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特にTWでの文章コミュニケーション、辛くないですか?
職場でも、学校でも、
時にコミュニケーションが環境を豊かにし、
時にコミュニケーションが環境をぶち壊す。
何をするにしても、そこに人間がいるのであれば
ついて回るコミュニケーションについて、最近思うことがある。
コミュニケーションって”思いやり”じゃない?
その言葉を相手はどう受け取るか。
その説明で相手には伝わるのか。
この2つの意識が欠けているとコミュニケーション上の亀裂が生じやすいように感じる。
このところ、テレワークが増えて
メールやチャット文章でのやりとりが増えたが、
私はこの文章のコミュニケーションに今大変なストレスを感じている。
・質問の回答になっていないじゃないか...
・そもそも内容ちゃんと読んでいるのか?
・こちらの表現が良くなかっただろうか
・この言葉尻は物凄くキツく感じるなぁ...
・文章がぐちゃぐちゃで何を伝えたいのか全くわか
らないんだけど...
・そもそも文章打つのが時間かかるわ...
・こんなことチャットで言う必要あった?
・感じの悪い物言いに見えるかもな
など、書き切れないが上記のような気持ちになることのオンパレード。
物事が最終的に帰着するまでに何往復もやりとりを重ねる。
疎かにしてしまいがちなコミュニケーション。
でも良好な職場環境の基盤を築くのはまず間違いなく重要な要素、コミュニケーション。
しかし、忙しさにかまけて
雑な言葉を渡してしまう。
相手が人間であるという大前提が頭からすっぽ抜けてしまう。
特に職場では、伝えたいことを文字に起こすというコミュニケーションにおいて、伝えたいことが明確に伝わっているか、そして相手はその言葉をどう受け取るかを最低限考えた上で言葉のボールを投げなくては、やりとりが何往復もする羽目になったり知らぬ間に傷ついたり、あるいは傷つけたりしてしまうことになる。
私が属している会社では、
口頭でも文章上でもコミュニケーショントラブルを良く見かける。
そして見かけたり、当事者になるたびこう思う。
これ、ほんの少しの思いやりで
すぐ解決したのでは??
思いやりってなんなのよ
ここでいう思いやりは優しさではない。
ずばり、想像力による思いやりだと私は思っている。
自分を含めて、いつも100点満点のコミュニケーションを叩き出すことは非常に難しい。ほぼ不可能でしょう。
こちらがわかりづらいアプローチをしてしまうこともあるし、単純に受け取り側の理解力が足らない時もある。
それでも、日々降ってくる業務を完遂させるためには、一人一人が多少なりとも想像力をもって言葉を発して行く必要があると思う。
効率のためにも、そしてなんだかしんどい、という状況を避けるためにも。
下手でいい。結果としてできなくてもいい。
だけど、意識を持つっていうことは重要だと思う。
職場や学校などの集団の場において、ちょっとしたやり取りで苦しみ、もつれ、崩れるということが世の中に溢れているのはもう言うまでもない。
その関係性は家族でも、友達でもない人が大半を占めているのだから、やはりコミュニケーションは難しくて当然だと思う。
誰もがきっと100点を出せない。
上手なやり方はあったとしても明確な正解はない。
簡単そうに見えて、難しく、ときには人の心に暗い根を生やすコミュニケーション。
結果としてうまくできないことなんてコミュニケーション以外でも沢山ある。最良の選択は人によって異なる。結果としてうまくできなかったこと自体はもう、それでいい。
上辺の関係であればあるほど、重要なのは、その一言に少しの想像力を働かせたかどうか、というその過程じゃないかと私は思う。
その想像力があるだけできっと救われたものがどこかにあるはず。
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