにしたんだ。若い頃はストーナーだったんで(笑)、母親に何かに没頭しなさいと言われて、ピアノをやることにしたんだ。ロアーク・ハニカットというピアノの先生に出会って、すごく楽しい先生だったから、続いたんだ。

——その先生からジャズを習ってたんですか?
ポップスがメインだったね。ドアーズ、サンタナ、ヤードバーズとかのポピュラーな曲を習ってたんだ。若い頃は、みんなが知ってる曲を演奏したいからね。

——クラシックやジャズを学んだ経験はありますか?
クラシックはあまり勉強してないんだけど、最初の先生の後は、ジョン・クレイトンと出会った。ジョン・クレイトンはLAジャズ・シーンのレジェンドで、彼は僕の音楽教育において、師匠的な存在になった。彼はベーシストだけど、彼からオーケストレーションやアレンジなどを学んだ。一緒に、クインシー・ジョーンズ、ギル・エヴァンス、ハンク・ジョーンズ、メル・ルイスなどの楽曲を分析したよ。ジョン・クレイトンは南カリフォルニア大学(USC)でも教鞭をとっていて、僕はそこに入学してからも彼の元で勉強したんだ。大学ではジャズを専攻したよ。

——大学卒業後は、ジャズ・プレイヤーにはならなかったんですか?
若い頃から、カフェ、結婚式、ジャズ・クラブでジャズは演奏していた。大学の後は、いろいろなバンドのツアーで忙しくなったんだ。ウェポン・オブ・チョイスというLAのパンク・ファンク・バンドに入ったんだけど、フィッシュボーンやレッド・ホット・チリ・ペッパーズと同時期に話題になったバンドなんだ。その二つのバンドほど人気にはならなかったけど、あのサウンドを作り上げる上で重要なバンドだった。

——ファースト・アルバム『Travel』をリリースするまで、どんな活動をしていたのでしょうか?
いろいろなプロジェクトに参加してたよ。セバスチャン・テリエというフランスのミュージシャンとしばらく仕事していた。彼と仕事をするために、パリにも住んだんだ。ソランジュのアルバム『A Seat At The Table』で数曲プロデュースしてから、ブラッド・オレンジとも仕事をした。2009年からセバスチャンのツアー・バンドのメンバーになって、そのあとはスタジオで彼と仕事をするようになり、彼の音楽の共同プロデューサーになったんだ。

——セバスチャン・テリエとの仕事はどうでしたか?
素晴らしい人だし、彼のモットーは「仕事をやりすぎない」ことなんだ(笑)。アーティストは、終わりを知らずにずっと細かいディテールを気にして作業し続ける傾向があるけど、セバスチャンはどこで作業を終わりにするべきかを見極めることができた。音楽制作において、遊び心と官能的な要素を忘れないことも教えてくれた。それが彼の音楽の特徴であり、学ぶことは多かったよ。

——ソランジュの作品に参加した経緯を教えてください。また、彼女はあなたのどうようなところを必要としていたのだと思いますか?
NYに住んでいた時に、リワーズ(Rewards)というバンドと一緒に演奏していたんだ。リワーズのリーダーであるアーロン・ペニヒ(フェニング)はソランジュと曲を作っていて、それがDFAからリリースされた(12インチ『Equal Dreams』)。マンハッタンでリワーズと一緒にライヴをやると、たまにソランジュが出演して、その曲を披露することがあった。そこから僕もソランジュと仲良くなって、彼女が『A Seat At The Table』を制作している時に声がかかって、キーボードを演奏することになったんだ。そこから、ソランジュの曲を一緒に作曲、共同プロデュースするようにもなった。彼女のアプローチはすごく異端的だから、一緒に仕事をするといつもインスピレーションになるよ。

——ソランジュのアプローチのどういうところが異端的だったのでしょうか?
彼女の曲を聴くと分かるけど、通常のポップスの構成とは違うんだ。彼女は、通常のヴァース、コーラス、ブリッジ、コーラスというパターンを度外視して、意識から流れてきた言葉をそのまま曲にしていたり、ワンフレーズをずっとループさせていたりする。スタジオの中で作業している時に、「ヴァースとコーラスの構成で曲作りを考えていない」と言ったんだけど、その発言はインスピレーションになったね。ヴォーカルのレコーディングをする時に、通常はヴォーカル・ブースに入ってヘッドホンをするんだけど、彼女はスピーカーから大音量でバッキング・トラックを流しながら歌うんだ(笑)。それは誰もやっていないテクニックだけど、彼女は優れたヴォーカリストだからできるんだ。

——あなたが大学で学んだ音楽理論とは正反対のことを彼女はやっていたわけですね。
その通り。彼女の最近のアルバム(『When I Get Home』)では、さまざまなジャズ・ハーモニーを取り入れていて、通常のポップスやR&Bのアルバムとはサウンドが違ったんだ。彼女は常にポップスとR&Bの定義を覆すようなことをやっているから、すごく刺激になるよ。最初は彼女の”Cranes In The Sky”(『A Seat At The Table』収録)でシンプルなキーボードを演奏したんだけど、そこから『A Seat At The Table』の”Junie”という曲を作るために呼ばれたんだ。この曲は、オハイオ・プレイヤーズのジュニー・モリソンに捧げられた曲なんだけど、彼女からジュニーの”Super Spirit”という曲を聴かされて、参考にしたいと言われた。キーボードのオーヴァーダビングがたくさん重ねられた曲だったんだけど、それに似た形で、僕たちもキーボードを次々と重ねて曲を作ることにした。重ねたキーボードのフレーズが邪魔をし合わないようにしないと気をつけないといけなかった。

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