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今も昔も…クリスチャンの若者Q&A

昔はゴリゴリのクリスチャンだったので、世間とはちょっとズレた盲信もまぁまぁあった。

昔からクリスチャンの若者が世間一般の生活の中で直面する、信仰生活と世間とのズレへの迷いにQ&Aの本が出版されている。
例えば「クリスチャンである事で友達からいじめられた時どうするか」とか、そういうやつ。

まぁ、まずどんな理由でもいじめられたと感じ場合はその感じたことを否定しない事と、それが辛かった事を伝える方法を大人と考えよう!ってな解決、さらには その出来事を通してお互いの事をより理解できる機会になるかも知れないし、逆にその友達とは距離を置くという事になってもそれで良いとすること…とかそういうのが書かれているだろう。

特徴はそのついでに「その経験していることは決してあなただけではない…」という、聖書の箇所が引用され、さらに「その友達のために祈りましょう!」。
続けて「これを通して神様の栄光が表されるでしょう」という独自の価値観で高揚する方向へ導きがち。
さすがにその傾向が強いものは、キリスト教出版業界の中でも大きめの会社からは出ないと思う。

確かな情報機関ではそういった 少し偏った信仰を助長する事はなくても、どうしても教会の伝統の中には「みんなで高揚する」とか、「全てを伝道につなげる」というのに喜びを感じたり、信仰の真実を見いだしたりするものがある。
牧師はそういう事は言ってなくても、何年経っても若々しいアツい信徒がギター片手に教会を盛り上げるというのがあるのだ。
そういう人たちも教会文化を支えるものなのでむやみに否定はしないが、中には若々しい割に「同性愛は罪だと聖書に書いてある」などと真剣に捉えている人も一部いる。
そういう「囚われ感」というのが拭い去れない。

しかし、それも理由がないわけではない。
「ひとつを緩めてしまうとどこまでもいい加減になってしまう」という危機がそこにあるからだ。

性の問題は正に宗教の戒めに直結するし、いい加減にするとめんどくさいことになる。

例えば婚前交渉の可否。
キリスト教では伝統的に婚前交渉は否定される。
実際守ってる子はどこまでいるかよく分からないけど。
(だいたい想像はつく)

同性愛は結婚できる制度がないのにどうするの?
同性愛の人は婚前交渉認められるのに真面目に男女交際してる人はどうなの?
などの疑問が私が知る限りずーっとあって、特に結論は出ないまま牧師や個人の人生に委ねられている。
言ってる間に多くの若者が教会を去る。

日本基督教会所属の恩師は、キリスト教教育論の授業の中で
「宗教はどんな問題も、論争がなければならない」
と結論づけた。

元来、キリスト教は神からほど遠い「罪人」を招く宗教。
何をしなければならない。
アレをやっている人だからダメだ。
とか言ったって、守れる人なんかいないことが前提だ。
で、だから何をしてもいいのではなく、
人と比べる価値観ではなく神の前に個人としてどう立つかを問われている。

宗教が人を決めるのではなく、
信仰と社会と自分の人生を自ら考え、神の創造に参加する事が求められるのだ。

というわけで、クリスチャンってどういうので、
「不良クリスチャンですが何か?」は、どういうことが言いたいのか今更語ってみました。

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