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犬とミニバンと平良

大学に入学して間もない頃、軟式野球部に入部した。学校のグラウンドが工事で使えないため、数キロ離れたあけみおドームという練習場所に歩いて通っていた。
普段は大学を出てから、悪の組織名護パイナップルパーク(前回参照)で曲がり58号線から向かうが、この日は直進してブラジル通りといういつもと違うルートで向かうことにした。
ブラジル通りは山から一気に下れる長い下り坂である。ブラジル通りという名前は、その道の途中でいきなりブラジル国旗が出てくるから勝手に僕が言っていて、みんながブラジル通りと言っているかもわからない。

その日は、
「歩くとこんな長い?雰囲気不気味なんだけど?」
とブラジル通りに愚痴を吐きながら歩いたのを覚えている。歩いて20分くらいしても先が見えず、頭にグローブを乗せながらひたすら山を下っていた。
しばらくして反対車線10メートルくらい先の茂みから、野良犬が勢いよく出てきた。ガチャガチャで野良犬が出てきたような勢いだった。
そしてこちらを睨みつけ唸りながらめちゃくちゃ吠えてきた。わんわんというかわいい日本の鳴き方ではない。バゥバゥ!というアメリカスタイルだ。初めて見るやんばるの野良犬は、決して可愛いと言えない獣感満載の生き物だった。
奥に赤ちゃんがいるのかは分からないが、赤ちゃんからすればこんな頼もしい親はいないだろう。人間でいえばジェロム・レバンナくらいだと思う。※注1

僕はこれ以上進むと襲われるという生物の本能が働き、ぴたりとその場で止まった。
あの犬は、HUNTER×HUNTERの信長のような念を放っているとハンター資格のない僕でも分かった。
ここからやんばるの野良犬とインキャ大学生の戦いが始まった。

とりあえず犬がいなくなるのを願って時間が過ぎるのを待ったが、永遠にバゥバゥバゥバゥ!と吠えて威嚇してくる。
「一旦悪の組織名護パイナップルパークまで戻るか?」
そう考えたが、20分かけてここまで来たのだ。今更振り出しに戻ることはできない。
車を持っている友達へのSOSの連絡も断られ、そうこうしているうちに30分くらい経過していた。「やはり戻ろう。」
そう思って後ろを振り向こうと思ったが、そのとき、「動物は背中を見せたら襲ってくる」というのを本で見たのを思い出した。危ないところだった。小学生の頃に多読賞を取ってて良かったと初めて思った。
多読賞を取ってなかったら今頃野良犬に襲われて頭にグローブを被りながら倒れてたかもしれない。

ここで僕は決死の作戦を思いついた。次来る車に走って着いて行き、車を壁にしたまま犬の死角をついて通り過ぎるという作戦だ。犬から見れば、車が過ぎるとさっきまでいたインキャ大学生が消えているのである。まるでプリンセス天功のようなイリュージョンだ。
部活の練習時間も迫ってきて、雨も降り始めたこの状況で打開策はこれしかないと思っていた。

しばらくして上から白のミニバンがきた。
現場になんとも言えない張り詰めた緊張感が漂う。と同時に、少しワクワクしていた。このイリュージョンが成功したら、明日の沖縄タイムスの一面は僕がガッツポーズしているに違いない。

『インキャ大学生、やんばるの野良犬に勝利』

でかでかとこの見出しが書かれているだろう。
そうこう考えているうちに、ミニバンがすぐそこまできていた。そして野良犬とミニバンが皆既日食のように一直線になったタイミングでプリンセス平良はスタートを切った。サニブラウンも驚きのロケットスタートである。人は命の危機を感じると超人的な力を発揮する。間違いなく人生で1番足が速かった。
「キャッチミー。イフユーキャン。」
犬に向かって呟いた。



「あの時の平良くんの走りについて、どういった印象を抱きましたか?」
「そうですね、あれは絶対に将来日本の宝になると思いましたね。素人の僕でもわかりました。」
「実際にどのくらいのスピードでしたか。」
「そうですね。僕も下り坂でスピードを上げていたんですけど、100近くは出てたと思います。特に中盤の加速。一瞬抜かされましたもんね。あれは見事でした。ブラボー‼︎」

これは後にミニバンのおじさんが沖縄タイムスのインタビューに語った証言である。

話を戻そう。
ミニバンに隠れて必死に走っているプリンセス平良は、50mくらい走って斜め後ろを見た。するとそこには、プリンセス平良のイリュージョンをいとも簡単に見破った野生すぎる犬が追いかけてきていた。
野生すぎる犬とミニバンとプリンセス平良。この3体がものすごいスピードでほぼ横一列に走る姿は、まるで世界陸上男子100M決勝である。
対向者から見ると、前から走ってくる3人が協力して何かすごい大技を繰り出しそうな雰囲気を漂わしている。
がむしゃらに長い距離を走っていたからよく覚えていないが、しばらくして野生すぎる犬はいなくなっていた。

1番困惑したのはミニバンのおじさんだっただろう。ただ坂を下ってきただけなのに、左には野良犬、右にはインキャ大学生がガトリンとボルト並みの走りをしているのだ。おじさんがパニックになって事故らなくてよかったと心から思う。


それからブラジル通りは歩いて通ったことはない。車の免許を取り、それ以来ブラジル通りを通る際には、僕のような子がいないか注意しながらゆっくり通るようにしている。
読者の方で、もし野良犬と戦う大学生を見かけることがあれば、救いの手を差し伸べて欲しい。


※注1

ジェロム・レ・バンナ
フランス出身。身長190cm、体重120kg。通称k-1の番長。彼が放つ左ストレートは黄金の左と呼ばれている。


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