会いたいけれど、会いたくないんだよ。
会いたいとか、好きだとか。
最近私は、そういう気持ちを誰かにまっすぐ伝えられることがとても素敵なことだと気づいた。幸せなことだなと思った。
…というのも、今の自分にはそれが叶わないのだと気づいたからである。
好きになってはいけないと思う相手を好きになってしまったり、会ってはいけない相手に会いたいと思ってしまったり。そういうとき、「そういうの、やめときなよ。苦しいだけだよ」といった友人のアドバイスをすんなり受け入れて、”前に進む”ってやつができたら何も問題はないはずだ。
でも、”前に進む”ための行動が物理的にできていたとして、心がそれについていけるのかは別問題。悪い記憶、幸せな記憶…なんだって、想うべきではない誰かのことを想起している時間は、周りにも自分にも受け入れてもらえない。気持ちと脳みそのする判断が乖離しているのだから、それはそれはストレスなのである。
なんでいきなりこんなことを言いだすのかって?
そんなストレスに苛まれている人間が、今、ここにいるからである。
だから最近周りにあふれるカップルたちを見て思う。
冷静に頭で考えて「これが正解だ」と判断した道を、「好きだ」「選びたい」と心から思えることって、とんでもない奇跡で、凄く幸せなことなんじゃないかな、って。
会いたいよ。でも、会いたくないんだよ。わかってよ。
最近、こんな意味不明なことを口にした。
これが本心だったはずなのに、ずっと心の中にわだかまりが残っている。
会っても何も幸せなんて生まれないのはもうわかってるから、前に進むために何かを断ったシーンである。
私は善い行いをした。なのに、一週間後のある日の夜には、涙がドバドバ出てきてしまった。
許されない気持ちを、許そうとしない世間やルールが救ってくれるわけじゃない。幸せをくれると保証してくれもしない。
その前に、幸せって何ぞや。…みたいな問いにも答えておかないといけない。(ここ、重要である。)
頭の中がぐちゃぐちゃである。それでも明日はやってくる。
そんな毎日を、頑張ってきた人類全員、
今週も、本当にお疲れさまでした。
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